第59話 口に入らない船
万力の口に、継手が噛んでいる。
その前に座り、端末を万力の顎に立てかけた。『なぜ』の紙は、二行目から下が空いたままだった。継手の線は一本。残りの三行は、まだ手つかずだった。
保存した映像を、端末の奥から探した。何十日も前、夜中に届いた問い合わせだった。エマの取引先の紹介で、腹の長い貨物船の船長から。開いた途端、あの夜と同じように、指が画面の上で勝手に動き出した。
船腹の回転継手に、太い軸が噛んでいる。継手の周りの錆。軸の根元に、細い傷。あの夜、ケイは断った。部品を外して送ってくれるなら受ける。船ごとは、うちの口に入らない。長い軸を抜く足場も、ここにはない。
映像の下に、船の登録名があった。ワルツ。
運航記録を引いた。公開されている分だけで、足りた。ワルツは、あれから一度も整備港に入っていない。回転継手に制限をかけたまま、近い航路だけを細々と回っている。近くの整備港は三つとも空きがなく、一つは大型の枠がそもそもない。いちばん早い空きが、半年先だった。
軸は、まだ噛んだままだ。
映像を止め、ワルツの全景の場面まで戻した。船腹が長い。コロの丸い接岸口を船腹に沿って並べると、十個入る。映像の端に、寸法の目盛りが出ている。それを指で押さえた。
もう一方の手で、アーチの図面を開いた。トバから届いた縮小版。整備腕の間隔、固定架の爪の間隔。爪は、右列と左列で船の両側を掴む。その爪と爪の、前後の距離。
端末を二つ並べた。ワルツの腹の長さに、親指と人差し指を開いて当てる。開いた指を、そのままアーチの図へ移す。右列の三番目の爪から、十番目の爪まで。
指が、ぴたりと収まった。
扉の敷居で、足音が止まった。テツが、夜食のパンを二つ持って立っていた。
「ケイさん、オトさんが持ってけって。……何してるんですか、それ。指、固まってますよ」
「動かすな」ケイは指を開いたまま言った。「縮尺、合ってるか見てくれ。こっちの図とこっちの映像」
テツはパンを万力の横に置き、点検機を出して、二つの画面の目盛りを読んだ。読んで、自分の指でも同じことをした。もう一度、読んだ。
「合ってます。ていうか、合いすぎてます。これ、肋が」テツの声が上ずった。「ワルツの腹の補強の肋、爪の間隔と一本おきに揃ってます。爪で掴むのが肋の上なら、腹は凹まないですよね。凹まないですよ、これ」
「揃ってる」
「回転継手は後ろから三分の一。一本目の腕の届く範囲です。軸を抜く方向に、梁があります。梁、何本分ありましたっけ、トンネル。ケイさん、数えてましたよね」
「数えた。軸の長さの、何倍もある」
テツは、パンを一つ取ってケイの手に押しつけ、もう一つを自分で齧った。齧りながらも、目は画面に張りついたままだった。
足場は、ある。
ケイは椅子の背にもたれた。万力の口の継手が、机の灯りを受けて、鈍く光っていた。パンは、まだ温かかった。
* * *
カザ船長への通信は、夜の遅い時間に繋がった。
画面に出た男は、五十前後で、操舵室の暗がりに顔の半分を沈めていた。後ろの計器盤に、赤い制限の表示が点いている。
「コロの修理屋か。前に断られた」
「覚えてる」
「俺も覚えてる。部品を外して送れ、ってな。外せりゃ、自分で直してる」カザは顎を掻いた。「今度は何だ。値下げの話なら要らない。半年待てば、正規の港が見てくれる」
「半年、その表示を点けたまま回るのか」
カザは答えなかった。画面の後ろで、赤い表示が一度、点滅した。
「その表示のせいで、うちは積める荷の三割を断ってる」カザは顎から手を下ろして言った。「船主は、半年ならまだ待てると言う。待つのは俺だ。荷主に頭を下げるのも俺だ」
「抜くのに、いくらかかる」
「まだ出してない」
「出してから呼べ、と言いたいところだが」カザは計器盤の赤い表示を、振り向きもせずに親指で指した。「こいつを消せるなら、先に聞く。どこで、誰の手で抜く。あんたの黄色い艇一台で抜ける軸じゃないのは、映像で分かってるだろう」
「腕は、でかいのを使う。操作する手は、その腕を三十年握ってきた男の手だ」
カザが、画面に顔を寄せた。暗がりから、日に焼けた額が出てきた。
「軸を抜ける場所がある」ケイは言った。「ワルツの腹が丸ごと入る。爪が肋に揃う。整備腕が継手に届く。軸を抜く長さの梁もある」
「そりゃ結構だ」カザは眉を寄せた。「だが、そっちの口じゃない。あんたの岩の口に、うちの腹は入らない。あんたが自分で言った」
「入らない」
「じゃあ、誰の口だ」
ケイは、アーチの図面を画面に映した。
「借りる」
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