第7話 倉庫の椅子
ケイの夕飯は、工具箱の蓋の上に載っていた。
食堂の椅子は十二脚。食堂を使う人間は十七人。四日目までは順番を譲って待ったが、五日目に数え方を覚え、箱を卓の端に寄せて、立って食べることにした。豆と肉の煮込みは、立って食べても味が同じだった。肉は小さい。厨房のオトが、鍋の陰から顔を出した。
「立って食べると、豆が胃の底で片寄るよ。昔、宿舎に立ち食いの一族がいてね」
「片寄らない」ケイは豆をひと粒、匙で押さえて食べた。豆は素直に潰れた。
「座りなよ」ユイが自分の椅子を半分ずらした。椅子の脚が、床を短く擦った。
「座ると、誰かが立つ」ケイは卓に並ぶ背中を眺めた。どの椅子にも、もう誰かが座っている。
「もう立ってるじゃん、ケイが」正論だった。匙を置き、ケイは壁の端末に向かった。旧設備支援ソフト、通称キュー。管理権の引き継ぎに、勝手についてきた代物だ。「キュー。椅子の在庫は」
「こんばんは。設備のご質問ですね。保守倉庫B、椅子脚の組、在庫あり。状態は緑、使用可能です」
「緑だぞ」ケイは画面の隅の緑の点を、指で弾いた。点は、何食わぬ顔で光っていた。
「緑は、キューが最後に見た色」隅の席から、ヴィクの声がした。煮込みの皿を膝に載せ、片手で葉っぱを一枚撫でている。「倉庫Bは十一年、誰も開けてない」
「現用範囲は、すべて把握しております」キューの返事は、まるで揺れなかった。
「現用って、誰が決めた」ケイが壁の端末を睨むと、端末はあっさり答えた。「十一年前の私です」食堂の全員が、匙を止めた。
* * *
倉庫Bの扉は、開かなかった。中の気圧を確かめる計器が死んでいたからで、ヴィクは首を振り、廊下の天井の点検口を指した。
脚立を立てて蓋を外し、テツの点検機の首にカメラをつけて、暗がりへ下ろす。映像は、ケイの端末に来た。ライトが埃の層を照らし、粒が一斉に舞い上がる。壁沿いの棚に、紐でくくった鉄の脚が、縦に六組そろって立っていた。棚の下段には、座板が重ねてある。
「あった」ケイは端末の映像に顔を寄せた。鉄の脚の先に、まだ塗装の艶が残っている。
「あるね。床を見な」ライトが下へ向いた。倉庫の床の真ん中に、円い穴が空いている。縁が内側へめくれ、向こうに暗がりが広がっていた。板の継ぎ目が何本も、穴に向かって走っている。
「倉庫Bの床、状態は緑です」壁の端末が、律儀に告げた。
「キュー、黙ってろ」ケイは端末に、掌を向けた。
「はい」と端末は答えた。穴のせいで、床の真ん中は信用できない。壁沿いには梁が通っていて、映像の中で、梁の線は棚の足元まで真っ直ぐ延びていた。梁の上だけ踏めば、棚に届く。
「私の許可を取ってから入りな」ヴィクが言った。「入ったら、梁から一歩でも外れたら、その場で止まって、私を呼ぶ。動くのは、それからだ」
「取る。呼ぶ」ケイは命綱を腰に回し、点検口から中へ降りた。空気は冷たく乾いていて、埃の匂いがした。壁に手を当て、梁の上に靴を置く。体重が梁の外へ逃げかけて、床の板がわずかに沈んだ。止まって、足を戻す。通信の向こうで、ヴィクが息を吸って、吐いた。そこから先は、梁の上だけを進んだ。
棚の前で、鉄の脚を一組ずつ抱え、上の点検口のテツへ渡す。脚は六組。座板は八枚のうち、割れていない物を選んで渡した。鉄の脚は、一組を腕に抱えると、ちょうど椅子一脚ぶんの重さがした。抱えるたびに、座る人が一人ずつ増えていく。手袋の中で、指が埃に濡れた。梁の上を歩く自分の靴音が、床の穴の下から、遅れて返ってきた。最後の一組を渡すとき、ライトが倉庫の奥を照らした。
奥の壁に、大きな扉が一枚、閉まっていた。人が三人並んで通れる幅で、真ん中に、消えかかった黄色の帯が横に引いてある。取っ手に、細い鎖が巻かれていた。
「キュー」ケイは点検口を上がりながら、壁の端末に向かって呼んだ。「倉庫Bの奥の扉。空気は」
「確認されておりません」
* * *
夕食の後の食堂で、ケイは椅子を作った。卓は、すっかり片づいていた。
座板の穴は型違いの二種類に分かれていて、脚の間隔と十ミリずれていた。手回しのドリルで、座板に新しい穴を開けていく。ハンドルを回すたびに、細い削りくずが巻いて落ちた。テツが座板を一枚ずつ押さえ、ユイが脚の内側に、番号を書いていく。一から六。削りくずはケイの靴の周りに小さな山を作り、オトが厨房から箒を持ってきて掃いた。割れかけの板は使わなかった。ねじと滑り止めは、自分の袋から出した。袋には『いつか』と書いてあった。いつかが、ようやく今日になった。
最初に座ったのは、オトだった。厨房から出てきて、腰を下ろし、卓を軽く叩く。それから、ユイ、テツ。ヴィクは座らずに、脚を一本ずつ指で押し、三本目で顔をしかめた。
「三本目が浮いてる。直しな」顎で、その脚を指した。
「直す」ケイは最後に残った一脚を、卓の端へ引き寄せて座った。椅子がかすかに揺れる。左の脚が、右より短かった。
「ケイが座った。記録しとく」ユイが、端末を向けていた。
「撮るな」ケイは椅子の背を掴んで、端末の視界を塞いだ。
「番組で使う」ユイは端末を持ち替えた。その隙に、椅子の脚の下へ、缶から出した薄い座金を一枚挟んだ。揺れが止まった。ちょうどよかった。
食堂の壁の端末の前を通るとき、ケイは立ち止まった。端末は、緑の点を一つだけ灯している。
「キュー。倉庫Bの奥の扉、開けられるか」鎖の巻かれた取っ手を思い出しながら、ケイは訊いた。
「空気の状態が確認されておりません。やです」緑の点が、きっぱりと瞬いた。
「やです、って言ったか、今」
「はい。やです」卓の向こうで、ヴィクが肩を揺らした。
「ケイに似てきたね。頑固なとこ」
緑の点は、何を言われても、瞬きの速さを変えなかった。
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