第43話 つないだまま、外へ
庫の底とハチの背のあいだは、指三本ぶんしか空いていなかった。
ケイは座席の中で首を縮めた。頭の上に、白い箱の腹がある。セト配送所の荷役ホールは外壁の半分を開けて、冷凍庫三基を星空へ向けていた。壁沿いに並んだ一基目の下へ、ハチは腹を擦る高さで入っている。ホールの外では、四隻の船が開口部を囲んで浮いていた。真上にタルクの重い船体。横にボウ。荷台を広げたトレイ。離れた位置で、線を持ったリレー。灯りを絞ると、庫の底に降りた霜が、細かい砂のように光った。脚は四本、太い鉄で、四隅の板に溶接されている。
「荷重は、誰に乗ってる」答えを待つあいだ、背中の座席が、やけに薄かった。
「俺だ」タルクの声が、通信の底から響いた。「全部。お前の上には、何も乗ってない」
「もう一度」ケイは言った。確かめる回数は、減らさない。
「全部、俺。今の重さは、俺が知ってる」
重曳航艇は庫の真上の専用架に取りついて、重さの大半を吊っている。残りを受けているのは、庫の脚が床に触れている、その線だった。ケイは灯りを右奥の脚へ向けた。トレイの船内から遠隔で操縦しているテツの点検機が、先に入って、同じ隅を照らしていた。テツの声が、通信の中で小さく震えた。
「……ありました。右の奥。図面にないやつです」
脚の内側から、太い床アンカーが一本、床へ刺さっていた。配送所の誰かが、あとから足した物だ。頭に霜が薄くついている。ケイは右の爪にカッターを掴ませて、根元に当てた。刃を入れると、鉄の嫌な軋みが座席まで来た。二度、三度と回して、頭が飛んだ。
「一本目、切った」ケイは飛んだ頭を、爪の先で受けた。冷えた鉄が、爪の上で小さく転がった。
「こっちの線も、庫の脇まで来てる」リレーの船長が言った。「現地の有資格者がつなぐ。次で、四秒だ」
庫の腹の向こうで、圧縮機の唸りが、低く続いていた。ケイはそれを背中で聞いていた。唸りが止まれば、三時間暗かった夜が、指の裏へ戻ってくる。戻ってくるその感触を、ケイの指は、もう覚えてしまっていた。
「切り替え、始めます」現地の担当の声だった。「カウント。四」
唸りが、消えた。座席の壁を伝っていた震えが、抜けた。
音のない四秒は、長かった。庫の腹から、冷えた鉄の匂いが降りてくる。ケイの耳の中で、血の音だけが鳴っていた。三、と誰かが数えた。二。手動始動を待った、あの四十分と同じ長さに感じた。
一。唸りが、戻った。リレーの電気が庫の腹の中で圧縮機を叩き起こし、庫の外側の小さな灯りは、最後まで消えなかった。
「切り替え、四秒」リレーの船長の声は乾いていた。「一秒も延びてない。次。庫を出す」
ケイは口の中で、長く息を吐いた。ここまでは、まだ序の口だった。
「持ち上げる前に、もう一度、全部の脚を見せてくれ」ケイは通信に言った。「図面にないアンカーは、一本見つけたら、もう一本ある」
「経験か」タルクが聞いた。
「停電の夜に覚えた。一つ見つけて安心すると、二つ目を見落とす」
テツの点検機が、灯りを一周させた。左手前。左奥。右手前。留め板の裏側は、灯りの角度で、黒い影になった。
「……見える範囲は、全部、床に触れてません。ほかに刺さってる物は、見えません」
「見えません、か」
「見えないだけで、ないとは、言えません」テツの声が、硬くなった。それでいい。ケイは声に出さずに、頷いた。
「持ち上げる。三センチ」タルクが言った。
庫が動いた。ハチの背の上の指三本が、四本になる。霜の上に、脚の影が薄く伸びた。ボウが庫の横の振れを抑え、船体の低い唸りが通信の向こうで鳴った。
「二センチ。……待て」
タルクの声が止まった。同時に、ケイの座席の右下で、金属が高い音を立て始めた。
弦を弾くような音だった。張っている。切れる寸前に鳴る音だ。ケイは灯りを右奥の脚から、左奥の脚へ振った。右の脚は宙に出ている。左の脚だけが、床から離れなかった。庫が、右だけ持ち上がって、ゆっくり捻れ始めている。
「動くな。誰も動くな」ケイは通信に言った。声は、低く出た。
左奥の脚の内側、留め板の陰に、もう一本、アンカーがあった。テツの点検機の灯りでは影になった場所で、ハチの低い目線だけが、その陰まで届いた。庫の捻れに引かれ、リレーの太い線が、右奥の接続部で真横へ引っ張られている。線のコネクタは、爪の先で、ぎりぎり嵌まっていた。
「線が抜けたら、庫はまた止まる」リレーの船長の声が、初めて速くなった。「四秒じゃ済まない」
「切る。左の奥」ケイは言った。線の張りは、もう待ってくれなかった。
ケイは左の指を先に出した。指令から動きまで半拍遅れる腕だ。コネクタの根元を押さえるのは、左でなければ届かない。命令を先に投げ、右の爪にカッターを持ち替えさせて、庫の腹を見上げた。庫が、きしんだ。
「タルク、上げも下げもしないでくれ」
「上げも下げもしない」
「ボウ、右の振れを、ゆっくり殺して」
「殺してる」
左の指が、コネクタの根元に触れた。押す。線の張りが、糸のように指の腹へ伝わってきた。半拍遅れて動いた指が、線の張りを、爪の分だけ緩めた。その爪の分の隙に、右のカッターがアンカーの根元へ入った。刃が食い込み、鉄が悲鳴を上げる。頭上で、庫の腹が、ぐう、と鳴った。頭が、飛んだ。
左の脚が、床から離れた。捻れが解けて、庫が一気に水平へ戻ろうとする。ケイの目の前を、太い脚が指一本の幅で掠めていった。
「受けた」ボウが言った。「横、止めた」
「上げる」タルクの声は、短かった。重曳航艇の架が、低く軋んだ。
庫が、ハチの背から遠ざかった。指四本が指十本になり、腕が入るほどになり、ケイの頭上から、白い腹が消えた。庫の腹があった場所に、星の光が降りてきた。線は張らず、緩やかな弧を描いたまま、庫を追っていった。コネクタは、嵌まったままだった。
「……庫の灯り、消えてません」テツの声が割れた。「温度、変わってません」
「今のは切り替えじゃなくて、引っ張りだ。四秒には、数えない」リレーの船長が言った。それが、乾いた声の、最大限の褒め方だった。
「うちの横も、褒めていいよ」ボウが割り込んだ。
「請求と一緒に、書いとく」ケイは口の端だけで言った。
「褒め言葉は、無料にしといて」ボウの笑い声が、通信の底で小さく弾けた。
ケイは座席の中で、ようやく肩を落とした。手袋の中で、指がほどけなかった。「テツ」
「はい」
「一本目は、お前の灯りで見つけた。二本目は、影で見えなかった。次の庫は、灯りを二つ入れてくれ」
「三つ入れます」テツの声は、まだ震えていた。「影を、拾えなかったので」
「拾えない影が、あるんだよ。だから下に入る。それは、俺の仕事だ」ケイは自分の指に、もう一度、力を入れて握って、開いた。
ハチを庫の下から後ろ向きに出して、ホールの外へ回った。星空の中に、白い箱が浮いていた。一基が宙に吊られ、二基が壁際に残っている。吊られた箱の脇を、ボウの平たい船体が押さえ、頭上を、タルクの重い船体が覆っていた。庫からトレイへ、リレーの線が緩く弧を描いている。トレイの荷台が、平らな腹を広げて待っていた。その小さな隙間に、黄色いハチが、灯りを一つ点けて浮かんだ。
「庫を、そっちへ渡す」
言い終えてから、ケイは乾いた唇を一度舐めた。
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