第111話 口の場所を見せる
エマは、ポルカの折り返しの二十分で、条件を先に並べた。「一つ。これは、私の客のため。キサの沖を、長距離線のボレロが通る。キサとホタの乗継客が、ボレロに乗り換えるのに、今はナバまで戻ってる。半日。二つ。ポルカの値段は変えない。あなたの港に寄せても、私の得にはならない。三つ。ボレロの船長は、紙を読まない人。紙を送ったら、それで終わる」
操舵室の留め板に、支払済の赤印の控えが、今日も挟まっていた。ケイは副席に座らず、立ったまま聞いた。
「船長の名前は」
「ガント。大きい船の人。話すのが遅い」エマは時刻表の板を指で叩いた。「キサの沖で、明後日。ボレロが燃料を積む間の三時間。ポルカは、その時間にキサにいる」
「乗せてくれ」
「運賃は、普通の値段」
「分かってる」ケイは板の、コロの欄の空白を見た。エマの鉛筆で引いた細い線が、上段から下段まで、隙間なく並んでいる。「ボレロが寄ったら、あんたの折り返しは、うちになるのか」
「なる。キサまで行かずに済む」
「得じゃないか」
「時間の得。客の時間」エマは板から指を離した。「私の財布は、一枚も太らない。そこは間違えないで」
「オルカのことは、聞いたか」
「聞いた」エマは前を向いたまま言った。「だから、紙を送らないで、って言ってるの。顔を持っていって」
* * *
ボレロは、キサの沖の闇に、灯の町のように浮いていた。ポルカの窓から見ても、端が窓に収まらなかった。船腹に窓の列が四段、その下に荷の口が三つ。コロの丸い口に当てたら、口の方が船首の丸みに隠れてしまう。ワルツよりも、なお長い。
ガントは、ポルカの乗降口から、一人で乗ってきた。五十代の後半の男で、背が高く、屈んで扉をくぐった。上着の肘が、どちらも同じ所で擦れて光っている。ケイの手を握って、すぐには離さなかった。
「エマ船長から、聞いた。岩の、修理屋だと」
「港だ」
「港か」ガントは、ゆっくり頷いた。「港なら、見せてもらおう。口の場所を」
ポルカがコロの北面へ回るまで、ガントはほとんど喋らなかった。窓の外の航路灯を、一基ずつ目で追っていた。
「大きい船は、急に止まれない」一度だけ、ガントは言った。「だから、先に決める。どこで止まるか。何日も前に」
コロの岩が窓に入ってくると、ガントは、丸い口の脇の架台に留まった黄色い艇に目を止めた。「あの黄色いのは、あんたの船か」
「俺の船だ」
「小さいな」
「小さいから、先に入れる」ケイは言った。「大きい船の前に入って、向きを見せる」
ガントは、黄色い船体を長いこと見ていた。遅い声で、そうか、とだけ言った。
* * *
北の面は、影に入っていた。ケイはハチで外へ出た。ポルカは岩から離れた所に、客席の灯を落として浮いている。操舵室の窓に、ガントとエマの影があった。
ハチの荷台に、赤い磁石の箱を積んできた。二本目の口の工事で使った目印の残りと、買い足した物。ケイは岩肌に艇を寄せ、最初の磁石を打った。右の爪で押し当てると、磁石は岩の中の鉄の脈に吸いついて、赤い灯を一つ点けた。
アーチの脚が立つ位置。ヴィクと図面で決めた二点に、二つ。そこから、固定架の爪の列が並ぶ線。ハチを一定の速さで滑らせながら、爪の間隔ごとに打っていった。十を過ぎて、数えるのをやめた。手が覚えていた。左も右も、同じ速さで出た。
最後に、ボレロの腹が収まる線を打った。ガントが通信で言った船の長さを、ハチの全長で割り、割った数だけ艇を進めて、打った。
「見えるか」
「見える」ガントは、遅い声で言った。「……赤いのが、一列」
暗い岩肌に、赤い点が一列、真っ直ぐに光っていた。その端に、黄色いハチが浮いている。ポルカの窓の中で、ガントの指が、赤い点を端から辿っていた。途中で指が止まり、また最初から動いた。
「俺の船は、この長さか」
「あんたが言った長さだ」
「言った長さと、見る長さは、違う」ガントは、しばらく黙った。それから、同じ遅さで言った。「……入るな」
「枠は、まだない」ケイは言った。「トバにある。買ってから曳く。いつ着くかは、言えない」
「言えないのか」
「言えない。言ったら、ずれる。ずれたのを、一年黙ってて、客を一人なくした」
通信の向こうで、ガントが息を吐いた。笑ったのか、ため息なのか、声が遅くて分からなかった。
「言えない日付を、言えないと言う港は、珍しい」ガントは言った。「大抵は、言う。言って、ずらす。ずらした分を、こっちが待つ」
* * *
ポルカの操舵室で、ガントは紙を一枚、ケイから受け取った。条件付きの利用の紙だった。予約金の欄は、なかった。日付の欄は、空けてあった。
エマは操舵輪の前で、二人に背中を向けていた。聞いていない、という背中だった。
ガントは欄を指でなぞり、ペンを持って、署名だけした。日付には、何も書かなかった。
「日付は、書かない」ガントは紙を返した。「印を、剥がすな」
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