第44話 大きい方を、こっちへ
トレイが横を向くと、窓の外に壁ができた。運搬船の腹だった。ハチのフロントガラスの端から端まで、平たい鉄の面が塞いでいる。荷台の縁の手すりが、黄色い灯りの中で、一本ずつ浮かんだ。昨日まで正面にあった荷台の入口が、今日は右手にあった。一基目の跡が空いたのに、リレーの船はその隙間へ入れない。真ん中の庫へ線を短く渡すには、受ける側の荷台を寄せて、向きを変えてもらうしかなかった。
「この角度から先は、寄せられない」トレイの船長が言った。「四十五度。それ以上回すと、左舷の荷役柱が庫に当たる」
「六十度なら」
「俺の柱は、俺の船の一部だ」船長は耳の鉛筆を抜いて、画面の中で振った。「当たったら、柱が折れるか、庫が凹むか。どっちも、あんたの仕事の外」
ケイは紙に、四角を描いた。四十五度の荷台。真ん中の庫。そこへ庫を向けるには、角度が足りない。足りない分は、船を動かさなくても、庫のほうが回せば出る。
「庫のほうを、ひねる。トレイは、そこで止まっててくれ」
「止まる。止まるのは得意だ」
「タルク。庫を持ち上げたまま、回せるか」
「三十度なら」重曳航艇の船長は、掌のカップを持ち替えただけだった。
「三十でいい」ケイは四角の脇に、斜めの線を足した。庫を三十度回せば、脚は荷役柱を避けて、荷台の奥の受け架へ入る。譲ってもらわなくても、自分の側を動かせば足りる。そういう解き方は、いつも、いちばん簡単だった。
* * *
二基目は、夜のうちに、配送所の壁から切り抜かれて出てきた。リレーの線は庫の下から渡された。ケイは線が脇を通るあいだ、ハチを庫の下に置いて、腕を畳んでいた。昨日、庫を支えたくなった腕が、今日も動きたがっている。右は早い。左は遅れる。早いことが、危ない日もあった。
「切り替え、始めます」現地の担当が言った。「四」
唸りが消え、四秒後に戻った。リレーの船長が「四秒」とだけ言い、庫の外の灯りは、点いたままだった。
「持ち上げる。ゆっくり」タルクが言った。
庫が宙で三十度回った。ボウが横から、振れを一つずつ潰していく。トレイの荷役柱が、庫の角から、掌三枚ぶん外れて脇を通った。ケイは庫の後ろの角へ回った。人の肩が通る隙間でも、荷物の角は残る。角を先に見る。配送所の細い支柱から、庫の角が離れた。
「後ろ、抜けた。トレイへ」
庫の底の厚い脚が、受け架の手前の案内に、先に触れそうだった。ケイは、真っ直ぐ押し込みたくなった。押し込めば入る。入るが、脚が曲がれば、次に下ろすとき困る。
「タルク、ほんの少し上げてくれ。ボウは、同じ向きで」
脚の下に、細い隙間ができた。ここでトレイを動かせば、その隙間を自分で見失う。三隻とも動かしたくなる気持ちを、ケイは飲み込んだ。
「トレイは、止めたまま。庫だけ、そっちへ」
白い箱が前へ出た。案内を越えた所で、下ろす。厚い脚が受け架の奥へ収まり、固定が閉じた。
「二基目、受けた」トレイの船長が言った。
ボウが息を吐いた。「大きい船を先に動かさなかったのは、今日は正解だったね」
「回すのも、ただじゃないだろ」ケイが言うと、ボウは干した魚を指で弾いた。
「ただじゃない。回した角度の分、もらうよ」
笑い声が、別々の船から重なった。テツの点検機が上から撮った映像が、壁の画面に流れている。荷台の上に、白い箱が二つ。そのまわりを、重い船と、平たい船と、線を引く船が囲んで、碁盤の目のように並んでいた。いちばん小さい黄色は、庫の影の中にいて、見つけるのに時間がかかった。
* * *
その夜、ハチの狭い席で、ケイは固まりかけた飯を食った。通信に、トレイの船長が出てきた。
「あんた、庫の下に入る前に、必ず荷重を聞くな」
「聞かないで入るほど、器用じゃない」
「空荷で帰るのが嫌いな理由、教えてやる。軽いと、船が落ち着かないんだ。重いのを積んで初めて、舵が言うことを聞く」船長は画面の中で、鉛筆の先を舐めた。「あんたは、逆だろう。何も掴んでないと、手が落ち着かない」
「そうかもな」
「あんたの艇は、いつも何か掴んでる。今日は、掴まなかった。それが、いちばん重い仕事だったぞ」
ケイは答えず、飯を口に入れた。冷えた飯には、冷たい重さがあった。
* * *
三基目は、翌日の夕方だった。真ん中を空けたので、線を渡す道は広かった。庫を回す必要もない。ケイは、こういう日が危ないと知っていた。慣れた日に、庫の脚が壊れる。トレイへ近づくとき、ボウは後ろを見て、ケイは荷台側から空きを伝えた。庫の下では、テツが灯りを三つ入れている。三本目のアンカーは、どこにもなかった。
「切り替え、始めます。四」
唸りが消えた。数える声が、三、二と続いて、一のところで、唸りが戻らなかった。庫の外の灯りが、消えたままだった。ケイは座席の中で、指を握った。
「コネクタが入らない」現地の担当が、荒い息で言った。「接点に霜。もう一度」
九つ数える間、庫は黙っていた。唸りが戻り、庫の灯りが、ぱち、と点いた。
「九秒」リレーの船長が言った。声が、いつもより低かった。「四秒って言った。九秒だ」
「霜は、庫の側の話だ」
「知ってる。それでも九秒だ」
誰も、それ以上は言わなかった。ケイは庫の外側の温度表示を見た。数字は動いていなかった。だが記録は、九秒を残していた。
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