第61話 肺を持っていく
リレーの白板には、番号が五つあった。
画面の中で、給電艇の船長がペンの尻で一つ目を叩いた。「一、俺の線を、枠の受電口まで引く。二、現地の有資格者が、俺の線を枠に繋ぐ。三、操作席だけ起こす。四、一本目の腕に回す。五、腕を動かすのは、ケイが『いい』と言ってから」
「爪は」ケイは聞いた。
「爪は、四の途中で順に。繋ぎ替えて閉じる。全部いっぺんに起こせる電気は、俺の船にない」船長は白板の隅に、小さく書き足した。『爪、ひとつずつ』。「線はこれきりだ。これで足りるのは、腕ひとつと、爪ひとつと、操作席の灯りだけ。首の垂れた腕には、回さない」
「回さない」ヴィクが横から言った。「あれは、使えない腕だよ」
「使えない腕に電気を流す奴は、俺の船に乗せない」船長はペンの蓋を閉めた。「番号を飛ばしたら、俺は線を巻いて帰る。切り替えは、今回はない。四秒の話もない。その代わり、一本の線が抜けたら、枠の中の全部が止まる」
ケイは白板の五つの番号を、自分の紙に写した。写して、洗濯ばさみに挟んだ。前に挟んだ紙の上に重ねる。裏の『注意書きは、三行目まで』が、下で透けていた。
* * *
前金は、ラズの一年分の賃料で、足りた。足りて、ほとんど残らなかった。保険の証書が届き、シノの資産課から日程の紙が届いた。紙の最後の行に、立会いの有資格者の名があった。トキ。
トバに着くと、トキは先に操作室にいた。電源の落ちた操作席の前に膝をつき、座面を布で拭いていた。拭いた布を裏返し、また拭く。布が黒くなると、畳み直して、白い面を出す。座面の縁の、腿が当たる所の革が、薄く擦れて光っていた。トキはそこを、ほかの所より長く拭いた。
「座るのは、俺だからな」トキは顔を上げずに言った。「前に座った奴の埃に、俺は座らん」
「前に座ったのは、誰だ」
「俺だ」
ケイは操作室の床に、テツの灯りの袋を置いた。トキは拭き終えた布を膝の上で畳み、それから、足元に置いてあった包みを取った。更衣室の戸棚から出していた、あの包みだった。布を解くと、古いスパナが一本出てきた。柄が長く、口の片側だけが、何度も研いだように薄い。
「爪の関節の、手回しの軸。あれに合うのは、これだけだ」トキはスパナを、柄の方からケイに差し出した。「閉じきらん爪が出たら、要る。一つは必ず出る。三年、動かしてないからな」
受け取ると、重かった。重さの半分は、柄の長さだった。握りの所に、樹脂も布も巻いていない。鉄の地が、手の形に黒く光っていた。
「借りる」
「貸す。返せよ」
* * *
テツは、灯りを四つ用意していた。三つは、いつもの袋に。四つ目は、別の袋に入れて、自分の腰に下げている。ケイの視線に気づくと、テツは腰の袋を押さえた。
「前に、冷凍庫の下で、三つ入れましたよね。影を消すのに。あれで、拾えない影が残ったじゃないですか。アンカーの陰の。僕、あのあと考えたんです。灯りが三つだと、影が三つできるんです。三つの影が重なる所に、もう一個、暗いのが残る。だから、四つ目は、その重なる所に、上から。上からっていうのは、腕の上からです。使う方の腕の関節の上に、灯りを留めておけば、爪の関節の奥まで、上から入ります。……入ると思います。入らなかったら、僕が持って入ります」
「持って入るな」
「はい。留めます」
ボウが、枠の外で線を張っていた。リレーの給電艇から伸びた太い線を、ボウの平たい船体が引いて、枠の受電口まで運ぶ。線は、暗い枠の中を、一本の細い弧を描いて渡っていった。
「三年ぶりのお客だってさ」サワの声が、通信に入った。「こんなに広い所に、線が一本。寂しい眺めだね」
トキが受電口の蓋を開け、線の端を受け取った。手袋の指で、端子の向きを確かめる。一度、確かめる。二度、確かめる。それから、差し込み、締めた。
「二、済んだ」トキが言った。
「三」リレーの船長の声が入った。
真っ暗な枠の中で、操作室の、操作席の前の計器だけが、緑に点いた。
一つ、二つ、三つ。並んだ小さな円い目盛りが、下から順に目を覚ましていく。針が、一度だけ、端まで振れて、戻った。操作室の外は、何も変わらない。向かい合う空の固定架も、何もない真ん中も、対岸の眠った腕も、暗いままだった。巨大な枠の中で、手のひら二枚分の緑だけが、息をしていた。
トキが、拭いたばかりの座面に腰を下ろした。把手に手を置いた。まだ、握らなかった。
「三、済んだ」
ケイは、しばらく緑の灯りを見ていた。三年ぶりに点いた灯りだった。ここから先、この灯りを消さずに、船を一隻入れて、軸を一本抜いて、出す。消えれば、全部が止まる。
「サワ」ケイは通信に言った。「線の張り、見ててくれ。仕事の間、ずっと」
「見てる。見てる時間の分、請求するけど」サワは、ボウの操舵室で、枠の天井を見上げたらしかった。声が、上へ抜けた。「それにしても、広いねえ。請求は、枠の大きさで出すね」
緑の灯りの前で、トキの右手が、ようやく把手を握った。
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