第125話 岩が持つ
入らない角が、張り出しの縁の下まで来て、止まった。タルクの索が弛み、後ろでトレイの索が張ったまま、枠の灯の四角が、北面の闇の手前で宙に掛かった。張り出しの岩の裏と、枠の上の角のあいだには、ハチ一台分の隙間もなかった。受けの印は、その先にある。
ケイはハチを張り出しの下に入れ、枠の角を真横から見た。枠を真っ直ぐ入れれば、角が岩に食われる。枠を下げれば、脚が受けより先に岩肌を擦る。上げれば、梁が庇に当たる。ケイは枠の長い辺を目でなぞった。いちばん長い辺を軸にすれば、枠の厚みは、寝かせた分だけ薄くなる。薄い向きなら、角は庇の下を斜めに潜れる。「寝かせる」
「また回すのか」テツの声が、倉庫Bの奥から入った。
「回さない。寝かせて、止める。一回りの四分の一だけだ」ケイは言った。「トキ、腕を畳んだまま、操作室から下を見ててくれ。寮の屋根が岩に寄ったら、言ってくれ」
「言う」トキは短く答えた。
「ボウ、右の下を持って。タルク、左の上を、ゆっくり。サワ、振れは」
「うちが殺す」
ボウとタルクが、枠の対角に索を張った。枠が長い辺を軸にして、傾き始めた。右列の爪に抱かれた寮が、下へ沈んでいく。操作室の三方のガラスが、斜めに岩肌の方を向いた。梁の点検窓の列が、縦から斜めへ、斜めから横へ寝ていった。ケイは枠の角と庇の縁を、灯の中で重ね続けた。
「止めろ」
枠が、寝た形で止まった。角が低くなった。ユイの放送が、回線の端で小さく言った。「今、枠が、誰の窓からも見えない所に入りました。北の張り出しの下です。見えないけど、ケイがいます」ケイは角の先へハチを寄せ、両の爪で角の梁の縁を掴んだ。
「タルク、半分の半分で出せ。俺が角を送る」
タルクが推力を上げた。枠が、寝たまま前へ滑った。角の先が、庇の下へ入っていく。ケイは両腕に同じ力を送り続け、角を下へ、前へ、庇の岩の裏を撫でるように送った。
見えるのは光だけだった。枠の灯が、庇の岩の裏と角の梁のあいだから漏れていた。最初は指三本の幅だった。枠が進み、光は二本になり、一本に細り、糸になった。ケイの手に、岩の感触はまだ来ていなかった。来たら、止める。来なければ、送る。糸の光が、庇の縁から庇の奥へ、移っていく。角の梁が岩を擦る音は、ハチの座席のどこにも届かなかった。
光の線が、ふっと太くなった。
角が庇の下を抜けた。灯の四角が、張り出しの向こうへ丸ごと出た。剥がれた岩の粉が一片だけ漂って、操作室のガラスの前を横切った。
「抜けた」トキが言った。「寮の屋根、岩から腕一本分。当たってない」
「起こす。ボウ、今度は反対だ」
枠が、寝た形から起き上がった。寮が元の高さへ戻り、点検窓の列が縦に戻り、枠の脚が、赤い磁石の列の上に、真っ直ぐ並んだ。受けの印まで、残りは船一隻分だった。「索を掛ける」ケイは言った。
コマとブンが、倉庫Bから旧搬出路を抜けて溝の奥へ出てきた綱の端を、枠の脚の曳航点へ運んだ。綱は喉の二本目の杭で折り返し、打ち直した三本目の杭の太い首で最後に曲がり、溝の奥の旧搬出口へ入って、四百歩の旧搬出路の先で、倉庫Bの巻き胴に巻かれている。ブンが三本目の杭の首の溝に綱を座らせ、隙間計りの一枚で、底に着いているのを確かめた。「座った」ブンが言った。
「綱の撚り、杭の首で潰れてない?」ヴィクの声が回線で聞いた。
「潰れてない。溝の底に、平らに寝てる」ブンは老眼鏡を額へ上げた。「打ち直しておいて、よかったな。細いほうの杭なら、今ごろ首から折れてる」
「年寄りの言うとおりにしといて、よかった」コマが言った。結束バンドの髪が、ヘルメットの中で揺れた。「付け、もう一本延ばしてもらう」
「タルク、索を外せ」
「外す」画面の掌が、操縦桿の上で止まった。「引かないのは、苦手だ」
「今度は、岩が持つ」タルクの曳き索が、枠から外れた。枠を引いているのは、コロの岩に打った杭と、岩の中を通った綱と、岩の中の倉庫の巻き胴だけになった。
「テツ。巻け」
「巻きます」
倉庫Bの奥で、巻き胴の歯が一目盛り噛んだ音が、ヴィクの回線に乗って届いた。綱が張った。三本目の杭の首で、綱が向きを変え、枠の脚を北面へ引き寄せた。歯がもう一目盛り噛む。枠が、磁石の列の上を、岩肌へ近づく。一目盛り。また一目盛り。ケイはハチを脚の横に付け、受けの印と脚の底の距離を、声に出して読んだ。
「三メートル」
「二」
「一。……半分」枠の脚の底が、コロ北面の受けに当たった。
音は、真空を通らなかった。代わりに、ハチの爪を掛けていた脚の梁から、振動が一度、座席まで上がってきて、ケイの背骨の中で止まった。枠の灯が、一度も揺れずに点いていた。
「止まりました」テツの声が言った。「巻き胴、止めます。……止まってます」
ポルカの操舵室から、エマの声が入った。ポルカは旅客の丸い口に着いたまま、操舵室の窓をこちらへ向けていた。
「切らずに入ったのね」
「寝かせた」
ケイは脚の梁から爪を離した。白い塗装に、両の爪の跡が二つ、同じ深さで残っていた。
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