↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
星を買うには三百人  作者: 雅龍(がりゅう)
第5章 港ごと、いくらだ

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
54/130

第54話 枠の内側

 トキは、入口の扉の前で待っていた。


 六十を越えた男で、作業服の肘だけが新しかった。擦り切れた所に、別の布を当ててある。首から、トバの職員証を下げていた。閉鎖の日付が、その下に小さく刷ってある。


「調査の立会いは、うちの資産課から言われてる」トキは、職員証を指で弾いた。「有資格者は、今この港に、俺一人しか残っていない」


「一人か」


「前は、三十はいた」トキはそれ以上は言わず、扉の開閉桿に手を掛けた。「腕の中を通る。外を回るより、この枠のことが分かる」


 その前に、トキはハチを見た。係留具に留めた黄色い艇の周りを、ゆっくり一周する。作業腕の付け根に顔を寄せ、ケイが腕を畳むのを、腕を組んで見ていた。右が畳まれ、左が半拍遅れて畳まれた。


「左、遅れるな」


「知ってる。継手は三回替えた」


「替えて、戻ったろう」トキは付け根の外板を、指の関節で一度叩いた。「腕の遅れは、腕の中にあるとは限らん。うちの腕も、遅れたことがある。二年、原因が分からなかった」


「何だった」


「忘れた」トキは平然と言った。「直した奴が、先に辞めた」


 ヴィクが後ろで鼻を鳴らした。笑ったのか、呆れたのか、兜の中では分からない。そのヴィクとテツを後ろにつけて、ケイはハチを係留具に残し、圧のかかった通路へ、四人で入った。


     * * *


 整備腕の梁は、中が空だった。


 一本の長いトンネルが、まっすぐ伸びていた。床に足場の板、両側の壁に配管と配線、天井に電源の落ちた灯り。テツが灯りを三つ点け、前、横、足元へ向けた。トキは灯りを持たずに先を歩いた。どこに段差があるか、足が知っていた。


 壁に、四角い点検窓が並んでいた。等間隔だった。一つの窓を過ぎると、黒い空に星が一つ見え、次の窓では、その星が少しずれて見える。歩くたびに、星が窓から窓へ移った。窓の列に沿って、星が一つずつ、後ろへ流れていく。


「窓は、何のためにある」ケイは聞いた。


「腕を動かしてるとき、中の配線が擦れてないか見るため。外から光を当てて、中から見る」トキは歩きながら、窓枠の一つを手の甲で叩いた。「若い頃は、腕が動いてる最中に、この中を走った。揺れるから、窓の縁を掴んで」


 ケイは窓枠を見た。縁の塗装が、手の形に剥げている。一つの窓だけでなく、次の窓も、その次も。掴んだ人が何人もいて、何年も、同じ所を掴んだ。


 ヴィクは歩きながら、配線の束を指で弾いていた。弾いて、音を聞いて、次の束へ行く。「絶縁、生きてる。こっちは硬化してる。こっちも。……ここから先は、たぶん全部替えだね」


「どこから」


「腕の関節から。関節を越えた先は、曲げのたびに捩れてる。何十年分の捩れ」


 テツが点検機を天井へ向け、画面を見て唸った。「ケイさん、これ、ずっと続いてます。点検機の距離の表示、桁が一個増えました」


 トンネルは、まだ続いていた。足場の板の継ぎ目を踏むたびに、鈍い音が前へ走り、闇の奥で消える。音の帰りを待っても、帰ってこなかった。窓の星が、また一つ、後ろへ流れた。


 途中で、トキが立ち止まった。壁の一か所に、油性の字が残っている。名前が二つ、日付が一つ。字の上から、別の誰かが線を引いて、横に小さく『帰ってこい』と書いていた。その横にも、また別の字。


「何だ、これ」


「腕の中で昼を食った奴が、書いてく。辞めた奴の名前に線を引くのが、決まりだった」トキは字を指でなぞらなかった。見るだけで、また歩き出した。「最後の線は、先月、俺が引いた」


 関節の所で、トンネルは一段狭くなった。人ひとりが屈んで抜ける円い穴を、トキが先にくぐり、ケイが続いた。穴の縁に、手を掛ける場所が二つある。そこだけ、金属が光っていた。


 抜けた先で、壁が消えた。


     * * *


 腕の先端の操作室は、三方がガラスだった。


 足の下にも、ガラスがあった。ケイはそこに立ち、下を見た。アーチの内側が、全部あった。


 向かい合う固定架が、遠くに二列並んでいる。右の列と、左の列。その爪が、何も掴まずに、空へ向かって開いていた。爪と爪の間には、何もない。何もない空間が、コロの居住区を丸ごと落としても底に届かない深さで、口を広げていた。その向こうに、枠の対岸が、さらに遠くあった。そこにも、整備腕が折り畳まれて、眠っている。この操作室と同じ形の箱が、向こうの腕の先に、豆粒ほどの大きさで付いていた。


 誰も、声を出さなかった。テツが灯りを一つ消した。ガラスに映る自分たちの顔が邪魔だったのだと、ケイには分かった。


 ヴィクが、ガラスに兜の額を当てた。下の空の固定架を、端から順に目で追っている。爪の関節、爪の付け根、架の脚、架を支える梁。追う目が、途中で止まって、戻った。


「コロの接岸口を、あの爪の間に置いたら」ヴィクは途中で、言葉を切った。「……置いたら、の話はやめとく。比べると、うちが可哀想になる」


「比べた」ケイは言った。「栓だった」


 トキが、操作席の横の棚から、古い布を一枚取った。ガラスの内側の曇りを、手のひらで円を描いて拭く。拭いた所から、枠の内側が、もう一段くっきりした。何年も、誰も拭いていなかった円だった。


「ハチの灯りを、向こうへ」ケイは言った。


 操作室の横の扉から、係留具へ回った。ハチの座席に滑り込み、腕の先端から離れる。ケイは艇を内側へ出し、枠の真ん中へ向けて、灯りを全部点けた。


 光の筋が、闇の中へ伸びていった。伸びて、伸びて、細くなり、ただの薄い霧になって、何にも当たらずに消えた。対岸の固定架は、星の光で縁取られたまま、暗い。灯りは、届かなかった。


 ケイは灯りを消さなかった。ハチを空の固定架の爪の上まで運び、爪の関節に灯りを当てる。関節の隙間に、古い船腹の塗料が擦れて残っていた。灰色。紺。赤。何隻もの船の色が、爪の内側に、層になっていた。


 ハチを戻して操作室の外へ寄せると、ガラスの向こうに、テツの顔とヴィクの兜が並んでいた。テツは両手をガラスに当てて、口を丸くしている。ヴィクは腕を組み、灯りの消えた先から目を動かさずにいた。操作席には、トキが座っていた。電源は落ちている。計器は暗い。それでもトキの右手は、把手を握っていた。握って、動かさずにいた。


 ケイは灯りを把手へ向けた。把手の握りは、黒い樹脂が擦れて、中の金属の地が出ていた。擦れた形が、指の形だった。四本の指と、親指の付け根。その上に、今、トキの手があった。指の一本一本が、擦れた跡の上に、隙間なく収まっていた。


 前にこの港へ来たとき、腕の先の工具棚で見た。人の背丈の倍もある把手が並び、握りが光っていた。あれと同じ擦れ方だった。同じ手が、何十年、あれもこれも握ってきた。


 通信に、トキの声が入った。


「その辺りで、前は、でかい船の腹を剥いてた。外装板を一枚ずつ外して、爪の上に並べて。板が並ぶと、床みたいになる。その上を、若いのが走った」


「今は、何もない」


「今は、何もない」トキは把手から手を離さなかった。「腕の中の窓、見たろ。あの縁の剥げ、半分は俺の手だ」


 ケイはハチの向きを変えて、枠の全体を窓に収めようとした。収まらなかった。枠の両端が、どこまでも窓の外へ逃げていく。空の爪。空の固定架。何もない真ん中。すべてが、一つの向きへ開いていた。


「船が入るのを、待ってる形だ」ケイは言った。


 操作室の灯りのない窓の向こうで、トキの肩が、わずかに動いた。


「待ってるのは、俺だよ」


読んでいただきありがとうございます!

「続きが気になる」「面白い」と思っていただけたら、ブックマークや下の★★★★★で応援してもらえると、とても励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。