第34話 買うのは、帰ってから
布を剥ぐと、巻き胴は写真より黒かった。
七十五日目、帰還した足で、ケイは倉庫Bの奥の大扉をくぐった。ヴィクが灯りを掲げ、テツが点検機で床を先に舐める。壁沿いの梁の上だけを歩き、大扉の先の部屋へ入った。床は、こちらは無事だった。埃の下に、レールの跡がある。
人の背丈ほどの径の胴に、綱が二重に巻かれている。掌を胴に当てると、冷たかった。鉄の梃子を差し込み、体重を掛けると、胴が、ごり、と半歩だけ回る。軸受けが古い音で唸り、埃が舞い上がった。
「壊さないで」ヴィクが灯りを揺らした。「胴の軸受けは、たぶん、高い」
「回った。動かなくなってるわけじゃない」ケイは梃子を抜いた。胴の脇の電源盤に、太い線が一本、壁へ潜っている。線の太さを指で測った。今のコロの予備の電気を、全部つないでも、動かした途端に落ちそうな太さだった。銘板は錆びて、定格の欄が読めない。
「読めないから、分からない。動かすのは、当分なし」ヴィクが言った。「この部屋は、点検が済むまで立入禁止。あんたの工具箱は、入口の外」
「この隅なら、置き場に」
「隅は、胴の影になる。寝る場所にするな」
ケイは肩をすくめた。家を二つ曳いてきたのに、自分の工具箱の置き場は、まだ廊下だった。テツが記録を撮りながら、小声で言った。
「ここ、ケイさんの工房にしたら、いいですよね」
「ヴィクの許可が出たらな」
「出ない」ヴィクは灯りを下ろした。
* * *
食堂で、ヴィクは窓棟の話を始めた。ナバの業者が持つ、切り離し済みの中古居住棟。四十四人分。売り手の現物確認は、ヴィクが頼んだ保守員がすでに済ませてある。循環装置は生きていて、湯沸かしも合格だという。
「二つ並べたら、置き場は」ケイが図を引き寄せた。
「一つ目で、配管を渡す道を作る。その先は、その次」ヴィクは図の別の所を指した。家と家の間に、細い線が一本、引いてある。「ここは、保守の通路。部屋の数だけ考えて詰めれば、あとで人が入れなくなる」
「窓が、向こうの家から近くなる」
「あんたの顔が近すぎなくていいだろ」
売り手が通話の向こうで、笑った。ヴィクは表情も変えなかった。二棟を動かしても、古い発電機を点検で止められる組み方にする。毎日、全部の機械が元気でなければ暮らせない家にはしない。取得から輸送、接続、検査まで、五万八千。星の二十六万八千は、動かさなかった。
「これで、また、しばらく広くなるな」
「しばらくの長さは、人による」ユイが通りがかりに、予約の一覧を見せた。八十日目に来たい人が二十人。空きは、今ある十二人分だけだ。検査の返事を待つ期限と、通らなかったときに次の便へ替える条件は、もう伝えてある、と言う。
ケイは範囲を決め、代金の支払いを送った。
* * *
七十七日目、業者の艇が家を曳いてきた。
ケイはハチで外へ出た。全部の綱を自分へ渡せ、とは言わなかった。運んできた船長が、こちらの受けへ家を渡す。ケイは、岩の陰から見えにくい足元と、新しい保守通路の幅を見る役だった。
「最後、どこまで寄せる」運んできた船長の声が、通信に入った。
「そのまま、もう半分。右の腕は畳んで、待ってる」ケイが答えると、家の下の目印が、コロの白い線へ近づいていった。
途中で、受けの留め具の前に、薄い覆いが一枚残っているのが目に入った。強く押せば、潰れる程度の板だ。潰してから拾う仕事にはしたくなかった。
「止めて。覆いを一枚、取る」ケイはハチを横へ入れ、右の腕で外した。
「助かった。潰してたら、その板の代金を請求されるところだった」船長の礼は、雑だった。返事の代わりに、外した板を荷台へ載せた。大きな仕事の次でも、小さい物を一枚どける手は、同じ手だった。
今度の棟は、窓の上端が高かった。外から見ると、青と黄色の二つの家の後ろに、もう一段、窓の列が加わったようになる。接続が済んでから、ケイは中へ入り、その窓の前に立った。背の低い子供なら、空ばかり見える高さだった。この棟の景色がよい、と勝手に売らなくてよかった。
ユイは入口の案内板に、『窓棟一号』と書いた。同じ型を増やせる名前を、先に付けたのだ。
「下に、ちゃんと階段あるって書いてね」通話の向こうで、サエが言った。「杖のおばあちゃんは、今の青い棟のほうが、楽でしょう」
暮らす階へ上る緩い階段と、荷物用の小さな昇降台がある。全部の人に一番いい家にはならない。ケイは階段の手すりを握って、がたつきを確かめた。
* * *
七十九日目、外部の検査担当が入った。ヴィクが新しい発電機を切り替え、住民の当番たちが水の流れを見る。テツは昇降台に試験の荷を載せ、途中で止める操作を繰り返した。昇降台は荷しか載せないので、本人は下で記録した。最後に、別の出口から戻ってきた担当が、使用の署名を送った。
四十四人分。容量が二百十六になった。
ケイは階段を上がり、部屋の扉を一つ開けた。窓から、向こうの黄色の棟に、敷物を敷いた家が見える。向こうの住民が、こちらに気づいた。いったん奥へ引っ込んで、次に現れたとき、その手にカーテンがあった。
ケイは慌てて、窓から離れた。窓が増えれば、見る景色が増え、見られる側も増える。端末を出して、ユイへ、カーテンの付け方も案内に入れてくれ、と打った。
「今、見られた?」ユイの返事は、早かった。
「見られた」
「管理人が窓から覗いてる、って苦情は、まだ来てないよ」
「覗いてない。確認してた」ケイは寝具を抱え直し、窓の下端より低く腰を落とした。そのまま、床を這うようにして、扉まで戻った。
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