第30話 橋の下に入る船
タルクの隣へ並ぶと、ハチの窓には壁しか映らなかった。壁と思ったのは船腹で、継ぎ目の鋲の頭が、ケイの掌ほどある。
「もっと上を見ろ。俺の窓は、その先だ」通信に、大きな声が入った。
「挨拶するのに、首が痛くなる船だな」ケイは首を倒して、窓の上の縁を探した。見つからなかった。
「請求には入れるな」大きな声が、笑った。
六十八日目、トバ保守港の作業区画。写真より大きい、という感想は役に立たない。ケイはハチで橋の周りを一周して、役に立つことだけを拾った。橋は二本の足で立ち、足は古い床の溝にはまっている。抜くなら、引き出しと同じで、二本を揃えて出す。手前が先に抜ければ、橋は奥の足を軸に回り、長いレールが柱に噛む。だから力は、橋の腹の低い金具から、床と平行にかける。金具は床の溝を抜けて、床の下へ垂れている。ただ、その金具の前を、床の骨組みが斜めに横切っていた。太い綱を骨組みの角に当てれば、綱が擦れて切れるか、角が曲がる。綱の向きを変える受けを、あの梁に付ける。付ける場所は、作業床の下の暗がりだった。
「電源は落とした。下の作業を許すのは二時間です」現地の責任者が言った。橋の上の台車は、作業員が中央へ寄せて二つの金具で止めてある。「その梁なら、強さは確認した範囲です。取り付けは、こちらが見ます」
「見えたからって、勝手には触らない。見てもらう」ケイはハチを半歩、引いた。
「下がる距離は、測ったか」タルクの声が入った。「測ってないなら、入るな」
「入口から梁まで、ハチの全長の三つ半。数字は今送った」ケイは数字を送信欄へ打ち込んだ。返事は「了解」の一語だけで、通信は切れた。
* * *
ハチの腕を畳み、低い梁の下へ入った。灯りは、一つだけ点けた。
窓のすぐ上を、塗装の剥げた床板が流れていく。頭の上いっぱいに、鉄がある。息を詰めても、艇は細くならなかった。背もたれへ肩を戻して、いつもの幅で進んだ。荷台の脇の小さなカメラが、入口を、一枚の小さな四角として映している。進むごとに、その四角が縮んだ。
「入口が、もう小さいです。肩は、どちらも当たっていません」責任者が、外の映像から言った。
「当てたら、音で分かる」ケイは進んだ。艇の腹の下で、床板の継ぎ目が、一本ずつ後ろへ消えていく。
梁の前で止まった。受け金具は、腹の荷台に載せてきた。両腕で抱え、梁の横腹へ当てる。灯りを変えてもらって、留めの穴の縁を出した。右腕だけを送って、ピンを差す。入る。奥まで入る。
金具が、揺れた。
髪の毛ほどだった。ケイは腕を止めた。ピンは奥まで入っているのに、金具の足が、梁の面に平らに載っていない。押すと、右の角が沈み、左の角が浮く。
「どうしました」責任者が聞いた。「ピンは、入っていますよね」
「ピンは入った。足が座らない。灯りを、横から当ててくれ」光が寝て、梁の面が、横から浮き上がった。
塗装の下で、溶接の盛りが、細い畝になって走っていた。写真では、ただの平らな面だった。塗装が、盛りを覆っていたのだ。ケイは、強さの欄だけ見て、表面の欄を見なかった。
「盛りがある。金具が落ち着かない。一度、下がる」
「残りは、一時間と十分です。ここからは、やり直しの時間です」責任者の声が返った。
ケイはピンを抜き、後ろへ下がり始めた。噴射は最小、腕は畳んだまま。その畳んだ左の肘が、指示より半拍遅れて、梁を叩いた。
鈍い音が、座席まで這い上がってきた。梁に積もった長い年月の粉が舞い上がり、ハチの窓と後方のカメラを、同時に白く塗りつぶした。
「止まれ。誰も動くな」ケイは噴射を切った。艇は、慣性でわずかに滑って止まる。
「ハチ、後方の映像が消えた。どうした」タルクの声が近くなった。
「粉だ。俺は動ける。数える」ケイは計器の距離の数字を伏せ、代わりに、自分の声で数え始めた。入口までは、全長の三つ半。後ろへ一つ。壁が肩をこすらない幅を、腕の付け根の感覚だけで保つ。左を出す。今度は先に出す。半拍遅れる分を見越して、ケイが言う半拍前に命令を置く。二つ。粉が、窓の縁をゆっくり回る。三つ。あと、半分。
「半」と口に出した瞬間、ハチの背中が、光に触れた。
窓の外に、星があった。粉が、星の光の中へほどけて散っていく。ケイは座席から背中を離し、両手を膝の上で開いた。指が、冷たい汗で濡れていた。
「出たか」タルクが低く訊いた。
「出た。三つ半で、出た」ケイは息を長く吐いた。
「測った数字が、合ったな」タルクの通信は、それで切れた。
責任者は、時間だけを告げた。「残り、四十分」
ケイはハチの荷台の下から、座金の缶を出した。蓋を開けると、薄い輪が、底で光った。低い角の下に三枚、高い角に一枚。指先の腹で厚みを揃え、光に透かして、隙間を確かめる。缶の中身は、どれも、いつかのために取っておいた物だった。
* * *
もう一度、入った。今度は迷いなく、梁の前まで行った。
「盛りの高さは、分かりましたか」責任者が聞く。
「低い角が輪三枚ぶん、高い角が一枚ぶん。厚みは、指で測った」ケイは荷台の缶を、指で弾いた。
金具を当てると、落ち着いた。押しても、揺れない。ピンが奥まで入り、留めが掛かる。腕を離しても、金具は残った。責任者が最終の締付けを確かめ、「確認しました」と言った。ハチを暗がりから後ろへ出す。今度の粉は、舞わなかった。
細い案内綱を、ハチで橋の腹の金具へ送った。現地の巻き取り機が、それを太い綱に入れ替えていく。綱は骨組みの角を擦らず、金具の受けの上を、輪のように曲がって通った。
「綱が通った。試しに張る」タルクの声が入った。
一方の綱が張り、もう一方が続く。受け金具の横の線は、動かなかった。了解を返した。
夕方、現場の隅にあった作業枠を、三人の船長が手で動かした。明日の合図の順を決める、小さな模型の代わりだった。ケイが合図を早く出しすぎ、ボウの船長に止められた。
「持ったと、返事をしてから緩めろ。今のは、こっちが持つ前に緩んだ」
「今のは、俺が早かった」
もう一度やる。今度は綱の張りが移るのを見てから、受けを外した。枠は、傾かずに残った。
最後に、ケイは責任者へ聞いた。
「奥の足は、映ってるか」
「柱の陰です。カメラがありません。図面では、溝に三センチの余裕があります」
「図面では、な」
ケイは通信を切って、ハチの後方カメラの画面を、消さずに置いた。
読んでいただきありがとうございます!
「続きが気になる」「面白い」と思っていただけたら、ブックマークや下の★★★★★で応援してもらえると、とても励みになります。




