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星を買うには三百人  作者: 雅龍(がりゅう)
第4章 あと二百人、その先の四人

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第48話 落ちた検査

 検査官は、二号艇の扉に、掌を当てた。


 コロの外周に二隻ある避難艇のうち、古いほうだった。扉の縁を、ゴムの密閉が一周している。検査官は指先を縁に這わせ、圧を掛けた跡が戻る速さを確かめていた。ケイは、その指先を横から見ていた。六十日前の点検で、同じ場所に触れたのを思い出した。あのとき、ゴムは硬かった。古いからだ、と決めた。記録の欄が期限内だったので、丸をつけて、次の艇へ進んだ。


 朝からの検査は、生命維持と居住を通っていた。残るのは避難だった。検査官の後ろに、ヴィクと若い保守員、テツ。離れた位置に、書類を抱えたラズが、立会人の位置に立っている。二日前に、単身の男が鍵を返して出ていった。ケイの余裕は、四に減っていた。


「記録では、二号艇の耐圧は期限内です」検査官は端末を見た。「ただ、立会人から実測の申し出が出ています。規則の範囲内ですので、受けます」


 ラズが一歩、前に出た。「記録を疑っているわけではありません。艇の中の空気を、実際に確かめたいだけです」


「どうぞ」ヴィクの声が低かった。


 艇の中へ、空気が送り込まれた。圧力計の針が、ゆっくり上がる。目盛りの上に、白い線が引いてあった。針は、その手前で止まった。次に、落ち始めた。扉の縁のどこかから、細い音が漏れている。蛇の息のようだった。


「止めます」検査官が言った。


 ケイは扉の縁に膝をつき、ゴムの一周を指で辿った。床にいちばん近い低い所に、髪の毛ほどの切れ目が、内側へ向かって細く裂けていた。あのとき触れた硬さの、行き着いた先だった。


 手が、勝手に工具袋の留め具を外した。「ゴム。円周、四メートル四十。断面、丸。在庫、なし」口から出るのは、単語だけだった。ヴィクが横で、首を横に振った。ケイは工具袋を閉じた。開いたところで、この裂け目を塞ぐ物は、袋の中に一つもなかった。


「二号艇は、使用不可とします」検査官は、赤い札を扉の把手に掛けた。「収容の合計が、居住者数を下回ります。一号艇は二百人乗り、二号艇は百五十人乗り。二号艇を除くと、あと百四人分、足りません」


「百四」


「最低でも」


 ケイは頷いた。首が動いたのは、半分だけだった。


「再検査は、四十八時間以内に受け付けます」検査官は端末を閉じた。「その先は、決済に要る書類の日数が、足りなくなります」


 検査官が艇から出ていくと、廊下の空気が抜けたように軽くなった。壁にもたれていたテツが、背を離した。


「あの、映像です。六十日前の点検の映像を、いま見直したんですけど、ゴムの下側は写ってないんです。僕は上から撮って、上のほうはちゃんと写ってて、下は、その、床に近いので、光が」


「テツ」


「はい」


「俺が触った。俺が丸をつけた」


「……はい」テツは口を閉じた。若い保守員の目は、赤い札に留まったままだった。


 ラズが、ケイの前に立った。「二号艇の実測を求めたのは、私です」


「知ってる」


「間違ったことをしたつもりは、ありません」声の高さは、いつもと同じだった。「艇が漏れていた。それが事実です。私が来なくても、次の誰かが同じ穴を見つけた。使う日に見つかるより、今日のほうが、よかった」


 ケイはラズの靴の先を見ていた。革には、どこにも傷がなかった。


「見た」ケイは言った。「触った。硬かった」


「そうでしょうね」ラズは、責めずに頷いた。「あなたの手は、見る手です。ただ、見て、決めるのも、その手だ」


 ヴィクが、ケイの袖を掴んだ。「行くよ」


「一つ、お知らせがあります」ラズは書類を鞄へ収めた。「ナバに、避難艇のモジュールの売り物があります。百二十席。売り手の物件には、当社の先買いの権利が付いています。確認の期間は八時間。契約に、そう書いてあります」


 ヴィクの足が止まった。「使い切るのか」ケイが言った。


「契約の日数は、使うために書いてあります」ラズは軽く会釈した。「隠す理由がないので、先にお伝えしました。四十八時間、頑張ってください」


 靴音が、廊下の角へ消えた。ヴィクが、ケイの袖を離した。


「四十八のうち、八は、あいつの分だ」


「残りは、四十」


「移動が片道。曳く時間は、その倍以上」ヴィクは指を折った。「あんたの艇でも、ボウと組んで、ぎりぎり」


 ケイは修理ベイへ向かって歩いた。歩きながら、道具の名前を、口の中で順に並べた。索。十七のスパナ。曳航金具。六トンのシャックル。誰にも聞こえない声で、並べた。ハチの座席に滑り込んだとき、指の関節が、白くなっていた。それに気づいても、開かなかった。


 通信を開いた。呼び出し音が二度鳴って、干した魚が画面の隅に映った。


「ボウ」


「もう聞いた。請求を見てから返事する」


「避難艇のモジュールを、ナバから曳く。百二十席。四十八時間の、四十」


 画面の中で、干した魚が揺れた。「それは、請求の前に、返事だ。行く」


読んでいただきありがとうございます!

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