第118話 三本目の杭
岩の粉は、落ちずに浮いた。
若い保守員がはつりの刃を当てるたびに、灰色の粉が杭の根元から湧いて、カンナの白い作業灯と保守員の頭灯のあいだに溜まっていった。溝の中には流れがない。粉は行き場をなくして、光の筒の中でゆっくり回り、そのうち霧になった。ケイはハチの右の爪に携帯灯を挟み、根元の岩へ斜めに当てていた。今日の仕事は、それだけだった。
「角度、もう一つ下」カンナの操縦席で、ブンが老眼鏡を額から鼻へ下ろした。「影が刃に被ってる」
ケイは爪を一段下げた。影が消えて、刃の先と、はつった溝の底が同時に見えた。
溝の口から数えて三本目。ミノスが緩めたと言った杭だった。先に抜いた古い杭は、カンナの荷台に寝かせて括ってある。細かった。ケイの手首ほどしかない。頭の首のところに索の擦れが何重にも重なり、地金が銀色に削れていた。いちばん古い擦れは黒く錆びて、その上に新しい擦れが光っている。誰かがここに索を掛け、外し、また掛けた。何十年分の手が、一本の首に残っていた。
「一回り」ブンは隙間計りのいちばん厚い一枚を、はつった溝の縁に差した。「まだ浅い。一回りは、杭の太さ一つ分だ。あいつがそう言った」
「あいつの言ったとおりにやるのか」
「杭のことは、あいつのほうが知ってる。この溝で何か月、索を掛けてたと思う」ブンは隙間計りを扇に戻した。「知ってる奴の言うことは、どっちの側の奴でも聞く。年寄りは、覚えがいいんだ」
保守員の刃が、硬い層に当たった。音が高く、乾いた。刃が滑って、粉の代わりに小さな欠片が一つ跳ね、ケイの灯りの中を横切った。ケイの右手が、操縦桿の上で動きかけた。爪を出せば欠片は掴める。岩を押さえられる。刃の角度も、ここから直せる。ケイは指を操縦桿から浮かせ、灯りだけを刃の先へ寄せた。
保守員は手を止め、刃を自分で寝かせた。硬い層の縁を、斜めに削いでいく。二度、三度。音が低く戻った。
「そこが硬いのは、昔の杭を打ったときに岩が締まったからだ」ブンが言った。「削いで正解」保守員は頷き、額を拭こうとして手袋がヘルメットに当たり、そのまま刃を持ち直した。
* * *
新しい杭は、トレイが朝のうちにナバから運んできた。ブンの二の腕ほどの太さがあり、頭の首には、索を受ける溝が深く切ってある。トレイの船長は伝票を耳の鉛筆で叩いて、帰りには抜いた古い杭を積んでいくと言った。空で帰るのは嫌いな人だった。
打ち込みはブンがやった。カンナの小さな腕が杭の頭を押さえ、打ち込み機の短い衝撃が、一定の間で岩へ入っていく。一打ごとに、ハチの座席の下まで振動が来た。ケイはその間隔を数えずに、灯りの位置だけを保った。杭の根元から、はつった溝へ、粉がもう一度噴き上がって、灯りの筒の中で渦を巻いた。そして、止まった。
ブンは打ち込み機を外した。「揺すってみろ」
ケイはハチを杭の頭に寄せ、両の爪で首の溝を挟んだ。右と左に、同じ力を送る。押した。引いた。ハチの胴のほうが揺れた。杭は、岩の一部のように動かなかった。爪を離すと、首の溝の縁に、ゴムの当て板の跡が二つ、同じ高さで残っていた。
通信に、ヴィクの声が入った。倉庫Bの奥で、巻き胴の配線を見ている時間だった。
「溝の中で、灯りを持ってるだけだって?」
「持ってるだけだ」
「手、出したくなったでしょ」
「なった」
「出した?」
「出してない。灯りを寄せた」
「上出来」ヴィクの後ろで、巻き胴の歯が一目盛り、試しに回る音がした。「杭の首の溝、深さを測ってきな。索の太さと合わなかったら、こっちの綱の撚りを見直す」
ブンが隙間計りの扇を開き、首の溝に一枚ずつ差していった。三枚目で止まり、その一枚を抜いて、保守員の手に載せた。保守員は受け取った一枚の厚みを、蓋裏に書くための紙に写した。字は、ケイの字に似てきていた。
「合うか」ケイは聞いた。保守員は紙から目を上げ、杭の首をもう一度見た。
「合う」保守員が言った。今日、初めての声だった。「綱が、溝の底に座ります」
ケイはその溝を見ながら、索の道を頭の中で引いた。喉の二本目で折り返し、この三本目で最後に曲げ、溝の奥の旧搬出口へ入れて、四百歩の旧搬出路を通して、倉庫Bの巻き胴まで。アーチを据える最後の数メートルは、この首一つに掛かる。
「三本目で、最後に曲げる」ケイは言った。ハチの爪の先で、首の溝を一度なぞった。
「知ってる」ブンは手書きの海図の束を膝に載せたまま言った。「だから、太くした」
保守員が、抜いた古い杭の擦れた首を、荷台から振り返って見た。何も言わずに、はつりの刃をケースへ収めた。
「その古いの、トレイに捨てさせるか」ブンが聞いた。
「捨てない」ケイは言った。「首の擦れは、見本になる。索をどこに掛けると減るか、全部書いてある」
「年寄りの首も、そうやって取っとくのか」
「取っとく」
ブンは短く笑った。それから、荷台の古い杭の括り紐を一本、締め直した。
溝を出ると、二本目の口の保温帯の緑が、十二並んで点いていた。ユイの放送が、夕方の雑談の頭で、今日の日付を読んでいた。四百日目だった。オルカ船舶との約束の、最後の日付だった。その日は、溝の粉の中で、何事もなく過ぎていた。
カンナが先に溝の口を出て、ハチの横へ並んだ。ブンは操縦席の窓越しに、溝の中の新しい杭の頭を振り返った。灯りを落とした溝の底で、切りたての溝の首だけが白かった。
「ミノスは、何て言った」ケイは聞いた。ブンは老眼鏡を外して、胸のポケットにしまった。
「次に使う奴のために、とあいつは言った」ブンは言った。「次に使うのは、お前らだ」
読んでいただきありがとうございます!
「続きが気になる」「面白い」と思っていただけたら、ブックマークや下の★★★★★で応援してもらえると、とても励みになります。




