第6話 設備屋の鉢植え
部品は約束どおり二日で届いた。薄い輪だけが、まだ荷の中にいなかった。
留め具四本は、修理ベイの作業台に並べると、古い床の上で大げさに光った。指の腹で爪をなぞり、ねじの座を確かめ、それから気密の縁を見た。輪のない縁は、留め金を忘れた財布に似ていた。
「輪が来るまで、手が空くね」背後から、ヴィクが言った。ケイの指は、まだ爪の座を撫でていた。
「空けておく。もう一度、留め具の座を見る」ケイは爪の根元に、指を戻した。
「見なくていい。天井を直す。共同室から食堂への配線。手を遊ばせるな」
共同室の入口には、森があった。
「ヴィク。これ、昨日はなかった」ケイは入口で足を止め、葉の隙間を覗いた。
「私の部屋にあった」大きな葉の間から、返事がした。鉢の縁がケイの腰の高さにある。葉の先は頭より上で、土も鉢もどう見ても重い。よく運んできたものだと見回すと、鉢の下に台車が隠れていた。ヴィクは葉を一枚持ち上げて裏を撫で、何もいないのを確かめてから離した。設備の点検と同じ手つきだった。
「何年になる」ケイは幹の根元を見た。手首より太い。
「十八年」
「テツより先輩か」
「あの子より聞き分けがいい。向きを変えろって、口では言わないからね」ヴィクは鉢を半分ほど回し、まだ暗い窓の下を見た。言わないだけで、注文は山ほどあるに違いない。「配線を通す前に、鉢の位置を決める。あとでコンセントを邪魔な所につけられたら困る」
「配線は上だ。鉢は下」ケイは天井を指した。葉は、そこまで届いていなかった。
「上でも、根が嫌がる日がある」ヴィクの声を聞き流して、ケイは脚立を掛けた。天井の裏へ手を入れて、古い線を引く。途中で手応えが変わった。
「引っかかった」ケイの手が止まった。線の先が、天井の中で、何かに掛かっている。
「そこで止めな。そっちは残す管」
天井の中を似た色の管が何本も走っていて、奥の三本は、ケイの目には全部同じに見えた。ヴィクには見分けられる。外に出ている端を、白いチョークで一本ずつ指してもらった。知ったふりをするより、この人に見てもらうほうが早い。線を抜く道が決まると、今度はケイの手が進んだ。金具の隙間へ細い棒を通し、引く向きを変え、壊さずに手元まで送る。船を動かすほど大きな仕事でも、この窮屈さは嫌いではなかった。
床では、テツが受け取った線を輪に巻いていた。脚立の上から、ケイはその手元を覗いた。
「巻き方が逆だ。次に出すとき、絡む」
「こうですか」テツは輪を、巻き直した。
「そう。ほどく日の自分に優しく巻け」輪が急に丁寧になった。奥でヴィクが笑った気がしたが、葉に隠れて顔は見えなかった。
その輪の一つが、脚立の下で鉢の葉に触れた。テツの手が凍りついた。ヴィクが振り向く前に、ケイは輪をひょいと持ち上げて、葉から離した。葉は一枚も折れていなかった。
「見てたよ」ヴィクが言った。「一枚目は、見なかったことにする。二枚目は、聞いてから触りな」
「はい」テツの声が裏返った。
昼を過ぎて、ユイが飲み物を三つ持ってきた。ケイの分だけ、蓋が開いている。
「味見。あと、そこに植物を置くなら、私の映像に葉っぱが入る」ユイは自分の分のストローを、もう噛んでいた。
「いい背景だろ」とヴィク。
「窓を撮りたいときは、動かしてね」
「その番組は、窓を何分映すんだい」二人が窓の前で位置取りを始めた。その隙に、ケイは鉢の裏へしゃがんだ。台車の車輪が一つ、回りきっていない。動かすたび、床を削っている。
「ヴィク、この車輪の軸、直していいか」ケイは鉢の縁を、掌で軽く叩いた。
「根を揺らさないなら」
「根には触らない」ケイは鉢を支え、片側だけ持ち上げた。噛んでいた古い紐をほどき、車輪を回す。大きな修理でもないのに、押してみると、葉がほとんど揺れないまま動いた。ヴィクが自分でも押した。
「……おお」仕事のときには出さない、素直な声だった。ヴィクは鉢を、窓から離れた壁際へ収めた。通路にも、ユイの欲しがる画角にも掛からない位置だった。
「ここなら、上に小さい灯りが要るね」ヴィクは天井を見上げ、灯りの位置を指で決めた。
「電気は節約じゃなかったか」
「人の分はね」決めてあるような口ぶりで、ヴィクは空いた壁を、もう半歩分だけ眺めた。何かを増やす気の顔だった。値段を訊くのは、よした。人の買い物に口を出せば、自分の巻き取り機にも話が戻ってくる。
ヴィクは鉢の陰から、小さな缶を拾い上げた。ケイが落としたねじが三本、入っている。
「葉っぱに引っかかってた。返す」缶の蓋が、かすかに鳴った。
「部品まで育つなら、俺も一鉢欲しい」
「水やりを忘れる人には売らない」ヴィクが缶を差し出した。受け取れたのは、缶だけだった。
* * *
カバーを戻し、工具を数えた。ヴィクが新しい線を確かめ、テツが脚立を片づける。ケイは入口の柵の脇に立った。
「つけるよ」ヴィクの指が、壁の開閉器に掛かった。
床に、細い光が落ちた。一つ目の灯り。その次。さらに奥。共同室から食堂へ向かう一列が、端から順に明るくなっていく。ケイは、さっきまで暗かった天井を見上げた。天井は、薄い緑をしていた。
「ずっと灰色だと思ってました」テツも上を向いていた。ヴィクは温度と電気の様子を見て、通路の端まで自分で歩き、戻ってきて柵を外した。
最初に通ったのは、鍋を運んでいた食堂の人だった。
「あ、こっち開いたの」いつもの大回りをやめて、鍋を抱えたまま、まっすぐ食堂へ入っていく。ケイも後に続いた。曲がる角が二つ、なくなっていた。
読んでいただきありがとうございます!
「続きが気になる」「面白い」と思っていただけたら、ブックマークや下の★★★★★で応援してもらえると、とても励みになります。




