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星を買うには三百人  作者: 雅龍(がりゅう)
第8章 この航路は渡さない

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第103話 刻印

 ロクは修理ベイの作業台に、白い布を一枚広げてから、手袋を嵌めた。


 布の上に、ケイが鉤の軸を置いた。腕ほどの太さの鋼の棒。片方の端が鉤の爪になり、反対の端に索の輪を通す穴がある。穴の周りは、索に擦られて鈍く光っていた。その光の縁に、磨き残しの文字が並んでいる。


 ロクは頭灯を点け、軸を手袋の掌に載せて、文字に光を斜めに当てた。それから、上着の胸のポケットから、名刺ほどの紙を出した。ケイに渡したのと同じ紙の、控えだった。


「ナバ線、ナバ寄りの一基」ロクは紙の一行目を指でなぞり、軸の文字をなぞった。「番号が一致します。台座の脚に直に打った刻印です。磨いた人は、ここの角だけ、刃が届かなかった」


「届かない角を残すのは、癖だ」ケイは言った。「あいつの切り口は、いつも右下に返りが跳ねる」


「その話は、もう裁定では要りません」ロクは頭灯を消した。「番号があります。あなたが持ってきてくれた」


     * * *


 ガルムの船倉は、巡視艇の係員が三人がかりで開けた。


 扉の内側は、整っていた。回収品は種類ごとに棚に分けて固定され、棚の縁には手書きの札が付いている。札の字は、読みやすかった。網に包まれた航路灯が三基、棚の一番下に寝かせてあった。脚の付いた二基は、どちらも脚の刻印が磨きかけで止まっていた。残りの一基は、脚のない灯室だけだった。脚は四本。ガルムの鉤も、四本だった。売る直前に磨く、とラズは言った。まだ売り先が決まっていなかった。


 その奥の棚に、カノンの主機ブロックの部品があった。軸受けの箱、燃料弁の束、制御盤の基板。どれにも、客船の製造番号がまだ残っていた。夜のうちに切り出された、船団の取り分だった。


「コマ」ケイは通信に言った。「来てくれ。見ればわかる」


 ヤットコが舷に付くまで、三分もかからなかった。コマは船倉の入口に立ち、棚を見上げ、寝袋を抱えたまま、長く息を吐いた。


「主機」コマの声は、寝袋に吸い込まれるように小さかった。


「全部じゃない。燃料系の半分は、もう売られてる」


「半分でもいい」コマは燃料弁の束に手を伸ばしかけて、巡視艇の係員に止められ、手を引っ込めた。「……前払いじゃないけど、前払いより嬉しい」


 タルクの画面の掌が、握って、開いた。ブンは何も言わずに、船倉の棚の札の字を、一枚ずつ読んでいた。


     * * *


 ミノスは、ガルムの操舵室で、椅子に座っていた。


 手首に、巡視艇の拘束具が嵌められていた。両手を膝の上に置き、指を組んでいる。甲の火傷の斑が、灯りの下で白かった。ドレは、その後ろに黙って立っていた。二人とも、抵抗の跡はどこにもなかった。操舵室の計器盤は、埃一つなく拭かれていた。


「ガルムは差し押さえます」ロクが言った。「乗員の方々は、ナバで取り調べを。航路灯の窃盗、航路上への障害物の設置、回収権のない物件の持ち出し」


「障害物の設置、は、難しいぞ」ミノスは言った。「板は漂ってた」


「重りが付いていました」ロクは表情を変えなかった。「結び目の尻が、揃えて切ってありました。こちらの船倉の索と、切り方が同じです。職人の目は、証拠になりません。ですが、同じ索が二本あれば、それは物です」


 ミノスは、ロクを見て、それから口の端を上げた。「いい係長だ」


 係員がミノスの肘に手を添えた。ミノスは立ち上がった。操舵室の出口で、ケイとすれ違った。すれ違いざまに、ミノスは足を止めた。


「黄色いの」


 ケイが振り向くと、ミノスは顎で、船窓の外の溝のほうを示した。


「溝の口から、三本目の杭」ミノスは拘束された手首を、まるで気にしない声で言った。「根元が緩んでる。あんたが綱を掛けたのは二本目だ。それは正しい。三本目に掛けてたら、昨夜、杭ごと抜けて、あんたの綱は岩の外へ飛んでた」


「知ってたのか」


「こっちの庭だ。この何か月、あの杭に、何度も索を掛けた。緩めたのは、こっちだ」ミノスは、ケイの目を見た。値切られた職人の、腹の立たない目だった。「打ち直すなら、根元の岩を一回りはつって、太い杭を入れろ。細いのを足しても、また緩む。次に使う奴のために」


「……次に使うのは、うちの誰かだ」


「なら、なおさらだ」


 通路の暗がりで、ブンが老眼鏡を外した。ずっと聞いていたらしかった。


「三本目は、俺が打ち直す」ブンは言った。「年寄りの仕事だ。はつるのは、若いのに手伝わせる」


 ミノスは、ブンの手を見た。節の太い、索で焼けた白い筋の多い手だった。ミノスは、小さく頷いた。職人が職人に、道具を渡すときの頷き方だった。


 ミノスは、それだけ言って、係員に押されて舷の通路へ出ていった。作業靴の爪先が、通路の床の白い線を、一度も踏まなかった。


     * * *


 修理ベイに戻ると、ロクは鉤の軸を証拠袋に入れる前に、もう一度、手袋の掌に載せた。


 写真を撮るためだった。布でなく掌に載せるのが、ロクのやり方だった。頭灯の光が斜めに当たり、磨き残しの刻印が、細い影を持って浮かび上がった。


 刻印のすぐ横に、別の跡が並んでいた。三本の細い、平行な凹み。ハチの左の爪が、昨夜、軸を握って引き抜いたときに付けた跡だった。刻印を潰さないように、指一本ぶん上を握った跡。爪の凹みと、管区の番号が、ロクの手袋の上で、並んで光っていた。


 ロクは写真を一枚撮った。証拠袋の口を開けるまでに、いつもより長くかかった。


読んでいただきありがとうございます!

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