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星を買うには三百人  作者: 雅龍(がりゅう)
第4章 あと二百人、その先の四人

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第47話 魚の店

 連絡便の窓から、コロが遠ざかっていく。ハチの窓でなく、客席の窓から小さくなるコロを見るのは、初めてだった。


 岩の表面に、窓の列が点になって並んでいる。あの点の後ろに、椅子と、朝のパンと、置き場のない荷物があった。ここから見ると、三百の灯りは、指の爪で隠れた。工具箱は、修理ベイの棚に置いてきた。肩が軽いと、腕の置き場に困る。ケイは膝に手を載せて、左手が勝手に何かを探すのを、途中で止めた。


 ナバの港の通路では、エマが先を歩いていた。背中に制服の皺はなかった。乗員に荷を預けてきた人間の背中だった。


「条件を言う」エマは振り向かずに言った。「一つ、部品の話は十分まで。二つ、数える話は禁止。三つ、魚の骨は自分で外す」


「まだ、何も言ってない」


「昨日から、顔が数えてる。今も、五って言いかけた」


 ケイは黙った。余裕は五だった。ユイが指を立てかけて、数えるのをやめ、ケイに預けた数字だった。


 店に入る前に、エマを待たせて、通りの木材屋へ寄った。棚に、樹脂と合板の端材が積んである。使う寸法を言うと、店の男が鋸でその場で切った。切り口から木の匂いが立って、鼻の奥まで届く。渡された板は、ケイの手に載ると、思っていたより小さかった。掌より、ひと回り大きい程度だ。


「何に使うんです」店の男は、前掛けの切りくずを払った。


「万力の下に敷く」


「万力。箱の中で寝てるやつですか」


「買った日に、一度掛けただけだ」


「使ってやらないと、拗ねますよ。物は」男は板の隅に、鉛筆で四つ、小さく印をつけた。「穴の位置。ここに」


 戸口から、エマが覗いた。「それが、部品?」


「板だ。部品じゃない」ケイは板の角を指で確かめた。


「十分の中に入れる?」


「入れない。使う日が、まだ先だ」


 エマは板を眺めて、何も聞かずに先へ歩いた。ケイは板を脇に抱えて、後を追った。歩くたびに、板の角が脇腹に当たった。それが、妙に心地よかった。


     * * *


 店の奥の席は、氷の棚の裏にあった。棚に並んだ魚が、卓のすぐ脇で目を光らせている。卓が傾いていて、エマの水のコップが、片側へ寄っていった。脚の一本が短い。座金があれば十秒で直る。ケイは膝の上で、拳を握った。エマは何も言わずに、紙のコースターを折って、脚の下へ挟んだ。


「見てたでしょ、脚。触らなかった」


「今日は、休みだ」ケイは握っていた拳を、膝の上でほどいた。


「偉い」エマは笑いを堪えた。コップの水面が、ぴたりと止まっていた。


 魚は、皮がついていた。焼いた皮が、箸を入れると小さく割れる。中まで熱い。窓の外では、人が歩いていた。誰の船が何時に出るのか知らない顔のまま、飯を食っていい場所だった。ケイは最初の一口を飲み込んで、皿を見た。


「どう」エマの皿は、まだ手つかずだった。


「これ、オトに焼き方を聞かれる」


「先に、自分の感想」エマは箸の先で、ケイの皿を指した。ケイは、もう一口取った。皮の香ばしさが、骨の際まで続いている。「うまい。前に食った魚より、好きだ」


 エマはようやく、自分の皿へ戻った。骨を外す手が速かった。荷の数を確かめる手つきに似ていた。


「ポルカの契約は、更新した」エマは骨を皿の端へ寄せた。「百八十日を過ぎても、七日ごとに寄る。買っても、買えなくても、私はあの口へ寄る」


「買えなかったら、ラズの会社と話すことになる」


「そのときは、交渉し直す。安く寄る気はないから。あなたが買っても、値段は曲げない。今までと、同じ条件」


「安くしろとは、言ってない」


「顔に書いてあった」


 ケイは笑った。笑ったあとで、エマの顔が笑っていないのに気づいた。


「百八十日目は、コロにいる?」


「いる。その日は、さすがに」


「私も行く。ポルカはナバで休ませて、連絡便で。船長一人のために、乗員全員を動かさない」エマは皿の魚を見たまま言った。「着いたあと、あなたの時間を、空けておいて」


「全部、空ける」


「買う手続きが先。私は待てる」声の高さが、下がった。ケイはエマの手を見た。索を握り続けた手で、指の付け根が硬い。「私がポルカを買った日は、誰にも言いそびれた。夜に、船の中で、一人で座ってた。何も起きない夜だった」エマの声が途切れて、ケイの箸が止まった。


「だから、見たいの。買った顔を。あなたの都合じゃなくて、私の都合」


 うまい返事を探した。答えのつもりの言葉が、口の中で二つ三つ、崩れた。指が、卓の下の、折ったコースターの縁を撫でている。


「じゃあ、ちゃんと買う」


「それは、自分が欲しいからでしょう」


「そうだな」


 エマは、まだ温かい皿を、ケイのほうへ寄せた。ケイは、その皿を受け取った。


     * * *


 店を出ると、港の通路の灯りが、一段落ちていた。夜の時間割だった。エマは連絡便の乗り場まで一緒に歩き、そこで足を止めた。


「私は、明日の朝の便で戻る。あなたは、今夜のうちに」


 ケイの端末が震えた。ヴィクからだった。短い一行が届いている。『最終検査の日取り、確定。百七十六日目。立会人の欄に、ラズ』


「見る?」エマが、画面をちらりと見た。


「今日は、休みだ」ケイは端末を伏せた。伏せた掌の下で、画面がもう一度光ったのが、指の腹に伝わってきた。


読んでいただきありがとうございます!

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