第100話 喉に綱を通す
旧搬出口の蓋は、内側から、二十六本のボルトで留めてあった。
倉庫Bの床のレール跡を辿って、岩の中の旧搬出路を歩くと、四百歩で行き止まりになる。行き止まりは、丸い鉄の蓋だった。人の背丈の倍ほどの直径で、縁のボルトが錆で膨らんでいた。旧搬出路の空気は、作業の前に抜いてあった。三人ともヘルメットを閉め、若い保守員が頭灯でボルトを一本ずつ照らし、テツが番号を振った。ケイは一本目に、長い柄のスパナを掛けた。
回らなかった。
「浸透油」ケイは言った。
テツが渡した。ボルトの根元に吹き付けて、待つ。待つ間、ケイは蓋の表面に掌を当てた。冷たい。蓋の向こうは北の溝の一番奥で、手袋越しの鉄が、影の側の冷たさをそのまま持っていた。
「この蓋、最後に開けたの、いつなんでしょう」テツが頭灯の角度を直しながら言った。
「ボルトに聞け」
「錆の厚さだと、十年は、いや、二十年かな。ここの錆、粒が細かいんですよ。細かいのは、湿気が少なかったからで」
「テツ」
「はい」
「浸透油、もう一回」
半分を過ぎたあたりから、若い保守員が、ケイより先にボルトを回すようになった。ケイは次の一本で手を止め、残りを保守員に渡した。保守員は黙って受け取り、柄の端に体重を掛けた。ボルトが、軋んで回った。最後の一本を抜いたとき、保守員の手袋の掌が、両方とも擦り切れていた。
「蓋、外すよ」ヴィクの声が、通信に入った。「その先は、もう溝。忘れ物は、ないね」
* * *
ハチは、溝の奥で待っていた。開いた蓋の丸い穴から、綱の先が出てきた。倉庫Bの巻き胴に巻かれていた、二重撚りの太い綱。先端に、曳航用の大きな輪が付いている。テツが巻き胴を一段ずつ繰り出し、綱は岩の中を這ってきて、ハチの前に頭を出した。
ケイは右の爪で輪を掴んだ。左の爪で、輪から腕一本ぶん手前の綱を掴んだ。両方の腕が、同じ力で閉じた。
「引く」
ハチが、溝の中を口のほうへ進んだ。綱が、後ろに伸びた。溝は緩く右へ曲がり、途中で一度、左へ振れる。ケイは杭を一本過ぎるたびに、綱を杭の内側へ掛けた。杭が滑車の代わりになり、綱は杭と杭の間でだけ、まっすぐに張った。一本過ぎるたびに、綱の向きが、指一本ぶんずつ変わった。灯りの輪の中を、太い綱が一直線に伸び、杭で折れ、また一直線に伸びた。
溝の半ばの杭の間で、綱が止まった。振り返ると、綱の腹が、溝の底の岩の角に乗っていた。角は鋭かった。旧採掘の刃が残した、斜めの切り跡。このまま引けば、二重撚りの外側が角で削れる。ケイはハチを戻し、綱の腹の下へ、両方の爪を差し入れた。
前なら、左を先に出していた。今は出さなかった。右と左に、同じ瞬間に命令を送った。二本の腕が同じ高さで綱を持ち上げ、角の上を越えさせ、角の向こうへ、そっと置いた。綱の表面に、擦れた跡は付いていなかった。
「……今の、両手だったね」ヴィクの声が、通信の中で小さく言った。ケイは答えずに、次の杭へ進んだ。
「喉の手前の杭は、二本目を使え」通信に、ブンの声が入った。「一本目は口に近すぎて、綱が岩の角を擦る。昔の連中も、二本目に掛けてた。杭の根元が太い」
「見えてる」
喉は、溝の口から二本目の杭の所で、いちばん細く絞れていた。ハチの幅の三つ分が、そこでは二つ分と半分になる。ケイは綱の輪を、二本目の杭の根元にぐるりと回した。回して、折り返した。折り返した綱の先を、溝の外の闇へ向けて引いた。
溝の外は、コロの影の側だった。星の光しかない。その中に、ブロックCの白い腹が、仮係留の索で浮いていた。ハチの灯りが届くと、客船の丸窓が一列、暗いまま光を返した。
曳航金具の輪には、あの朝に見つけた黒い鉤が、まだ食い込んでいた。ケイはそれを外し、軸を灯りに透かした。番号は、どこにも打っていなかった。腹の物入れに入れて、空いた輪に、綱の輪を掛けた。留め具を閉じ、左右の爪で一度ずつ引いて確かめた。動かない。
「掛けた」
「巻き胴、止めた」テツの声だった。「ブレーキ、掛けてます。遊びは、ほとんどないです」
倉庫Bの巻き胴から、岩の中の旧搬出路を抜け、溝の奥から喉まで、杭で折れながら伸び、喉の杭で折り返して、ブロックCへ。一本の綱が、コロという岩と、Cという家を、繋いでいた。
* * *
通信が鳴ったのは、ケイがハチを修理ベイに戻した直後だった。知らない回線。低い声。
「綱を張ったな」ミノスは言った。「見てた。いい仕事だ。杭を滑車にする奴は、久しぶりに見た」
「見てたなら、分かるだろう」
「分かる。岩に何を結んでも、こっちは船で引く。岩は動かないが、綱は切れる。杭は抜ける。金具は外れる。どれが先か、試してみるのも悪くない」ミノスは間を置いた。「最後に、もう一度だけ言う。石代か、Cか。石代なら、一年分を前払いで。今夜のうちに振り込め。そうすれば、Cには触らない。灯も、残りを返す」
ケイは、机の端末を見た。アーチの口座が、開いたままになっていた。
一年分の石代は、その口座から、今この指で払える額だった。払っても、残高は本体の値から、もう一段遠ざかるだけだった。一度押せば、今夜は何も起きない。
横で、ヴィクが湯呑みを持ったまま、座っていた。止める声も、勧める声も、出さなかった。
ケイは口座の画面を閉じた。
「その金は、動かさない」
「動かさない金を持ってる奴は、強いな」ミノスは、喉の奥で笑った。「なら、Cをもらう」
回線の向こうで、何か重い物が、ゆっくり動き出す音がした。船の主機が、回り始める音だった。
「今夜だ」
読んでいただきありがとうございます!
「続きが気になる」「面白い」と思っていただけたら、ブックマークや下の★★★★★で応援してもらえると、とても励みになります。




