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星を買うには三百人  作者: 雅龍(がりゅう)
第4章 あと二百人、その先の四人

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第41話 引き抜き

 黄色は、敷居を越えて、一メートル二十センチ伸びていた。


 百二十日目の朝に着いた十一人が、それぞれの十センチを塗った結果だった。扉の向こうの床は、客が最初に踏む場所で、そこに黄色い帯が、真っ直ぐ延びている。ユイが、壁の定住開始日の案内紙を剥がした。紙の跡が四角く白く残って、ケイはその縁を指で撫でた。


「三百十二」ユイは紙を丸めた。「ここから先は、増えない。減らさないだけ」


「十二の余裕だ」


「余裕って言い方、私は好きじゃない」


 その翌日の昼、食堂の厨房で、オトが手を止めずに言った。


「奥の席に、見ない客がいる。煮込みを二杯頼んで、二杯目は持ち帰りだって」


「どんな客だ」


「革の靴。皿の持ち方が、店の人」


 奥の席に、ラズがいた。卓を囲んで、三つの家族が座っている。周りにも、立ったまま話を聞いている住民が七、八人いた。卓の上に、案内の紙が広げてある。ケイは通路の途中で足を止め、それから、まっすぐ歩いた。


「ケイさん」ラズは立ち上がり、靴の先を揃えた。「お邪魔しています。ここは食堂で、私は客です。案内は、持参した物を机に置いているだけ。皆さんが聞きたいと言ってくださった」


 ケイは答えなかった。卓が、傾いていた。ラズの湯呑みの中身が、片側へ寄っている。ケイは膝をつき、卓の脚の下を覗いた。ポケットから樹脂の薄い座金を出す。頭上で、テツが工具袋を持って立っていた。


「座金。薄いの」


 テツが渡した。ケイは脚の下へ差し込み、指で押した。卓が、水平になった。ラズが湯呑みを持ち上げて、作業のあいだ、空中で待っていた。


「その脚、気になっていました」


「六角。二番」ケイはテツに言った。それ以外の言葉は、口の中で止めた。


 ラズはケイの手が離れるのを待って、卓を見回した。「リムの六十四人棟を、住宅に戻しました。賃料は、コロの七割。引っ越しの費用は当社が持ちます。契約は一年で、コロから半日の便が出ています」


 三つの家族のうち、真ん中の父親が、紙を持ち直した。


「それと、正直に申し上げます」ラズは、声の高さを変えなかった。「ケイさんの購入が成らなければ、この岩を買うのは私です。分解して、部品として売ります。その時は、皆さんに転居先が要る。先に探しておくのは、私にとって都合のいい話ですが、皆さんにとって悪い話ではないでしょう」


 食堂が、静かになった。皿の音だけが、厨房のほうから続いている。


 ラズはケイに向き直った。数字を確かめる声だった。「三百十二人のうち、六十日を数え終えていない人が大半です。十二人の余裕を、あなたは余裕と呼ぶ。私は、十五人は出ると見ています。新しい家に移って二か月のうちに出ていく人は、たいてい一割を超える。私の見立ては、外れたことが少ない」


「うちは」


「ケイさんの家が悪いと言っていません」ラズは頷いた。「いい家です。私もそう思う。ただ、家賃が三割違う」


 ケイは、卓の下の座金を見ていた。自分が挟んだ薄い樹脂が、ラズの卓を、水平にしている。


 そのとき、食堂の天井の拡声器が、ぱち、と鳴った。


「はい、コロです。夕方の雑談の前に、ちょっとだけ」ユイの声だった。「今、食堂で、うちより安い家の話をしてるって聞きました。聞くのは自由。私も、聞けば揺れる。だから、先に言っておきます」


 住民たちが、天井を見上げた。ラズは、湯呑みを置いて、同じ方向を見た。


「うちは、何もありません。窓は高いし、家賃は安くないし、船が来ない日もある。でも、ここにあります。朝ごはんのあとにも人がいる廊下と、子供の机と、あなたが昨日つけた棚。持っていけない物が、ここにあります」


 放送が切れた。


 誰も、動かなかった。立っていた人たちが、足を組み替えたり、壁に寄りかかったりしている。ケイは立ち上がって、食堂の奥の隅へ歩いた。食堂のあちこちに、六脚の椅子が散らばっていた。脚の内側に、一から六までの番号が書いてある。ケイが倉庫の鉄の脚と余った座板で組んだ椅子だ。壁際、配膳台の脇、窓の下。一脚ずつ抱えて、卓の周りへ運んだ。


 口は開かなかった。頭を下げる言葉を探すより、椅子の脚を床に置く音のほうが、確かに聞こえた。一番、二番。立っていた年配の男が、腰を下ろした。


「座ってから、決めましょう」サエが、いつの間にか隣に来ていた。「立ってると、安いほうへ足が動くから」


 三つの家族と、周りの住民が、椅子に座った。ラズは、最後の一脚が置かれるまで、湯呑みを卓に置いたままでいた。


 結局、残った家族は二つだった。三つ目の一組、若い夫婦は、紙を折って上着へしまった。


「ごめんなさい」


「謝るな」ケイは言った。「安いのは、本当だ」


 夫婦は、ケイの顔を見ずに頷いた。ユイが、拡声器の下で腕を組んだまま、目を閉じていた。


 ラズは立ち上がり、勘定を卓へ置いた。「オファーは、百八十日目まで有効です。決めた方は、いつでも」


 出口へ向かう途中で、ラズは椅子の一脚に指を触れた。脚の番号を、爪の先で、なぞる。


「いい物ですね。私なら、分けずに、そのまま売る」


「売らない」


「そう言うと思いました」ラズは軽く会釈した。「十五人。当たらなければいいですね」


 靴音が、廊下の角へ消えた。厨房から、オトが顔を出した。


「持ち帰りの煮込み、鍋を貸したまま行ったよ。返しに来るってさ」


 ケイは、椅子の一脚に座った。二番だった。座面が、少しだけ低かった。


読んでいただきありがとうございます!

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