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星を買うには三百人  作者: 雅龍(がりゅう)
第2章 中古の家を引っ張ってこい

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第21話 船長が売りたい航路

 客席の脚のボルトが、一本、緩んでいた。


 ケイは座ってから、それに気づいた。通路側の脚の、床に留めた頭が、ほかの三本より半回転ぶん浮いている。指を伸ばして親指の爪で押すと、ことりと動いた。ポルカの客席に座ったのは、初めてだった。荷を積む場所なら何度も探したが、客の席は、天井が低く、窓が小さかった。席の間隔は、ケイの膝がやっと入る幅で、その狭さが、船に乗る人間の毎日だった。手には持つ物がなく、掌が膝の上で余った。


「そこ、次の港までの予約が入ってる。靴を載せないで」


「載せてない」ケイは足を床へ戻した。


「先に言ってる」エマは向かいの席に腰を下ろし、航路図を卓に広げた。窓の外には、三十二日目のコロが浮かんでいる。今朝下りた十二人は、もう食堂で朝飯を取っているはずだった。人口は五十六。最初の棟の部屋は、ほとんど埋まった。


 図の真ん中に、コロがいた。線の終点ではなかった。


「ナバと、もう一つの小さな港を結ぶ。間にコロを入れて、荷を替えて、乗員が休む。その間に整備を受ける」エマは指で、線を三度なぞった。「週に一回。まず八週間。最初の寄港が三十八日目、次が四十五日目」


「移住者が途切れても続く便にしたい、ってことか」


「そう。あなたの岩のための便じゃない。私の便が、コロを通る」


 荷室の話に移った。エマは奥の棚を示した。薬と、細かい部品。全部まとめて大きな船を待たせる量ではない。毎週なら、使う客がいる。積む側だけなら、いい商売だった。こちらの荷扱いの表を、ケイは出した。初めから住んでいる当番に、新しく来た人の希望者を有償で組み合わせる。ケイがハチで出ている日にも、受け渡しの担当がいる形にしてあった。エマは担当の名前より、空白の時間帯を見た。


「ここの交代は、到着の前に終えて」


「直す」ケイは表の該当欄に、赤い印を付けた。


「出発時刻は、帰りの荷を受ける余裕が足りない」


「半時間、欲しい」ケイは指を二本立てた。


「長い」エマは図に指を置いたまま、目だけ上げた。「荷を取り違えて戻るよりは、短い。十五分だけ伸ばす」


「十五分で足りるか」


「足りるようにするのが、あなたの仕事」ケイは半時間から、十五分に譲った。残りは荷主の持ち込みの締切を前へ寄せて詰めた。船にだけ待たせる形にはしないし、港にだけ無理をさせる形にもしない。エマはそこで、ようやくうなずいた。


     * * *


 ケイは、もう一つの案を出した。「空席を、俺が買い取る。乗客が少ない便には、その分の穴を埋める」


「買わないで」


「損はさせない」ケイは食い下がった。


「損の話じゃない」エマの声は変わらなかった。窓の外を、荷を吊った小さな作業艇が横切っていく。「空席を管理人が買えば、その便は、コロが買った便になる。施しで回る航路は、施しが切れたら止まる。私は施しに、船を預けない」


「切れたら、の話だ」


「切れる日の話をしてるの」エマは、卓の下から紙を一枚出した。契約書だった。「もう一つ。この条項を入れて。コロの管理権が第三者へ移ったときは、この契約は白紙に戻る」


 ケイは条項を読んだ。短かった。二行しかない。


「八週間の契約で、あなたの権利は百八十日。その差は、分かってる?」


「分かってる」ケイが答えると、エマは「本当に」と重ねた。目を逸らさなかった。


「期限が来れば、俺の物になるか、次の買い手の物になる。次の買い手が来たら、この便は止まる」ケイは紙の端を指で押さえた。「あんたはそれを、先に決めておきたいんだな」


「先に決めるのが、条件」エマは言った。ケイが削れないかと聞くと、「削らない」と返して、ペンを卓に置いた。譲る気がない顔は、初めて会った日の映像と同じだった。条項の二行を、もう一度読んだ。読んでも、文字は増えなかった。署名した。


 窓の外で、ポルカが傾いた。出港に向けて、乗員が向きを変えたらしい。窓の縁に、コロが入ってきた。


 岩の膨らみの上に、リムから曳いてきた家と、古い南棟の壁が並んでいた。家の窓には、二十七日目に下りた人たちの灯りが点いている。南棟の窓は、工事の灯りが二つ動いているだけで、あとは暗い。その先の端に、丸い口と、ハチの固定架が見えた。


「ここから、看板は読めないわね」エマは窓の外を見ずに言った。「読めるのは、窓の灯りの数」


「灯りの数」ケイは復唱した。


「乗るお客は、着く前にそれを見て決める。港が生きているか。空き家じゃないか。ここは、暗い窓が半分ある。半分なのは、悪くない。空いてる、って意味に見える。全部消えてたら、誰も降りない」


 ケイは窓を見た。暗い窓の一つひとつが、まだ誰の物でもなかった。ケイの物でもなかった。


「ケイ」席を立とうとすると、エマが呼び止めた。腰を浮かせたまま、ん、と答えた。


「安いから寄るんじゃない。ここは、降りた人が、次の週も食堂にいる。だから、寄る」


 ケイは、緩んだボルトを、靴の先でそっと押した。ことり、と鳴った。エマが席の脇に立てかけていた工具の袋から、六角の鍵を一本、ケイの前に置いた。


「客席の整備は、私の仕事。今回だけ、許す」


読んでいただきありがとうございます!

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