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星を買うには三百人  作者: 雅龍(がりゅう)
第3章 ここに住む理由

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第35話 船長の空白

 エマの予定表には、太い斜線が一本、引いてあった。


 ポルカの客席の壁に貼った、透明な板の週間航路表だった。書き込みは油性の鉛筆で、消した跡が薄く残っている。斜線だけが違った。何度も引き直したのか、他のどの線より太く、艶がある。ケイは乗客席の端に座って、その艶を眺めていた。乗客席に座るのは、まだ落ち着かない。座席は、ハチのシートより、ずっと柔らかかった。


「そこへ、戻りの便を入れれば」ケイは斜線の端を、指で叩いた。


「そこは休み」エマは指を動かさなかった。斜線の艶は、その指で擦れたものだと分かった。


 八十七日目。最初に交わした八週間の契約で、ポルカがコロへ来る最後の定期寄港の日だった。契約が終わっても、壁の色は変わらない。ただ、その先の枠だけが、署名のない白のまま残っている。さっき降りた二十二人の荷物が、窓の下を台車で通っていった。荷物の山の上に子供が一人座ったまま、台車ごと運ばれていく。居住は、これで二百二人になった。


「条件を先に言う。続けるなら、同じ曜日の便を、九十四日目からまた八週間。それとは別に、反対向きで寄る日を四回、試したい」エマが鉛筆の先で、斜線の隣の小さな丸を叩いた。「ナバへ戻る便が、これまでコロの外を通り過ぎてた区間。そこに寄れば、片道で待っていた人が、途中で乗れる。新しい航路にはしない。今の往復で、もう一回、止まるだけ」


「九十、九十七、百四、百十一日目」ケイは丸の横の数字を、声に出して読んだ。「四回だけか」


「そう。まず、その四回。増やすかどうかは、数字を見てから」エマは丸を順に指で叩いた。


 帰りの荷の注文が、三つ並んでいた。コロで直した小型機器をナバへ返す。マコの葉を少量、違う曜日にも届ける。ほかの港から来た軽い荷を、コロで積み替える。エマは指を折って、一つずつ数えた。


「行きの荷を待つより、帰りに空いてた所が埋まる。帰りにも、予約してる客がいる」


「だったら、休みは削らなくていいのか」ケイは斜線を見た。斜線は動かなかった。


「削らない形で取ったの」少し強い声だった。エマは鉛筆で、斜線をなぞり直した。


     * * *


 隣の乗員が、休憩の時刻を確かめに来た。通常の四人で回すが、コロで誰が先に下りるかを、行きと帰りで替える。荷扱いの時間まで延びるなら、寄港を増やす意味がない、と言う。ケイは、受け側の当番を書いた紙を出した。来港の前に、受け渡しの荷を揃える。船から下ろした物で通路を埋めない。ケイが回収に出ていても、荷を引き受ける人へ、払う。エマは紙を二度読み、時刻を二つ直して乗員へ返した。


 料金の欄は、空白にしなかった。基本の接岸料は、一回六百。電気の追加分と荷扱い、修理は、これまでどおり別。船賃は、乗る人と荷主が払う。


「患者が乗る日は、安くする。そういう欄は」ケイは料金表の余白を、指で叩いた。


「そういう支援をするなら、町で対象を決めて、船賃を補助して。乗員の給料からは、出せない」エマは料金の数字を、指で押さえた。


「分かった」ケイは頷いた。いい便があることと、全部を安く運べることは、別の話だった。必要なときの医療の搬送は、別に結んだ相談先へ手配してある。この船が、毎日待っているわけではない。エマは航路表の白い枠へ、署名した。ケイも署名した。白かった予定表に、二つの名前が並んだ。


 降りようとして、呼び止められた。


「ケイ。今度の休みの日、暇?」


「その斜線の日か」ケイは航路表へ視線を戻した。


「違う。ケイの休み」エマは鉛筆を耳に挟んだ。


「まだ決めてない」答えるのに、一拍かかった。


「じゃあ、決めたら教えて。魚の店、知ってる。ユイの番組で流れた、食べかけの魚の写真。あれより、おいしい所」


「あれは、俺の魚だ」ケイは皿に残した骨の形を、思い出した。


「食べかけだった。値段は値段。魚は魚」エマが言ったところへ、乗員が荷物の受領を持ってきた。エマの顔が、すぐ船長の顔になる。数を確かめ、署名して、乗員へ返した。それから、ケイのほうを見ずに付け足した。「工具は、持ってこないで」


     * * *


 その晩、食堂の壁の板に、ケイは矢印を描いていた。


 船に乗る人が増える。だから家を買う。家が増える。だから船が来る。矢印は輪になってつながり、どこにも始まりがなかった。ヴィクが後ろから、チョークの粉を袖で払った。


「どっちが先かは、人が来てから決めな。今は、二つ目の窓棟」ヴィクは輪を消しかけて、袖を止めた。


 ナバの二つ目の四十四人棟は、買う範囲がもう決まっていた。一つ目で増やした電源と水の設備へ、準備してある枝をつなぐ。運搬と修復と検査まで、五万四千。ヴィクの見積は、一行で終わっていた。契約を閉じて、端末を開き、エマ宛てに一行だけ打った。『休みを一日、空けた』返事は、三十秒で来た。『日付は』壁の矢印の輪が、始まりのない丸のまま、そこにあった。画面に指を置いた。『決めてない』『決めてから、送って』


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