アルポロメ公国にて
翌日の早朝、ランティス達は出発した。少しでも早く師の無事な顔を見たいのだろう。本当に一瞬だったが、ランティスやサーシェスが無邪気な子どもに戻ったような気がした。といって、ジャスは彼らの幼少期を知らないので、あくまでも個人の感想だ。ちなみに、リオンは童顔気味の為なので、そもそも大人びて見えたことがない。
見送りの中にディディの姿はなく、その代わりのようにラドが一歩進み出て、リーシャに道中の安全を願う言葉を掛けていた。
(俺に遠慮したのか、忠告を聞き入れてくれたか、それとも単に顔を見たくないだけか)
さてどれだ、と自分に軽くクイズを仕掛けるような感覚であれこれディディの心情を思い、ジャスは溜息をついた。
(可哀相だけど・・・リーシャだって、好きで傅かれる身分に生まれたわけじゃない)
きっと彼女は疲れている。
巫女として厳粛に振る舞い、故郷を奪われてからは自害どころか、ヒトとしての根本的な欲求まで奪われた二十年。
(もう、休ませてやってもいいだろ・・・?)
ずっと走り続けるなど不可能だ。
彼女はもう、充分に頑張った。少なくともジャスはそう思っている。誰が否定しようとも。
「ジャス」
呼ばれ、すぐ横を見ると、不安げな鳶色の瞳が揺れていた。近頃では琥珀のようにも見える双眸は、どこか懐かしさを感じさせるものだった。
「なんだ、リーシャがいなくなって寂しいのか? リア」
「さ、寂しくないわけじゃないけどっ、おめでたいなことだもの。ちゃんと無事に帰ってきてくれるのを待ってるわ」
「・・・・・・ああ、そう」
彼女らの親しさはよく知っているつもりだが、やけにリーシャのことは素直に認めるではないか。つい照れ隠しをするリアの性分を、ジャスは愛らしく感じているが、あまりに優劣めいた反応をされては面白くない。『リーシャ>ジャス』の図式が脳裏に浮かび、思わず頬が引き攣った。
「そういえば、ランティスと何の話してたんだ?」
「え? ああ・・・」
振られた話題に、リアが首を傾げる。
「なんか、話があるんだって。帰って来たら聞いてくれ、みたいな」
「へぇ・・・ちなみに、心当たりは?」
意外に思い、少女の顔を覗きこむ。リアはその近さに内心どきどきしながら、
「ないわ」
と、澄まし顔を装って答えた。しかし残念ながら、その頬はほんのり朱に染まっている。
(でも、ほんと何だったかしら)
別れ際のランティスを思い出し、リアは頭に疑問符を浮かべるしかできない。
『リア、キミに話さなきゃいけないことがある』
『今ここで言えばいいじゃない。当分は帰って来ないんでしょ?』
『いや』
意志の篭った声できっぱりと断じ、ランティスは苦笑したのだ。
『今は駄目だ。――――“ごめん”』
あれは確かに妙だった、と思う。
彼は一体、何を伝えようとしているのだろう。
(多分・・・良くないことなのよね。だから後回しにしたんだわ)
けれど、考えても考えても分からない。何せ心当たりが全くないのだ。強いていうなら、先日ランティスの過去に纏わる話を聞いたことか。
(でも、それがどう繋がるのか分からないし)
謝ってもらうようなことは何もない筈なのに、あの時ランティスの瞳には、思わず目を背けたくなるような苦渋の色があった。
きっと告げたくはなくて、それでも何かに突き動かされて。
(相談・・・してみようかしら)
ちらりと傍らの少年を見上げる。ジャスならランティスとも親しいし、口が堅いと信頼できる。何より、打ち明けたなら真剣に耳を傾けて、一緒に悩んでくれるだろう。解決できるかはともかくとして。
(駄目だわ)
リアは躊躇を覚えた。一方的に避けてしまって、半ば強制的に仲直りしたのはまだ昨日のことだ。しかもジャスの方から歩み寄ってくれたのに、逃げ続けた自分が尻馬に乗るようで、ひどく虫の良い振る舞いに思える。
「リア?」
知らず眉を寄せていたリアは、ジャスの怪訝そうな声で我に返った。
「ううん、大丈夫。ランティスが帰って来たら分かるんだもの。宿題だと思って、ゆっくり考えるわ」
「・・・そうだな。今から土産の予想でもしてようか」
「ええ」
そうして、冗談めかして笑いあった。
再びランティス達と顔を合わせる時、自分の身に何が起こるか。
少年少女は未来を知らず、ただ日常を謳歌していた。
チュニアールを出たランティス一行は、女王ルフィスと巫女姫ソフィアの厚意で、アルポロメの公都まで転移した。しかし勿論すべてが一瞬で済んだわけではない。術式の準備や動力源の確保、行使者であるソフィアの体調などなど、たった一日で目が回る思いだった。しかし何より感動したのは、そういったことに文句を零すどころか、口々に祝いの言葉をくれた仲間達の笑顔だった。
「さて、と」
自分達はつい一分前にチュニアールを出た気分なのだが、実際にはとんでもない誤差があった。
アルポロメとチュニアールでも多少の時差は発生する。しかも、古代の移動魔法なので未だ精度にムラがあり、目的地に無事に転送された時、既に世界時間では一週間以上が経過していたのだ。
「・・・笑えないよなぁ」
「ですが、マリーナさんは気長な方ですし、そもそも一週間程度で目的地に来れるなら、普通よりずっと速いです」
「そりゃそうだけど・・・出かけるのは、明日にしようか」
感覚的には数時間前に起床した彼らだが、頭上では黄金の月が輝いていた。
アルポロメ公都で【星空の宴】が所有する屋敷には、常に五十人ほどの団員がいる。戦闘要員ではないデスクワーク派の彼らの護衛として、ジャスが職権乱用と言わんばかりに海兵を適当に軍から引き抜き、陸の仕事を押し付けているのは公然の秘密だ。慎み深いようでちゃっかりしているジャスは、使えるものは何でも使う。
そんな屋敷には、思いがけない先客がいた。
「シンルー!?」
「こんばんわ、ラン。新婚旅行・・・って、サーシェスとリオンも一緒だから、家族旅行ね」
「それはいいから」
氷の女神を思わせる冷たい美貌にはおよそ似合わない、にやにやとあまり上品でない笑みを浮かべて近寄ってくる女は、間違いなくシンルー・アーゼだった。
「何をしているんだ。トロナイルの北に行ったんじゃなかったのか?」
「そうだったんだけどねぇ。ちょっと予定が狂ったのよ」
苦笑いするシンルーに、リオンが何か不穏なものを感じたように声を落とした。
「捜していた人、今はアルポロメにいるの?」
「残念。ルフィスさんの口添えで、トロナイル貴族の屋敷においてもらってたんだけど、少し前にそのルフィスさんから頼まれてね。会えてよかったわ。・・・思ったより随分と遅かったけど」
「ソフィア様に言ってくれ。それで?」
首を傾げたランティスに、シンルーは僅かな躊躇いの色を見せたが、やがて場所を変えようと申し出た。どうやら、エントランスで立ち話できるほど、気楽な内容ではないらしかった。
「・・・“黎明の騎士団”? 何それ、あの連中まだいたの?」
話を聞いて、真っ先に口を開いたのはリオンだった。
「いたみたいね。それも何故か、まるで復活を宣言するみたいに、またトロナイルを荒らしている」
その国の未来を背負うジャスの顔が浮かび、全員が表情を曇らせた。
「リオンの言葉じゃないけど、まだ活動を続けてる奴等が残ってるんだな、“ラジェーテ”の連中」
「ネーミングセンスのある奴はいないみたいだけど」
「はいはい、いいから聞きなさい野郎共」
男二人を制しつつ、聞き入るサーシェスとリーシャへ微笑み、シンルーは本題を口にした。
「そいつらの根城が、アルポロメにあるんじゃないかって情報が入ったの。申し訳ないんだけど、用が済んだら手を貸してもらえないかしら」
【ラジェーテ】出身の三人は目を瞠った。
師が急遽引っ越すといっていたのはまさか、既に襲撃を受けたからではないのか。いや、もしかしたら最悪の場合、今回の手紙そのものが【黎明の騎士団】が仕掛けた罠という可能性も出てくる。
「アルポロメのどの辺り?」
「ずっと南よ。山岳地帯」
ランティスは頭の中にも地図を思い浮かべた。
「ノジギレス山脈か。確かに、一年を通して霧が深いことでも有名だから、連中が雲隠れするには打って付けか。魔物のせいで道も整備できてないし、何より不毛の土地だもんな・・・人目にも付かない」
「まあ、そういう事ね」
口調の割に重い溜息を零したシンルーは、暫し考えに耽った。
他でもない、自分自身の「捜しもの」だ。
(・・・どうしてかしら)
世間は狭いというけれど、自分達は何故こんなにも歪な鎖で繋がっているのだろう。
(いえ。まだ、決まったわけじゃないわ)
女王の補佐として磨いた手腕を遺憾なく発揮し、情報を集めた彼女は、真実の欠片を手にしていた。
あまりにも残酷な、その絆。
ジャスとリア。ランティスの過去。そして彼の師である女性と、自分の求め人。
・・・未来を選んで、進んだつもりだった。自分の意志で。
なのに。
もし神が実在して目の前に現れたら、八つ裂きにするだろう。
(その結果が、これなの・・・・?)
瞼には、遠い日の姉の死に顔が張り付いていた。
翌日、夜明けも待たずランティス達は出発した。シンルーはルフィスの指示で動いているので、そのまま屋敷に留まるとのことだった。
ランティスは一瞬、リーシャを連れて行くべきかひどく迷った。もし今回の件が敵の罠であった場合、彼女を危険に晒してしまう可能性がある。それでなくとも、ランティスはリーシャに血生臭いものを見せたくないのだった。
しかしながら、やんわり屋敷に残るよう勧めたとき、リーシャはにこりと微笑み、「行きます」と言って譲らなかった。その妙な迫力に呑まれ、誰も彼女を退けることができず、現在に至る。
「馬に乗るのは久々だな」
「リーシャと密着できて嬉しそうだね」
ランティス以外は【翼】の魔法が使えないし、リーシャが龍に化けても目立つのは得策ではない。結果として、彼らは馬を購入した。ルフィスの教育方針だったが、乗馬を習得しておいてこれほど役立ったのは初めてだ。アルポロメには鉄道もまだ整備されていないので、馬での移動は人目に触れても不審がられることはない。
ランティスがリーシャと二人で少し大柄な馬。サーシェスとリオンは平均的な体躯の馬に跨っているが、馬術を苦手とするリオンは見ていてやや危なっかしい。
「・・・あれ、マリーナさんの字だったよね?」
「ああ。あんな落書き以下の模様を手紙として書き綴った挙句に送りつけてくるとしたら、やっぱりマリーナさん以外ありえない」
「あまり悲観はしない方がいいですしね」
頷きあう幼馴染達を見つめながら、リーシャは首筋に妙な痛みを感じた。
ひりひりとする、何か。
(この方向に、何か・・・)
漠然としているが、巫女として育てられた彼女は、特殊な魔力の誰かがいると感じていた。しかも、その気配はどことなく、リアと似ているものがある。
「リーシャ?」
「あ、いえ」
昼も過ぎた今、目的地はかなり近づいていた。何もトラブルさえ起きなければ、夕刻には辿り着けるだろう。しかし逸る気持ちを抑えられない彼らは、ひたすら馬の腹を蹴り続けた。丈夫な馬を見繕っただけあって、最低限の休息しかとっていないのに、よく走ってくれている。
「もうすぐだ」
リーシャのすぐ後ろで、ランティスが呟いた。自分に言い聞かせているらしく、リーシャは励ます意味で、その腕に小さく触れ、振り向かず言った。
「大丈夫ですよ」
暫くして、小さな返事が耳元で囁かれた。
いてくれてありがとう、と。




