第126話 灯を入れる
カノンの背骨は、トレイの荷台に載せると、荷台より長かった。白い客船の、船首から船尾まで通っていた一本の廊下だった。外板を剥がされ、居住ブロックを外され、主機を盗まれたあとに、ガラ場に残った骨だった。トレイの船長は荷台の両端に固定具を足し、はみ出した分を索で吊って、北の口の前まで運んできた。背骨の中の廊下には、客船の頃の手すりが両側に残り、床には古い絨毯の跡が四角く並んでいた。
「空荷で来なかった」トレイの船長は、耳の鉛筆で伝票を叩いた。「帰りは、トバの残骸の残りを積む。まだ半分ある」
ブンが先に、背骨の端とアーチの脚の継ぎ目に入った。カンナの小さな腕が隙間計りを握り、継ぎ目の端から端まで、一枚ずつ差し込んでは抜いていく。北の口の側も、脚の側も。ブンは読んだ数を口の中で繰り返し、最後に、いちばん薄い一枚を扇から抜いて見せた。
「いい骨だ」ブンは言った。「継いだ奴の手が、揃ってる。この太さなら、人も線も通る」
若い保守員が継ぎ目のボルトを締め、トルクの値を、背骨の側の盤の蓋を外して裏に書いた。型番、日付、理由。頭灯で読める大きさで。テツが、その下に署名した。立会いの欄は、一番下だった。
「この骨、前の持ち主の字がない」保守員が、蓋の裏を頭灯で照らして言った。「客船の盤なのに、一行も」
「客船は、蓋の裏に書かない会社だったんだ」テツが言った。「だから、一行目は君の字になる」
保守員は、自分の書いた行を、もう一度頭灯で照らした。
ヴィクは署名を見届けてから、背骨の廊下の入口に立った。「避難が先。部屋は、その後」
アーチの脚の中に、トバの頃の交代勤務の区画があった。十年以上、誰も寝ていない二百人分の部屋だった。その脚の下の腹に、旧職員用の避難艇が二百席ぶん、架台に並んでいる。寮にも、百四十席の艇がある。ヴィクは背骨の廊下を渡り、脚の中の通路を歩き、艇の架台の表示灯を、端から一つずつ自分の目で点けていった。若い保守員がその後ろを歩き、灯の点かない所で止まって、蓋を開け、接点を磨き、閉じた。
「全部、緑」ヴィクは通路の端で振り返った。「寮も、脚も」
「見た」ケイは言った。
「あんたが見たのは、どうでもいい。私が見た」
* * *
工房の壁に、巻き取り機が据わっていた。倉庫Bの奥の、巻き胴の部屋だった。人の背丈の倍の巻き胴の横に、樽ほどの筒が、鉄の輪を二枚揃えて、同じ向きに座っている。引っ越しの日に扉の枠で外した片方の輪は、今は元の場所に戻り、筒は元の太さだった。胴に巻いたケーブルは、引っ越しの日から一度も繰り出していない。筒の胴に、ユイの札が下がっていた。『入居者:巻き取り機(仮)』の下に線を引かれた行が二つあって、その横に『工房』、いちばん下に『家賃:完済(ケイ払い)』。
ケイはケーブルの端を、筒の胴から外した。端子は、ケイが前の会社で最後に回収した船から外した物だった。錆を落とし、覆いを付け直し、それから何年も胴の中にいた。ケイは端子を、旧搬出路へ向かう壁の穴へ差し入れた。穴の向こうで、アラタが受けた。
「来た」アラタの声が、穴の向こうの闇から言った。通信設備工の手袋が、端子の覆いを掴むのが見えた。「引きます。四百歩。溝の奥から北の口、背骨を通して、脚の盤まで」
「引いてくれ」
「端子、古いですね」アラタは覆いを指で撫でた。「でも、いい物だ。捨てなかったんですね」
「捨てない」
アラタが歩き出した。巻き取り機の胴が回った。鉄の輪が回り、ケーブルが一巻きずつ胴を離れて、壁の穴へ吸い込まれていく。胴の回る音が、低く一定だった。ケイは筒の脇に手を当てていた。胴の振動が掌に来る。巻きがほどけるたびに、筒の中で何かが軽くなっていく。
入口に、ヴィクが立っていた。腕を組み、巻き取り機の胴を顎で指した。
「それ、いつ使うの」
ケイは胴から手を離さずに言った。「今日」
「いつか、は今日だったね」ヴィクは言った。袖に貼りついた小さな葉を、反対の指で弾いた。「四百日かかった」
胴が回り続けた。最後の何巻きかが残った所で、アラタの声が入った。「盤に着きました。通信の線も一緒に通した。背骨の手すりに、括ってあります」ケイは最後の一巻きが胴を離れるのを見てから、工房を出た。
* * *
北の口の廊下から、背骨の通路が始まっていた。背骨の廊下は、コロの岩肌とアーチの脚のあいだを、白く一本で渡っている。廊下の両側の丸窓の外に、片方はコロの岩肌、もう片方はアーチの脚の白い梁が見えた。手すりに、アラタの通信の線と、ケイの巻き取り機から伸びた電気の線が、並んで括ってある。
ユイが、背骨の廊下の入口で、床に膝をついていた。黄色のテープの巻きを片手に持っている。
「ここから先、延ばしていい?」
「まだ誰も住んでない」
「住むでしょ。寮と、脚の二百。部屋が先にあるのは、これで二回目」ユイは新しい巻きの端を、背骨の入口の床に当て、指の腹で押さえた。「Cのいちばん奥で止まってる物差しの、続き。途中は飛ぶけど、つながってることにする。今日は、居住の分は塗らない。白いまま延ばす。物差しだけ、先に」
「黄色は、誰が塗る」
「来た人が、自分で。はみ出しても、私は直さない」ユイはテープの巻きを持ち直した。「三十一番目の赤い弧、今でも消えてないよ。あれ、好き」
白いテープが、背骨の廊下の床を、絨毯の跡の四角を跨いで延びていった。
「リレー、線を抜く」ヴィクの声が、コロの盤の前から入った。「一度、全部暗くなるよ。四秒で戻らないからね。今度は、こっちの盤から入れる」
「抜く」リレーの船長が言った。
背骨の丸窓の外で、アーチの灯が消えた。整備腕の梁の点検窓も、固定架の爪の標識灯も、寮の百四十の窓も、脚の二百人分の区画の小窓も、全部が闇になった。窓の外には、枠の形に星が欠けた闇だけが残った。
「入れる」ヴィクが言った。
脚の根元の、いちばん下の点検窓が、一つ点いた。
次の窓が点いた。その次。点検窓の灯が、脚の梁を根元から上へ、一つずつ登っていった。脚の上で梁が分かれ、灯は右列と左列の爪の標識灯へ走り、整備腕の梁のトンネルの窓を、根元から先へ、順に点けていった。三本目の腕のあった所で、灯の線は途切れて、また向こうで続いた。寮の窓が、四階の上から順に点いた。先端の操作室の三方のガラスに、灯が入った。
ケイは背骨の丸窓の硝子に、額を寄せた。窓の外で、アーチの灯の線が、コロの岩肌の窓の灯の列と、一本につながっていた。食堂の窓から、南棟、窓棟、北宿舎、北の口の保温帯の緑、背骨の廊下の丸窓、アーチの脚の点検窓、梁、爪、寮、操作室。どこで岩が終わって、どこから枠が始まるのか、灯の列の上では分からなかった。
操作室のガラスの中で、トキが窓際に何かを置くのが見えた。小さな鉢だった。緑の葉が二枚、ガラスに触れていた。
「私が頼んだ」ヴィクの声が、回線で言った。「空いた壁の、半歩分。壁の代わりに、窓にした」
「葉っぱの世話は、しないぞ」トキが言った。
「水だけでいい。枯らしたら、あんたの字で蓋の裏に書いてもらう」
* * *
夜、ケイは工房に戻った。巻き胴の横で、巻き取り機が、胴を空にして座っていた。二枚の鉄の輪のあいだに、巻く物が何もない。ケーブルは今、四百歩の旧搬出路を通り、溝の奥を抜け、背骨の手すりに沿って、アーチの脚の盤まで伸びている。胴の上には、ケーブルの形に擦れた跡だけが、螺旋に残っていた。
ユイの札が、針金の先で揺れていた。ケイは筒の胴を、拳の関節で叩いた。
空の音が返った。高く、長く、胴の中で鳴って、巻き胴の部屋の壁に当たって戻ってきた。
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