第32話 五十一万の入金
空の台車が、レールの端まで走って、戻ってきた。
七十二日目、タナの荷役場。橋は新しい受け架にはまり、両足は溝へ収まっていた。向こうの担当が接続と検査を済ませ、今日は引き渡し前の試験だった。柱の下から、ケイは黒い腹を見上げていた。トバの暗がりで見た金具と同じ金具が、明るい灯りの下では、意外に小さい。
台車が、試験用の荷を持ち上げた。箱が一つ、橋の腹からぶら下がって、隣へ移っていく。途中で引っかからなかった。柱の根元で、金具が荷の重みを受けてわずかに鳴り、すぐに静まる。箱一つで、ハチの荷台には載らない大きさがある。受け側の作業員は、同じ荷をもう一度、送った。
「一回で終わりにしないんだな」
「一回で気が済むなら、あの橋を買わない」荷役場の責任者は、笑いもせずに言った。「切って運べば、部品の値段はつきました。でも、レールを切って揃え直す間も、荷は届きます。荷は待ってくれない」
もっともだった。受け架の脇で、二度目、三度目の往復を、口の中で数えた。
* * *
検査の担当は、若い女だった。小さな灯りと帳面を持って、橋の足元へ屈み、金具の縁から順に指を這わせていく。奥の足のところで、指が止まった。
「ここ、擦ってますね」
足の縁の塗装が、指の幅ほど剥げて、下の地金が細く光っていた。隣にしゃがんで、灯りの当たる角度を変えてやった。
「抜くときに、一度。奥の足の縁が、柱の覆い板をかすめた。報告書の三枚目に、位置と時刻を書いてある」
担当は帳面の頁を繰った。三枚目に、剥げた場所の絵と、時刻と、右の綱を戻したことが、ケイの字で並んでいる。
「地金までは、届いてませんね。塗装だけ」
「塗装でも、傷は傷だ。記録に残してくれ」
「残します」担当は顔を上げた。「傷のある請負は、いくらでも見ます。自分で三枚目に書いてくる人は、珍しい」
「音で分かった。見えてたら、その場で止めてた」ケイは帳面の絵の、剥げた場所を指で押さえた。三枚目の端が、少し折れていた。
責任者はその会話を聞いていて、口を挟まずに、帳面の隅へ印を押した。
* * *
翌朝、残金の三十三万が振り込まれた。着手金の十八万と合わせて、五十一万。同じ受注番号の二枚の入金記録が、画面に並ぶ。
ケイは先に、支払いを済ませた。燃料、二隻の船と船員、現地の作業班、治具、保険。大きい請求書から順に払っていく。足りない分を誰かの無償の手で埋めることも、船へ返す物を売ることもなく、取っておいた経費の枠の中に収まった。残った分のほとんどを、星の口座へ移した。八千だった所が、二十六万八千になった。桁が一つ増えた。ケイは画面の数字を、指の先で一桁ずつ押さえて、もう一度数えた。
椅子の背に肩を預けて、長く息を吐いた。六十万には、まだ届かない。それでも、あの数字を今までと同じ遠さには感じなかった。払ってくれる客がいて、一緒に動く船があり、自分の入れる隙間がある。
端末には、ナバの中古居住棟の写真が残っていた。昨夜、ヴィクが送ってきた物だ。窓が一列に並んで、こちらを向いている。ケイは画面を開かず、椅子から立ち上がった。
* * *
タナの食堂は、魚を焼く匂いがした。ボウの船長が先に座り、タルクの船長は、大きな手で小さな骨を一本ずつよけている。艇の大きさと、食べる時の器用さは別だった。
「向こうで、ちょっと黙ったでしょう」ボウの船長が、皿ごしにケイを見た。
「綱を渡すときか」
「その前。橋と柱を見てる時」
「奥の足が、まだ出てなかった。見えないから、綱を見てた」
「見えてない方を、出たことにしなくて助かった」ボウの船長は魚の皮を食べた。それ以上は言わなかった。
「俺は、皮のほうが好きだ」タルクの船長が、初めて口を開いた。皮だけを選んで、口へ運ぶ。「今日の飯まで見積もるつもりはない。各自で払えよ」
「分かってる。高い物を頼むなって言うなよ」
「お前の財布だ」
ケイは一番厚い所を、箸で取った。町へ船を戻すために、頭の中では、もう残りの燃料を数えている。それでも今日は、食べ終わるまで、席を立たずにいたかった。
食事の途中で、ユイから入居の記録が届いた。七十三日目のポルカで、十九人が新しく暮らし始めた。居住は百六十。写真の一枚では、アラタが荷物の紐を外している。そこへミナが通り、父親の袖を引いた。アラタは箱を隣の男に任せ、娘のほうへ歩いていく。何を頼まれたのか、後で聞いてみよう、とケイは考えた。
写真を一枚返した。橋の写真は選ばずに、食べかけの魚を撮った。
「オトさんに見せとく」ユイの返事が、すぐ来た。
余計な所へ送られた。
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