第63話 軸を抜く
一本目の腕が、軸の先を掴んだ。トキの把手が、腕を動かしていた。腕の先の掴み具が、軸の外へ出た端を、上と下から挟む。挟んで、締まる。操作室の緑の灯りの横で、荷重の針が、一目盛り上がった。
「掴んだ」トキが言った。「引くなら、言え」
「まだ引かない」
「この腕で、軸を抜いたことはない」トキが言った。把手の上の手を、一度開いて、握り直す音が、通信に入った。「外装板なら、何千枚も剥いだ。軸は、ない。軸は、腕の仕事じゃなかった」
「今日から、腕の仕事だ」
「言うねえ」サワが、線の張りを見ながら口を挟んだ。「うちの請求も、今日から枠の仕事になるよ」
ケイはハチを、回転継手の脇に寄せていた。軸の根元の、斜めに半周する溝。その溝に沿って、軸を回しながら抜く。まっすぐ引けば、立った鱗が継手の内側を削り、継手ごと駄目にする。溝の向きに合わせて回せば、鱗は溝の中を滑って、外へ出る。
「当て板、入れる」
腹の荷台から、薄い当て板を出した。継手の縁と軸の間に、右の腕で差し込む。板の縁が、継手の縁の傷に当たらないように、角度を合わせて。差し込んだ板の後ろに、楔を一本、打った。
「カザ。継手を回せるか。内側から」
「回せる。手回しだ。乗員が二人で回す。ひと回しで、指の幅ひとつ」
「指の幅ひとつ、回してくれ。回したら止めて、言ってくれ」
「回す」
継手が、回った。指の幅ひとつ。軸は、継手と一緒に回った。溝の中の鱗が、当て板の縁を擦って、細い音を立てた。
「止めた」
「トキ。腕を、同じだけ引いてくれ」
「引く」
軸が、指の幅ひとつ、外へ出た。掴み具の中で、軸が滑らかに動いた。
回す。止める。引く。回す。止める。引く。カザの乗員の掛け声が、継手の奥から、微かに通信に混じった。軸は、そのたびに、指の幅ずつ出てきた。出てきた部分の表面に、溝の続きが見えた。溝は、軸の根元の方へ行くほど、深くなっていた。ケイは、そのたびに楔を打ち直した。打ち直すたびに、右の腕の付け根が、座席の骨組みを通して、背中へ響いた。
何十回目かで、軸が、出なくなった。
「引いてる」トキの声が硬くなった。「引いてるのに、出ない」
荷重の針が、上がっていった。一目盛り、二目盛り。軸は動かない。溝の最も深い所で、鱗の一枚が、継手の内側の段に引っかかっていた。ケイの灯りの中で、鱗の縁が、白く光っていた。
「トキ、止め——」
その瞬間、腕が鳴った。
関節の奥で、ブレーキの面がずるりと滑る音が、枠の梁を伝って、ハチの座席まで来た。聞いたことのある音だった。四本目の腕の索にぶら下がって、体で聞いた音だった。軸を掴んだ腕が、ほんのわずか下がった。下がりかけて、次の段の歯で、止まりかけて、まだ滑ろうとしていた。
梁の継ぎ目の、一つ半。
あの長さが、体の中に戻ってきた。あの長さだけ腕が落ちれば、掴み具に挟まれた軸の先が下へ振られ、根元が継手の中で上へこじられる。こじられた根元は、鱗ごと、継手の内側を抉る。抉られた継手は、二度と回らない。
「上げも下げもしない」ケイは言った。喉の奥から、平らな声が出た。「トキ。今の位置で、そのまま持て。引くな。戻すな。持つだけだ」
「持つ」トキの声が、把手の向こうから来た。「……持ってる」
荷重の針が、震えながら、止まった。
腕は、下がらなかった。一段の途中で、止まっていた。トキの手が、把手の上で、指の一本一本の力を変えて、ブレーキの負けた分を、腕の駆動で受けていた。操作室の窓の向こうで、トキの肩が、動かない形で固まっていた。
「カザ。継手を、戻す方へ。指半分」
「戻す方か」
「戻す方だ。鱗を、段から外す」
継手が、指半分、戻った。溝の中で、鱗が段から離れる音がした。小さな、爪で硬い物を弾いたような音だった。荷重の針が、下がった。
「今度は、進む方へ。指の幅ひとつ。トキ、引くのは、まだだ」
継手が回った。鱗が、段の横を、溝の向きに沿って擦り抜けた。白く光る縁が、当て板の上を、ゆっくり過ぎていった。
「トキ。引いてくれ。同じだけ」
軸が、出た。
そこから先は、溝が浅くなっていった。回す。止める。引く。指の幅ひとつが、ふたつになり、みっつになった。ケイは楔を拾い、打ち、また拾った。右の腕の付け根が熱かった。左の腕は、楔を支えるだけにして、速さの要る所には出さなかった。
軸の根元が、継手の口から出た。
鱗の立った溝が、灯りの中を、外へ滑り出してくる。そのまま、止まらなかった。腕が軸を掴んだまま、ゆっくり後ろへ引いていく。腕の後ろには、梁があった。トンネルになった梁の、長い、長い背中が。長い軸は、その梁に沿って、枠の外側へ、外側へと、滑り出ていった。コロでは、軸の半分を抜く前に、壁に当たっていた。ここでは、軸がすっかり抜けても、梁は、まだ先まで続いていた。
軸の尻が、継手の口を抜けた。継手の口が、空になった。
* * *
最初に通信へ入ったのは、サワの吐く息の音だった。リレーの線の張りを、ずっと見ていた息だった。トキの肩が、操作室の窓の向こうで、ようやく下がった。
「線、抜けてない」リレーの船長が言った。「一回も、揺れてない。記録に書いとく」
「あんたの一本、長く持ったね」ヴィクが左の列から言った。「トキさん。今の、持つ手。あんな持ち方、見たことない」
「俺も、やったことはない」トキの声は、かすれていた。
テツが、腕の関節の上の四つ目の灯りを、震える手で消し、点け直した。消したのは間違いだったらしい。
ケイは、継手の口の中を灯りで照らした。内側の段に、鱗の擦れた跡が、一本だけ、細く残っていた。抉れては、いなかった。
「カザ。継手は、生きてる」
通信の向こうで、カザが何か言おうとして、黙った。機関室の乗員の声が、後ろで小さく聞こえた。それから、カザの声が戻ってきた。
「……腹の長い船に、生まれてよかったと思ったのは、初めてだ」
ケイは返事をしなかった。代わりに、継手の縁から浮いて漂い出した楔を、右の爪で拾った。
読んでいただきありがとうございます!
「続きが気になる」「面白い」と思っていただけたら、ブックマークや下の★★★★★で応援してもらえると、とても励みになります。




