もう家族にはなれないけれど
僕はファルディオ・レガリア・ストレイ。
念願の長男。公爵家の後継者。
……女神の再来と崇められる姉の、残り滓。
貴方は何も悪くないのよ、私の可愛い宝物。
対外的には気丈に振る舞っていた母が、実際は常に周囲の評価に怯え、息子である自分を必死に守っていたことは、僕だけがよくわかっていた。
父は最愛の亡き前妻を忘れられず、政略婚として娶った後妻を気遣いこそすれ、そこに深い情は存在しない。
いつだって、この家の中心は姉だった。
レリアル・ウルフラーナ・ストレイ。
魔法が衰退しつつある今この時代に舞い降りた、神々の祝福の象徴。
さっさと軍部にでも差し出せばいいのに、何故か父は姉をこの家から離れさせない。彼女が生まれた折、時の皇帝から我がストレイ家は新たに豊かな領地と家畜などを下賜されたという。表向きは姪の誕生祝いでも、実際は神話の再来を慶び、それを産み落とした亡きストレイ夫人への報酬だったのだろう。
(きらいだ)
姉が嫌いだった。
ただ生まれただけで世界に祝福され、幸福が約束されている。そのくせ、本人はどこをどうとっても平凡で不釣り合いな女。
(だいきらいだ)
姉はいつもこちらを見ない。
母の背に隠れながらずっと見ていた。
どれだけ母に罵られても、姉はどこ吹く風。自分たち親子など、まるで歯牙にもかけない。
その様は、出会ったことのない、彼女の実母アルナを連想させた。
母から父の婚約者の座を奪い、あのできそこないの女神を生んだ病持ちの女。公爵家の当主に嫁いでおきながら、男児ではなく女児を産んで死んだ。
それが普通の女児であれば、どれだけよかったことか。きっともう少し、まだマシな姉弟になれた気がする。男児だったなら少々面倒だが、存在しない兄などどうでもいい。
『まあ、ストレイ閣下のご子息よ』
『お姉さまが、女神の再来っていう、あの?』
『ふふ、殿下はお姉さまを大層お気に入りなのに、弟君のほうには特にお声がけなさらないのよ』
『そりゃあね。お姉さまを手元におけたなら、神の威光とストレイ家、どちらも手に入るのだもの』
要らない存在だと世界に嗤われている気がした。
自分は姉の予備部品。代用品だ。
きっと姉ほど特別な女なら、特例として女の身で公爵家の家督を継ぐこともできただろう。それを、皇太子が妻にと望んだものだから、じゃあ慣例に倣い弟を後継者に据えよう、と周囲が判断したのだ。
母は必死に慰めてくれた。貴方は何も悪くないのよ、貴方は世界に愛されている。
『分かってるよ、母上』
貴女が守りたいのは自分の誇りなんでしょう?
婚約者を奪われて、国にとって無視できないほど特別な子を産み、聖母のように讃えられ、夫とは確かな愛で結ばれていアルナ。
いつだって比較されてきたんでしょ。正当な後継者である男児を産んだのに、誰も自分を見てくれないことが信じられなくて、焦ってるんだよね。
そっくりな母子だよ、僕たち。どこまでいっても、本当のストレイ家にはなれっこないんだ。
ほら、破滅の音がする。
「あ、ファルディオおはよう」
そいつは呑気な調子で後ろから声をかけてきた。
「……おはようございます、ナリガレロ伯爵」
公爵と伯爵では、もちろん公爵のほうが格上だ。しかしファルディオはあくまで公爵の息子に過ぎず、現在伯爵の地位にある彼は上位にあたる。
「相っ変わらずの他人行儀だなぁ。もうじき家族になるってのにさ」
それが僕の破滅なんだよ。
苛立ちを殺しきれず、歯を食いしばった。そのまま、目の前の憎たらしい美男子を睨み付ける。
サザード・ダズル・ナリガレロ伯爵。兄妹間に産まれた不義の子でありながら、後継者に恵まれずお家断絶の危機にあった伯爵家の跡目を継いだ棚ぼた貴族の青年だ。
そして、あの姉の婚約者に内定している。
『え、そうなの?』
『閣下は伯爵様をお気に召されているご様子だわ』
『じゃあ殿下とのお話は?』
『さあねぇ。でも、確かに閣下は今上様のご兄弟であられるから、あまり結び付きが強すぎるのも困りもの、ということじゃないかしら』
『血が近すぎるものね』
『いやぁだ。なに言ってるの? それを言ったら伯爵様なんて』
『これ。およしなさいよ……』
たまに思う。聞こえてるよって言ってやろうかと。だが、そんな気力も起きないくらい、周りは敵だらけだった。
「ファルディオ? どした?」
「別にどうも。姉上なら知りませんよ。部屋にでもいるんじゃないですか」
どうせコイツも姉レリアルにしか興味がないのだ。いちいち丁寧に接するのも馬鹿らしい。非礼というなら、先の言葉を返すまでだ。
もうじき家族になるというのに。
……ああ、これほど吐き気がする言葉もそうないな。
姉が皇室に嫁がない。といって、曰く付きの伯爵家に任せられるような、ただの令嬢ではないのだ。
ならば、おそらくこの男は婿入りしてくる。衰退しつつあるナリガレロ伯爵家は、三大公爵家ストレイの家来になって安泰だ。そしてストレイ家としても、家宝より大切な娘をよそにやらずにすむ。
そして、とうとう自分は用済みになるというわけだ。
姉と姉婿が、このストレイ家を守っていく。そこに弟は必要ない。嫡男でありながら、姉夫婦の補佐をして生きていく。
なんのための人生なのだろう。
受け入れきれない諦めが、胸の奥で濁って苦しい。そんな生活が何年も続いた。
何年も、何年も。
『公爵家を継ぐべきは君だろう』
疲れていた。幼い心を蝕むには充分すぎる時間だった。
もう何もかもどうでもよかったのだ。悪魔の声に耳を貸してしまった。父の子である誇りも、僅かばかりの良心も。
その結果を目の当たりにするまで、自分の本心にも気づかないで。
「姉上が殿下を殺そうとした?」
「白々しい演技はおやめなさい、ファルディオ」
目の前の華奢な少女は、冷たい目で此方を見下した。
他者を従え、時には死すら命じる絶対的な王者の眼差し。
マリアンヌ・ルーゼランカ・ラフィファディロディア。
この大帝国の正統な皇女であり、皇太子の同母妹。自分にとっては従姉にあたる相手だが、身分立場には雲泥の差があった。彼女の一声で、自分は瞬く間に居場所を失う可能性だってある。怒りを滲ませ佇む姿は、獅子さえ怯みそうな迫力だった。
「異例のことです。皇族に刃を向けた者と結婚するなど。それなのに、大した反対もなく罷り通った。以前からリアお姉さまを取り込むため伯を排する動きがあったのは承知していましたが、ここまで腐敗が進んでいたなんて。……ましてや、姉や、その婚約者を売るような卑しい輩が、身内から出るなど。おぞましいにも程がありますわ」
「麗しい皇女殿下。お待ちください、そのような話、私は存じませんでした」
ファルディオは青ざめた。この皇女がレリアルを実の姉のように慕っていたのは知っている。どいつもこいつも、と怨めしく思っていたが、今は事情が違った。なんとか媚を売って身を守らねば、証拠を捏造してファルディオを陥れるくらいは朝飯前の狡猾な姫が相手なのだから。
そう、媚を売る。
潔白を示し、身の証を立てることはできない。
何故なら。
「貴方が、アルポロメ公国の得体の知れない神殿から、魔法道具を買い取ったのは調べがついていましてよ。随分とお粗末な尻尾の切り方ですわね」
闇ルートで流通していた違法な魔法道具。虚ろな頭で特に何も考えず、言われるがまま行動したらこの様だ。
いや、自分の素性が割れるようなことはしていない。それは断言できる。ただ目の前の皇女が化け物のように優秀すぎるのだ。
「殿下、僕は……!」
「申し開きを聞く耳はなくってよ。……本当なら罪を償わせるべきなのだろうけれど、今回の件でまた宮殿は揺れます。公爵家の嫡男が伯爵を暗殺したなど、貴族間の勢力図にも必ず影響するでしょうね」
少なくとも、貴方の愚かさが名門ストレイ公爵家を潰してしまうことは避けられない。
ファルディオは口のなかが渇ききっていた。頭が痛いし目眩も酷い。足元の感覚がどんどん曖昧になってくる。
「ぼく、が……」
「なんですの?」
室内には皇女の護衛が数名。彼らは無表情だったが、それさえファルディオには威圧めいて感じられた。まるで塵でも見るような眼差しだと。
「僕の罪が明らかになれば、殿下のお気に入りの姉も、いよいよ破滅しますよ……?」
情けないにも程があると、自分でも思った。事実、皇女は険しい表情に憐れみさえ混ぜて、溜め息をつく。
「我が従弟ながら、ここまで落ちぶれているとは思いませんでしたわ。本当にリアお姉さまの弟なのかしら」
最後の言葉が、ファルディオに火を点けた。それさえ皇女の計算だと理解したのは、まだ先のことで。
「……ええ。そうですね。どうせ僕にはあの女の弟である点以外には何の価値もない」
「思い上がりも甚だしいですわね。本来なら貴方はもう、それを名乗る資格はありませんのよ」
「じゃあどうすればよかったんだ!」
喉が痛くなるほど大声で叫んだ。護衛が瞬く間にファルディオを取り押さえる。それでも我慢できなかった。
「誰も僕を見てくれなかった! 父は前妻と姉のことばかりで、母は自分のことばかりだった! 使用人たちだって……」
「だったらリアお姉さまは?」
まるでファルディオが激昂するなど計算済みだったかのような、冷静な声だった。
「リアお姉さまが、一体いつ貴方を軽んじたというのです。あの方はいつだって、後継者は弟だと言って譲りませんでしたのよ。……ご自分に真っ当な人間の暮らしを営む自由がないことを、誰より自覚しておられましたわ」
ファルディオは今度こそ頭が真っ白になった。初めて聞く話だったし、何より意味がわからなかった。
「自由が……ない?」
「お立ちなさい。貴方は知らなければなりませんわ」
護衛に腕を引っ張られる。罪人として縄を掛けられないのは、ひとえに皇女がそう指示していないからだと理解していたから腹は立たない。何より酷く混乱していて、まともにものを考えられそうにはなかった。
連れていかれたのは、郊外にある魔法研究所の一室だった。
マリアンヌは扇を広げ、卓を示す。
そこである資料を見せられた。
「え……」
それは姉の記録だった。
人間の身では考えられない魔力値。女神の再来を名乗るに相応しいかを証明するたに施された数々の実験と、記された驚異の回復力。
自分の知らないところで、姉は何度も何度も、死んでもおかしくないような【実験】を受けていた。
心臓を突く。痛み有り。魔力が粒子となって穴を塞ぐ。
腕を折る。痛み有り。意識明確。魔力が骨を接着させるが形が歪だった為砕く。痛み有り。繰り返す。
手足を拘束して水中実験。興奮気味。192秒で蒼い炎が発現、水を蒸発させ水槽を破壊。再度拘束し現状維持のまま経過観察。肺の水で意識混濁。魔力による自己修復の兆しあり治療せず――――。
姉は恵まれた存在のはずだった。
そうでなければ、ならなかったのに。
「他にもまだありましてよ。ああ、ほら。こちらは出血時の記録。それから魔法の発動条件究明の実験も。なにしろ大昔の存在でしたから資料も乏しくて、お姉さまは随分と酷な扱いを受けました。魔法と心理状態の関係が密であるのは判明してましたから、尊厳など無視した実験ばかりですわね」
どんな形であれ、気持ちが高ぶれば古代の魔法が発現するという考えだ。
「父はなぜ助けなかったのですか……?」
「叔父様は必死に庇っておられました。ですが、それでも守りきれぬほどお姉さまは特別だったのですよ」
自分を顧みなかった姉を思い出す。
あれは興味がないとか見下しているとか、そんな単純なことではなかったのだ。
彼女こそ救いを求めていた。肩書きではなく、自分自身を見てくれる相手を。
なんてことだろう。
だから父は姉を皇室に嫁がせたくなかったのだ。いよいよ守れなくなるから。親以前に人間として、こんなことは看過すべきではない。
「……伯爵は」
「きっとご存知なかったのではないかしら。お姉さまは知られたくないでしょうし」
奪ってしまった。
伯爵は姉の希望だったのに。
この世で唯一の、救いだったのに。
「……叔父様にも困ったものですわ」
「え?」
「貴方には国の暗い部分を見せたくなかったのでしょう。その結果がこれとは」
ぐうの音も出なかった。
どうやって償えばいいのか分からない。
「貴方の事は叔父様も勘づいていましてよ。自分に責任があるからと、庇うおつもりでいらっしゃるわ。でも、今ストレイ家に消えられては皇室としても困るのです。ですから、貴方はわたくしが守って差し上げますわ」
「それは……」
ようやく頭が回り始めた。
「貴方が奪った伯爵の分も、貴方はお姉さまを守りなさい。いいこと? 決して気取られてはいけませんわ。私も表では貴方との接触を避けます」
それから、と。マリアンヌが扇を閉じる。より凛々しさが増した。
「貴方に声をかけてきた者は?」
迷いがなかったといえば嘘になる。姉や父へのわだかまりも。
だが、それでも。
(自分の過ちは正さないと)
「畏れながら、申し上げます」
そして、伯爵暗殺を持ちかけてきた、主犯と思われる者の名を、告げた。
3年後。ファルディオは12歳になっていた。
今日は姉と皇太子の婚約披露宴だ。
「レリアル姉上」
「ファルディオ」
あれから姉は更に生気を失った。
「なあに?」
「改めて、婚約成立おめでとうございます」
「……ええ」
俯き、静かに姉が頷く。それ以外の返答など許されないのだ。
自分のせいだ。
自分がこんなにも、彼女を苦しめている。
「でも、殿下は本当に広い御心をお持ちですね。斬首されてもおかしくない無礼を犯した貴女のような蛮族を、それでも妃として迎えてくださるというのですから」
だから恨んでほしかった。どうか赦さないで。憎んでくれたほうが楽だから。
しかし。
「そうね。気の狂った女の相手は同じく気の違えた男でないと」
姉は微笑んでそう答えた。
ああ、僕は結局……。
顔が歪みかけたその時、視線を感じた。
振り向くと、マリアンヌ皇女が小さく微笑んでいる。だから会釈だけしてその場を離れた。そうやって、指示通り疎遠な親戚を演出する。
この数日後、姉は帝国から、姿を消した。




