第112話 巻き取り機の置き場
アーチの付属品の目録は、紙で三枚あった。工具棚一式。予備の爪が四つ。関節の軸受け、油圧の弁の束、ハチの胴ほどのソケット、人の背丈の倍の把手。枠と一緒に付いてくる物は、枠と一緒に、どこかへ置かなければならない。コロの中に、そんな場所はなかった。修理ベイの隅は、とうに埋まっている。
「工房のない港に、港は運べません」食堂の壁の前で、ヴィクがクレアの口真似をした。似ていなかった。
「言われっぱなしは、腹が立つね」ヴィクは言った。「で、どこにする」
「倉庫Bの奥」
ヴィクが、ケイの顔を見た。倉庫Bの奥の大扉の向こうに、巻き胴の部屋がある。天井が一段高く、床には太いレール跡が、壁の下をくぐって北へ延びている。巻き胴はテツの署名で動く。部屋の残りは、何もない床だった。
「あそこを、工房にする」
「するなら、先に片付ける物があるよ」ヴィクは言った。「あんたの物が」
* * *
ケイは、倉庫Bの床から始めた。ラズの在庫の端に、工具箱があった。修理ベイから廊下を経て流れ着いたまま、札の付いた部品の列の最後に座っている。把手を掴んで持ち上げた。重さが、手に懐かしかった。
「引き取る」ケイは通信に言った。
通信の向こうで、ラズが答えた。「在庫表から消します。値は、付けていませんでしたので」
次は、巻き取り機だった。北宿舎の廊下の倉庫が六十四人棟の接続通路に変わってから、ユイが何度か場所を移していた。今は食堂の裏の、配電盤の横の隙間にいる。樽ほどの胴に、輪が片方だけ。引っ越しの日に扉の枠に挟まって、ケイが片方を外した、その残りの輪だった。胴にユイの札が下がっている。『入居者:巻き取り機(仮)』、その下に線を引かれた『修理ベイ』、さらに下に『転居先:未定』。
台車に載せて、廊下を押した。床のテープの上を、車輪が黄色と黒をまたいで進んだ。すれ違う人が振り返って笑い、子供が一人、台車の後ろについてきた。
「それ、なに」
「巻き取り機。重いぞ」ケイは前を見たまま言った。
「なにに使うの」
ケイは台車を押しながら、一拍、考えた。「いつか」
子供は、それで分かったという顔をして、台車の後ろの角を両手で押し始めた。押す力は、ほとんど足しにならなかった。ケイは台車の速さを、子供の歩幅に落とした。
巻き胴の部屋の壁の前で、台車を止めた。人の背丈の倍の巻き胴が、二重の綱を巻いたまま、部屋の真ん中で眠っている。その横の壁に、ケイは金具を四つ打った。巻き取り機を立て、胴を金具に抱かせた。
工具箱を開けた。一番下の段の、仕切りの裏に、布で包んだ輪があった。外した日から、一度も出していない。六角ボルトを、根元に当てた。順に、締めていく。輪が胴に座った。胴は、四センチ太った。揃った二枚の輪が、壁の灯りを返していた。
巻き取り機の胴と、巻き胴の胴が、同じ向きに並んだ。片方は樽ほどで、片方は人の背丈の倍。小さい方が、大きい方の横で、ちょうど弟の背丈に見えた。
テツが、入口から覗いていた。点検機を胸に抱えて、壁の新しい金具を見ている。
「ここ、僕の巻き胴の部屋でしたよね」
「今日から、工房だ」
「巻き胴の署名は、僕のままですよね」
「お前のままだ」
テツは頷き、巻き取り機の輪の根元のボルトを、指で一本ずつ触って回った。締め具合を確かめる触り方だった。最後の一本で、指が止まった。
「これ、ケイさんの締め方ですね。全部、半目盛り多い」
「癖だ。直らない」ケイは工具箱の蓋を閉めた。
「知ってます」テツは言った。「蓋裏に、書いときます」
湯沸かし器は、ヴィクが台車で運んできた。光る外装が三つ、台車の上で揃って揺れていた。
「捨てないんだね」
「捨てない」
「だと思った。だから、栓は買っといた」ヴィクは作業着のポケットから、ゴムの栓を三つ出した。「湯は沸かせなくても、溜めることはできる。油の付いた部品を浸けとくには、ちょうどいい深さだよ」
蛇口の側に排水の管を繋ぎ、栓をした。部品を洗う槽になった。「置き場代、やっと回収したね」ヴィクは、一台目の胴を拳で叩いた。
ユイが、札を書き換えに来た。巻き取り機の札の『未定』に線を引き、その横に『工房』。それから、新しい行を足した。『家賃:完済(ケイ払い)』。湯沸かし器の札にも、同じ字で。
「完済って、誰が決めた」
「私」ユイはペンの蓋を閉めた。「管理者だから」
「家賃は、いくらだった」
「一年分の、いつか」ユイは札を指で弾いた。札が、巻き取り機の胴に当たって、揃った輪の間で小さく揺れた。「高かったよ。ずっと、払ってくれないんだもん」
* * *
夜、ケイは自室の扉の前にしゃがんだ。蝶番の側が、下がっている。閉めると扉の角が枠に当たって、指二本分の隙間が残る。一年、そのままだった。
上着のポケットから、透明な袋を出した。表に、自分の字で『いつか』。輪とねじの残りの間から、座金を一枚、指で摘んだ。蝶番の軸を抜き、座金を噛ませて、軸を戻した。扉が、指の幅ほど持ち上がった。
押した。扉の角が、枠をかすめずに、枠の中へ入った。受けの金具が、小さく鳴った。
閉まった。
ケイは、閉まった扉の内側に立っていた。机の上の万力。延長管。壁のアーチの写真。部屋が、初めて四方を壁に囲まれていた。廊下の音が、扉の厚さの分だけ遠くなった。
その扉を、誰かが外から叩いた。二度。枠を叩く音とは違った。板を叩く、柔らかい音だった。
開けると、エマが立っていた。鞄を一つ持って、片手に紙を一枚。「閉まってた」エマは扉の縁を見た。
「今日、閉まった」ケイは蝶番を指で叩いた。座金の縁が、軸の下で光っていた。
「叩いたら、開いた」
「叩いたからだ」
エマは、閉まる扉の縁を指で一度撫でた。それから、紙を持った手を上げた。
「住所を、ここに移す」エマは紙をケイの胸の前に差し出した。住所変更の届けだった。「ボレロの乗継で、ポルカの折り返しは、ここになるから。部屋は別。家賃は、普通の値段で払う」
ケイは届けを受け取った。閉まるようになったばかりの扉は、開けたままにしておいた。
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