第2話 泊められない港
「その留め具、一本曲がってない?」
通信の最初の一言が、それだった。映像はポルカの船外カメラが撮った物で、コロの接岸口を正面から映している。画面の真ん中で、曲がった爪が、ずれた指のように光っていた。
「曲がってる。ほかも調整前だ」ケイは画面の爪を、指で押さえた。ずれた角度は、映像越しでも直せそうに見えた。
「じゃあ接岸は取りやめ」
返事が早い。映像の女は短い髪を片耳にかけ、隣の誰かへ指を二本立てた。船が向きを変え始める。客席三十六、乗員四人の貨客船は、ハチの十倍は腹が広い。
「船長のエマ・リード。管理人はあなた?」
「ケイ。管理人は今日から。修理屋は前から」
「今回は貨物だけで、乗客はいない。でも荷役口の外装板が裂けて、下のレールに噛んでる。積み口が開かない。次の積み込みの時刻は決まってて、ナバまで戻れば、作業艇の順番待ちが二日」エマは事実を、番号を振るように並べた。「だから探してる。それで、あなたの所は、曲がった留め具に船を預けさせる気?」
「預けなくていい」
ケイは送られてきた板の映像を、指で広げた。荷役口を覆う外装板の下端がめくれて、荷物を動かすレールの溝に噛み込んでいる。船体に穴はなく、空気も逃げていない。板の裏を走る補強のリブが二本、画面の端にかろうじて写っていた。持つなら、あそこだ。
「泊める必要はない。外で、その板だけ外す」
「外した板は?」
「ハチで、離れた作業位置まで運ぶ。ポルカを引っ張り回す気はない」
エマは返事の代わりに、手元の画面へ目を落とした。ヴィクがケイの椅子の背を指で叩き、ハチの整備履歴と作業資格を呼び出して、送信欄に並べた。最後の一押しだけは、ケイに任せる。送る。ほんの数秒で、エマの指が止まった。
「左腕の応答遅れ。整備履歴に三回出てる。三回直して、三回戻ってる」
「癖だ。読める癖だ」
「読めなかったら?」
「板が落ちても、船体には当たらない向きに逃がす。その位置取りは、先に決めておく」ケイは言い切ってから、自分の左手を握って開いた。遅れるのは艇の腕で、持ち主は遅れない。
エマは顔を上げて、ケイの目を見た。それから、画面の別の欄を開いた。回収と曳航、六年。ケイの仕事の記録が、灰色の文字で並んでいる。
「条件を言う」エマが指を折った。「一つ。板の内側に冷却管が通ってる。ここ」
赤い線を引いた図が届いた。荷室を冷やす管が、板の裏すれすれを走っている。工具を当てれば、外装の修理では済まなくなる。
「二つ。切らない。留め具を順に抜く。三つ。時刻を過ぎたら、その時点で中止。乗員を待たせ続けられない」
「切ったほうが早いが、やらない。順に抜く」
「最後の二本は、船の中から緩める人が要る」
「緩めてもらう。外に出なくていい。俺が板を支えた合図のあとで」
ヴィクがまた椅子の背を叩いた。「外す前に、一度止めな。荷重が乗った所の映像を、私にも回す」
「請求に入るぞ、それ」
「入れな。仕事だ」
見積は三千二百クレジットで送った。取り外し、運搬、作業位置での固定まで。板を直して戻す代金は入れていない。エマは金額より先に、作業終了の時刻の欄を見た。指が動くのは、受けるときだった。断るときのエマの指は、机の上で止まっている。
「板はうちの物。外したからって、勝手に売らないで」
「使えそうな縁材ではあるな」ケイは画面の板の縁を、指で測った。
「そこは否定してほしかった」
ケイは、もう一押しした。「泊まってくれれば、二時間で直せる。ベイには灯りも足場もある」
「泊めない」
「留め具は、明日には」
「曲がった爪の口に、うちの船は預けない。今日は、何を言われても」
画面の中で、エマの指は動かなかった。曲がった爪と同じで、動く気がない。ケイは肩を落とし、その肩を戻した。板が外れれば、次の話ができる。
エマは乗員へ振り返った。「ナバの作業枠は、まだ消さないで。終わったのを見てから消す」ケイの画面の隅に、ポルカからナバへ戻る航路が、細い点線で引かれた。
ケイは棚から新品のゴムの当て板を取り、ハチの右の指に貼り替えた。古い当て板は、硬い縁を掴むと滑る。貼る前に、ヴィクの赤い線の図を壁の画面に映し、板の裏のリブと冷却管の間隔を、指でなぞって確かめた。二本のリブの間は指三本ぶんの幅で、管を避けている。掴む場所は、そこしかなかった。
修理ベイへ走った。ハチは固定架で、黄色い背中を丸めている。全長は大人が両手を広げて二人分ほど。胴の下に荷台があり、前に短い作業腕が二本。右は言ったとおりに動く。左は指示より半拍遅れる。三度直そうとして、三度失敗した癖だった。座席に滑り込むと、革のシートに昨日の汗の匂いが残っていて、その匂いが、ここに住むよりも先に、ケイを落ち着かせた。
「点線、消えてないよ」ヴィクが通信で言った。ナバへの点線は、ポルカの船首から真っ直ぐ伸びていた。
「消させる」
ケイはハッチを閉めた。固定架の留め具が外れる重い音が、足の裏に響いた。
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