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星を買うには三百人  作者: 雅龍(がりゅう)
第1章 まずは一隻、泊めてくれ

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第3話 回収屋の手つき

 ポルカは接岸口から百メートルほど離れた位置で、船腹をこちらへ向けて浮いていた。


 白い船体を、黄緑の線が横に一本走っている。線の下が荷役口で、口を覆う外装板は畳二枚を縦につないだほどの長さで、ハチとほとんど同じ長さがあった。裂けた下端がレールの溝に噛みつき、上には、灯りとレールを覆って張り出した鉄の庇が、板の頭のすぐ上にかぶさっている。庇の裏には、細かい傷が並んでいた。こういう所で、何度も何かが擦れたのだ。


 ケイはハチを板の周りに一度回した。板の裏には、誰かの手書きの番号が白い塗料で残っている。リブの端に、古い修理の当て板が一枚、溶接されていた。この板は、前にも一度、直されている。当て板のある側のリブは、堅い。


 ハチを板の正面に寄せて、手の届く距離で止めた。剥げた塗装の縁に、溶接の玉が並んでいる。リブは二本。板の裏、上から三分の一の所を通って、その端が縁に出ていた。持つなら、あの二つの端しかない。


「この板は、まっすぐ引くと上の角が庇に食われる」ケイは通信機に向かって言った。「だから寝かせる。長い辺を軸にして回して、庇の下を斜めに通す」


「斜めに」ヴィクの声が返った。「回す途中で、板の重さが右の付け根へ全部行くよ」


「行かせる。左で受ける」


「左は遅れる」


「先に出す」


 返事の代わりに、ケイの計器の隅へヴィクの印が灯った。荷重の画面を、向こうでも開いたのだ。


「船内、位置についた」乗員の声が入った。


「右のリブを掴む。掴んだら合図する。それまで、最後の二本には触らないでくれ」


 右の指が縁の端を挟んだ。ゴムの当て板が、金属の冷たさをそのまま拾ってくる。左の指は、上の角の裏へ回した。半拍遅れる左には、先に命令を出しておくしかない。


「一本目、緩めてくれ」


「緩めた」


「一度止めな」ヴィクが割り込んだ。ハチの右の付け根の荷重が、彼女の画面に出ている。「……まだ余裕がある。続けていい」


「二本目」


「緩めた」乗員の声と一緒に、板の重さが右腕に乗った。付け根の駆動音が半音下がり、座席まで振動が這い上がってくる。重心がずれて、ハチの噴射が自動で左を吹かし始めたので、ケイは手動に切り替えた。指先のわずかな入力が、艇の姿勢を保つ。下端はまだレールを噛んでいる。板の縁に指を深く送り、手前へ、下へ、五センチだけ引いた。鉄と鉄が擦れる嫌な音が続き、下端が溝から抜けた瞬間、板は自分の重さで、上の角から外へ倒れ始めた。角の先には、庇の縁がある。


「動くな。今は誰も動くな」


 左の腕が動いた。ケイが言う半拍前に出しておいた命令が、ちょうどそこで効いた。左の指が上の角を裏から押し、右が下端を手前へ送る。立っていた板は、長い辺を軸にして、ゆっくり寝ていった。庇へ向かっていた上の角が、庇の下へ、斜めに滑り込んでいく。


 見えるのは光だけだった。船内の乗員が荷室の灯りを一つ増やし、庇の裏と板の角の隙間から、細い光が漏れている。最初は指三本の幅だった。二本になり、一本に細り、糸になった。息を止めていたことに、ケイが気づいたのは後だった。板の角は、庇の裏を撫でるようにして進んでいく。触れたのか、触れていないのか、ケイの手には伝わらなかった。伝わらないほど軽く通れば、それは触れていない。


 光の線が、ふっと太くなった。


 板が庇の下を抜けた。剥がれた塗料の粉が一片だけ漂って、船の窓の前を横切った。


「船長、抜けてます。レールも動きます」


「レールはまだ待て。俺が離れるまで」


 映像の隅で、エマの指が制御盤の縁を握って白くなっていた。それが、指の順にほどけた。


「切らずに出たのね」


「切る手間が減った。請求は減らないけど」


「そこは承知してる」声が、最初より近くに聞こえた。返事より先に、ケイはハチの操縦桿から手を離し、掌を膝で拭った。汗が指の間に溜まっていた。拭い終えてから、船内の乗員へ言った。


「その灯り、助かった。動かさないでくれて」礼の言い方は、昔から下手だった。それでも、通信の向こうで、誰かが小さく息を吐いて笑った。


     * * *


 外した板は、立てて脇に抱えて運んだ。表を進行方向へ向けると前が見えないし、いざというとき、腕だけで向きを変えられない。コロの外側へ回る途中で、ケイは左のライトを一段、上へ向け直した。板の影が、さっきより浅く見えた。


 使われなくなった資材の固定台を、ヴィクが今回のために空けてくれていた。旅客口とは反対側で、台の奥には古い部品が二つ、まだ残っている。


「置けるよ。詰めれば」


「詰める前に、板がでかい」


「あんたの荷物より小さい」


 比べなくていいことを、ヴィクは言った。返事の代わりに艇を傾け、板の長い辺を台の縁に合わせた。最後の数センチは、ハチを動かさず腕だけで送る。一つ目の固定具が閉じた。二つ目を閉じる前に、右腕から力を抜く。板は傾かなかった。残りを閉じて、ヴィクの確認が届いてから、両腕を離した。


 板の表が、鏡のように光っていた。黄色い小さな艇と、その向こうのコロの岩肌と、星が映っている。縁材の厚みが目に入った。使えそうだった。使えそうだが、今日は預かり物だ。写真を撮り、所有者の欄にポルカの名を入れた。


 エマから通知が来た。「固定確認、受領した」三千二百クレジット。口約束が、請求していい仕事になった。続いて届いた映像では、荷役口が半分ほど開いていた。噛んでいた物がなくなって、レールは軽く動く。溝には、削れた塗膜の粉が細く残っているだけだった。その奥で乗員が親指を立て、つっかえていた空の台車を押した。台車が、すっと滑った。


 いい。こういうのが、いい。


「ケイ。まだ、見る時間ある?」


「金になる方か」


「私が払う方」


 映像が切り替わった。荷室の冷却用ポンプだった。動いてはいるが、外から見て分かるほど細かく震えている。乗員が固定部に手を置くと、震えは手袋まで伝わって、指先が一緒に揺れた。船のマイクが、その音を拾った。歯の根が鳴る高さに近かった。


「板がぶつかった時から。今は予備で回してるけど、次の荷を積むまでには戻したい」


「外側に出せる型か」


「そこまでは、こっちでやれる」エマの返事を聞きながら、型番と音を記録した。軸が曲がった音とは違う。断言はできないが、根元の受けを替えれば直る見込みはあった。コロの修理ベイなら、外したポンプは運び込める。


「外して、預かる。開けて駄目なら、手を入れる前に連絡する。直して、戻して、試すところまでで、五千八百」


 エマは乗員と短く話し、こちらへ向き直った。「明後日の昼まで。駄目なら、予備でナバへ戻る」


 画面の隅で、点線は消えていなかった。板の分だけ短くなるどころか、期限がついて、一段太く見えた。


「了解。持ってこい。ハチの腹に載る」


 ケイは腹の荷台の留め金を外した。今度は最初から、頼まれて出ていく。


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