第23話 葉っぱにも船賃
「新しい方、って言うの、今日から禁止」ユイはペンをケイの胸に押しつけた。朝から、同じ質問を七回受けたのだという。新しい方の家って、どっち。昨日までの新しい家の隣に、今朝使えるようになった家がある。三十八日目。二つ目の三十二人棟は接続を終え、検査を通った。足した部屋で、検査済みの容量は百二十八になった。
「呼び名を付けて。色でいい。管理人が塗れば、誰も文句を言わない」
ケイは修理ベイの棚から、缶を二つ下ろした。青は、停泊無料の看板を書き直したときの残りだった。乾ききる前に拭き取った青が、缶の底に薄く残っている。黄色は、ハチの補修に使う塗料だった。最初の家の入口を青、二つ目を黄色と決め、刷毛の先で、扉の脇の板に丸く塗り広げた。黄色が垂れて、板の縁に小さな山ができた。それを爪の先で削った。
「文字も入れて。色だけだと、間違える人が出る」
「入れる」ケイは白いチョークペンで、青の下に『一』、黄色の下に『二』と書いた。ユイが後ろから覗いて、字の高さを指で測った。
テツが小型の運搬機で、乾いた板を運んできた。「黄色は、こっちですか」
「お前の後ろだ」ケイは顎で示した。
「もう一枚あるんですけど、並びの順だと、これは青にも見えるので、先に」
「逆に積んだな」ケイが言うと、テツは耳を赤くして、運搬機の向きを変えた。載せ替えるだけで済む間違いだった。板の字を、扉の字と一枚ずつ突き合わせて、彼は自分で置いた。ケイのほうは、乾いていない黄色に袖が触れないよう、壁の側へ寄っていた。
* * *
昼に、ポルカが来た。定期便としての最初の寄港だった。いつもの丸い口へ、いつもの船が入る。拍手はまばらだった。荷を受け取る箱を抱えて、もう待っている住民のほうが多い。下りた十四人は、家族連れと一人暮らしが半々だった。二つの家と南棟の空きを見て回り、台所に近い部屋を選ぶ人と、仕事の音から遠い部屋を選ぶ人に分かれた。手続きが終わると、居住は九十人になった。扉を間違えた人は、一人もいなかった。青と黄色の板を指でなぞってから鍵を受け取る人を、ケイは三人見た。船に乗ってきただけの客は、飯を食い、荷を受け取り、また船へ戻る。誰も、その人たちを数に足さなかった。
船を出す前、エマが板の前で立ち止まった。青と黄色を、順に指で叩く。
「降りた客が迷わない港は、また来る。字はもう一段、丁寧に」
「これ以上、丁寧にすると日が暮れる」
「暮れてもいい。あなたの字は、読める」エマはそう言い置いて、乗員に呼ばれて船へ戻った。
夕方、ユイの番組に名前が付いた。『コロ、夕方の雑談』。住民向けの連絡を先に終え、あとの十五分を、ユイが自分の声で使う。食堂の卓に置いた端末から、投稿の読み上げが流れた。
「今日の一通。『ハチの左腕を、直さないでください。遅れて上がるのが、好きです』」
ケイは、ちぎったパンを口に運ぶ途中で止まった。
「送ったのは、ハチを虫に描いた子」ユイの声は、端末と、本人と、二重に聞こえた。「ケイ、聞いてる?」
「聞いてる」ケイが答えると、ユイは間を置かず続けた。
「三回直して、三回戻ったんだよね。じゃあ、今度から四回目はなし」
「あれは癖だ。読める癖だ」ケイは、卓の上の指を握って、開いた。ハチを描いた絵の左腕は、短かった。四回目を直す気は、もうなかった。
生産区画の灯りが、窓の外でついた。青い家と、黄色い家の間の、小さな緑の箱の中で、マコが棚の間を歩いている。窓は、三つの色で並んでいた。青、緑、黄色。
* * *
四十一日目、オトが最初の二十皿を出した。薄い肉と葉を、一緒に巻いた物が、皿の上に転がっている。ケイはつまんだ。指先に冷たさが残った。かじると、肉より先に、葉が歯の間で鳴った。隣の卓で、同じ声が上がった。二口目を急いだら、肉だけ引っ張り出してしまった。オトは次の皿の巻き方を変えた。葉を外に、肉を内に、端を折り込んで。
「苦い」向かいの子供は、葉を開いて肉だけ食べていた。マコが言い返しかけたところへ、母親が自分の皿を寄せた。「じゃあ私が食べる。パンはそっちが一枚ね」子供は頷き、皿が入れ替わった。毎日この皿が出る約束には、ならなかった。次の入荷までの日数を、オトは献立の板に書かなかった。
食後に、マコがケイを探して食堂へ戻ってきた。「ナバの前の客から、注文が来た。船で運べる?」
「エマに聞け。積み賃は」ケイは皿を脇へ寄せた。
「聞いた。冷やす箱は私が用意して、積み替えの手間賃は、見積もりに入れてもらった」マコは指で数を折らなかった。「友達だから安く、なんて頼まない。運ぶ分を払っても売れる量に、注文を絞った」
「船賃込みの葉っぱか」
「そう。葉っぱにも船賃」マコは空になった保冷箱を二つ、ケイの前へ置いた。「これ、受け渡しの台まで持っていって」
「俺は港の管理人だぞ」
「受け渡しの台の場所を知ってるのは、管理人でしょ」
そのとおりだった。箱を二つ重ねて抱え上げ、廊下のテープの黄色を九十人ぶん踏んで歩いた。空箱は、肉の入っていない葉のように軽かった。角を曲がる前に、背中からマコの声が追いかけてきた。
「来週は中身が入ってる。そのときは、走らないでね」
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