第4話 使える部屋は十一人分
鍵を開ける音が三度して、三つ目の部屋に、ケイの巻き取り機がいた。
「もう増えてる」鍵束を持ったユイが、入口で言った。ケイの部屋は扉が閉まらなくなったので、巻き取り機は隣の空室に一晩泊めてある。筒の胴が床の真ん中に座り、ケーブルの端が壁の穴へ向かって伸びていた。壁の向こうは、四つ目の部屋だった。
「引っ越し翌日に隣の部屋まで使う人、初めて見た」ユイは筒の胴を、爪の先で叩いた。中身の詰まった音がした。
「扉が閉まらなくて」ケイは巻き取り機の輪を撫でた。
「閉まる量にして」ユイは端末の図面に、『荷物撤去』と書き込んだ。ケイの名前は、そこにない。住民窓口の担当で、二十四歳。喋る速さが歩く速さと同じで、ケイは気づくと、掃除機を握って部屋に立たされていた。
「はい、あなたの分。テツ君は窓の下。私は午前、連絡があるから、寸法と写真はあとで送って。案内は、今した」
「何も案内されてない」ケイは掃除機のホースを持ち上げた。渡されたのは、道具だけだった。
「ここまで全部使用可。空きは十一人分、部屋の数じゃないよ。三人用に四人入れないでね」ユイは入口の札をめくってみせた。一人用と三人用がある。言うだけ言って廊下の端へ戻り、白いテープの太い巻きを抱えて帰ってきた。
「これ、三百人分。十センチで一人。食堂の入口から接岸口の扉まで貼っていくの。今の住民の分だけ、黄色く塗る」
「三十メートルか」ケイは廊下の突き当たりを目で測った。曲がり角の分を足せば、ちょうどそのくらいになる。
「ケイが十七人目。黄色は、そこまで」床にしゃがんで巻きを転がしながら貼っていく手つきは、ケイの荷造りより速かった。白い帯が、廊下の角を曲がって見えなくなった。戻ってきたユイは、黄色の下の縁に細い黒のペンで線を引き、十六区画目の終わりでペンを上げた。ケイの十センチの下は、白いままだった。
* * *
掃除機の柄を、テツは操縦桿のように握っていた。十七歳の設備見習い。ヴィクに預けられた小型の点検機が自慢で、昨日も修理ベイの床で遠回りさせて遊んでいた。その点検機が、いまはテツの足元で、カメラを下に向けて待機している。
「その点検機、レンズのカバーが変じゃないか」ケイは屈んで、点検機の目玉を覗き込んだ。光の返りが、一点だけ濁っていた。
「レンズですか。カバーって言えばカバーなんですけど、光の当たり方で見え方が変わりますよね、白いのか黄色いのか、そもそもこの通路の塗装が」
「割れてる」その一言で、テツの口が止まった。上に向けたケイの掌へ、点検機が渡ってきた。カバーの真ん中に、髪の毛ほどの亀裂が走っている。
「ぶつけたのはいつだ」ケイは亀裂を爪で辿った。浅く、レンズまでは届いていない。
「……昨日の、昼です」
「ヴィクには」ケイが訊くと、テツは答える代わりに、自分の靴の先を見た。点検機は、主人の靴の隣で、同じ方向を向いていた。
「直ってから、言おうと」
ケイは上着のポケットから、ジップつきの小袋を出した。透明な輪が二十個ほど入っていて、袋の表に、自分の字で『いつか』と書いてある。指で挟んで光に透かし、一つずつ弾いた。三つ目で止めた。爪ほどの径の、透明な樹脂の輪だった。カバーの枠に当てると、かちりとはまった。
「前の前の会社の、ドローンの」ケイは袋の口を閉じた。
「なんで持ってるんですか」テツの声には、感心と呆れが半分ずつ混じっていた。
「いつか使う」亀裂の入った古いカバーは、袋に入った。テツは、はまった新しいカバーをじっと見ていた。
「直したのは俺だ。傷のことは、直る前に言え。ヴィクには今から行く」
「今からですか」テツは点検機を抱え直した。
「一緒に行くか」その問いに、テツは首を横に振ってから、縦に振った。
ヴィクは修理ベイで、ハチの点検表を書いていた。テツが早口で経緯を並べ終えるのを、ペンを止めずに聞き、聞き終えてから、割れたカバーの入った袋をつまみ上げた。
「レンズのカバーより、言わない口のほうが高くつく」ヴィクはようやくペンを置いた。
「はい」テツの背筋が伸びた。声は小さく、硬かった。
「今日は言えた。それでいい。……その袋、どこの規格」
「ドローンの」ケイが答えた。
「その『いつか』の袋、あとで私にも見せな」ヴィクは割れたカバーを、光に一度かざしてから、袋ごと自分のポケットへ落とした。
* * *
共同室の前だけ、鍵に赤い札がついていた。中に空気はあるし、床も抜けていない。ただ灯りが消えていて、居住棟へ抜ける近道は塞がれたまま、今も食堂を挟んだ大回りが続いている。
「三百人の街より、私はこの部屋の灯りを先に点けてほしい」ユイは、共同室の奥の小部屋を指した。「あそこ、声が廊下に抜けないの。昔、音の出る機械を置いてたから。放送室にする。私の番組」
「番組」ケイは天井の配線から目を戻した。
「住民募集も流す。窓口の横で撮れって言われるのは、もう嫌。自分の机と、閉められる扉が欲しい。ケイ、出演できる?」
「それを依頼に数えるな」ケイは言ったが、ユイは、もう撮影位置を測っていた。ケイが見ていたのは天井の配線だったが、彼女の端末は、机を置く高さを向いている。
その間に、テツが保守棚の前にしゃがんだ。指が、棚の奥の袋を一つ、つついた。「これ、昨日のポンプと同じ印じゃないですか」
古い機械の予備部品が、棚の奥に袋詰めで残っていた。テツが取り出したのは、掌より大きい金属の輪だった。袋の文字は褪せて、読めない。
「点検の写真は文字が読めるまで寄れって、ヴィクさんに言われたんで」
「寄って読んだのか」ケイは袋を光に透かした。
「読めなかったんで、もっと寄りました」
ケイはノギスを出した。ポンプから外した軸の径と、輪の内径が、目盛りの同じ所で止まった。袋は開いていない。年数の分だけ黄ばんでいたが、金属の艶は生きていた。
「あった」ケイは輪を掌に載せた。重さは、ポンプの受けと同じだった。
「あったんですか」
「ある。お前が寄った分だけ」
ヴィクへ、場所と番号を送った。管理権の対象の在庫だ。最後の一つでないことも確かめた。持ち出しの記録が要る、という返事が来た。
廊下へ戻ると、三つ目の部屋の扉に、いつの間にか手書きの札が貼ってあった。『入居者:巻き取り機(仮)』
「仮って、何だ」
「仮の間は家賃が要らない。決めるのは私」
札の『仮』の字だけ、ほかより小さかった。
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