歩み
幼い頃は、幸せだった。
分かっていないことに気づかなくて、知らないことがあることを知らなくて。
そんな能天気な奴だから、彼らは僕をおいていってしまったのかもしれないけれど。
コーバッツ男爵の館はさほど大きくない。現当主が華美や贅沢を好まないため、貴族というより裕福な商家といっても通りそうな規模だ。もちろん庶民からすれば立派な豪邸であるが、その感覚は今生では身に付きそうもない。
期待と喜びを胸に、ロジオン・フィジー・ルートバルスは応接室で、とある人を待っていた。臆病な自分が自ら父に願って馬車に乗り訪れた、最大の理由。
小さな足音が近付いてくる。待ちきれず、立ち上がった時だった。
「ロージャ!」
介添えを待たず自分で扉を開けて、名前を呼んでくれた。ロージャは嬉しくて頬が緩む。
「おひさしぶりです、殿下!」
同じ人物を祖母にもつジャスティス王子とは、再従弟の関係だ。彼は少女のように愛らしく、しかし同年代の自分から見ても利発さと王者の資質に輝いて見える。
そんな国の宝のような王子だが、何やら事情があるらしく、王宮には殆どいなかった。この今とて、我がルートバルス侯爵領から比較的近い、コーバッツ男爵領に滞在している。だからこそこうして会いに来れたのだが。
大人しく人見知りする少年達は、血筋や年齢が近いこともあって、少ない言葉の中にも親近感があった。似た者同士ゆえ気が合うし、仲良くすることを誰にも咎められない貴重な相手だ。
ロージャの父は、大切に守られている王子から気に入られている自分に、何かしらの働きを期待している。しかし、そもそも現国王に我が一族の血は流れているし、その息子であるジャスティス王子も同じことだ。国母の生家として今以上の地位を望むのはあまり賢くない。
……なんて、この時の自分には、理解できなくて。
王子が近隣のコーバッツ領にいるのに何の連絡もくれなかったことを薄情だとさえ感じていた。そのくせ、対面した時の王子の僅かな苦笑にも気づかないで。
まあ、それもしかたないかな、なんて。
「誰だ君」
女の子の声がした。
え、と思うより早く、相手は王子を庇うような位置に立つ。
「誰?」
「え、えっと」
見かけない顔立ちから、少女が異国の者であることはすぐ察しがつく。人見知りの少年が怯えるには充分すぎたし、国母の孫であり国王の義理の甥に当たるロージャに、こんな態度をとる人間は今まで存在しなかったのだ。
「僕の従弟だよ!」
王子が慌てたように口添えしてくれる。すると、ますます彼女は眉間に紫皺を寄せた。
「は? じゃあ君を王宮から追い出した連中の仲間ってこと?」
「ち、ちがうってばあ」
慌てる王子と首を傾げる少女の姿に、ロージャは驚いた。てっきり王子の護衛かと思ったら、なんとその王子に対しても砕けきった口調で接している。いや、そもそも護衛にしてはあまりに幼いか。自分達と同じか、あるいはそれより幼く見える。
「あ、あのぅ」
「なにさ、……。……誰さん?」
「ろ、ロージャです!」
疑惑の目でこちらを睨む東洋人の少女と、その後ろで慌てふためく王子。
これが、ヒルデガルド・コーバッツ男爵令嬢との出会いだった。
三人で過ごした時間は、ほんの数日たらずだった。
しかし、それでもあの日々が今なお輝いて思えるのは、彼らがいたからだ。
「ねー王子さまぁ、まだ本よむのぉ?」
文字は読めるがじっとしていることが苦手らしいヒルデガルドは、書斎に入り浸る王子とロージャに辟易しているらしい。
まあ、後になって聞いた話だと、普段ここはコーバッツ男爵と王子の語らいの場であり、その際はヒルデガルドも静かに座っていたそうだから、要するに当初の彼女は団欒の場に割って入ったロージャが気に食わなかっただけなのだ。子ども同士で、と気を利かせた男爵の厚意は見事に裏目に出ている。
まあ、もっと大きくて単純な理由は、別にあったけれど。
「ヒルダは読まないの?」
「そうですよ。殿下の読書の邪魔をするなど、いけません」
「うるさいガリ勉」
「ガ……なぁに?」
ぼそっと吐き出された言葉は御曹司二人には馴染みがなく、首を傾げるしかない。ヒルデガルドはやれやれと溜め息をつく。
「じゃあ僕は外にいるよ。邪魔してごめんね」
「ええっ」
がーんと青くなる王子に、ぎこちなく一礼してヒルデガルドが退出する。彼女が養女として迎え入れられたのはつい先月の話だと聞いているから、年齢のことを差し引いたとしても、貴族としての行儀作法や所作礼節に不馴れなのも頷けた。いや、しかし今のは。
「殿下、もしやヒルデガルドさんは、どこかお体が悪いのですか?」
「え?」
「あ、いえ……」
握力を確かめるように拳を握ったり、手足を恐る恐る曲げ伸ばしたり。いかにも活発な女の子という風情なのに、動作はとてもゆっくりで。
「うん。ちょっと怪我してるの。こないだまで杖ついてたよ」
「やはり……」
「よくわかったねぇ」
すごいや、と感心した風に笑う王子に、ドキリとする。
「え、いや! その……っ」
本を読む振りをして、その実ロージャは内容が全く頭に入っていなかった。
陽の光が入る午後の書斎で佇むヒルデガルドの姿が、脳裏に焼き付いて離れない。
(きれい、だったから)
ちらりと盗み見た瞬間に、心を奪われた。
コーバッツ男爵は、その手紙を静かに破り捨てた。
『ヒルデガルド・コーバッツ男爵令嬢との縁組みを望む』
差出人は、ルートバルス侯爵家。
……急なロジオンの訪問には、こういう裏があったのだ。
確かに自分が迂闊だったと思う。王子を預かっている身で同じ年頃の娘を養女に迎えれば、貴族からの邪推は必至だ。自分たち夫婦が子の成せない体であるという噂を聞いて安心していた者たちはさぞ慌てたことだろう。
(美しいものを讃え、愛しいものを抱き締める。それだけのことが何故できないのか)
だからといって、これはあからさますぎる。多少の苛立ちから、千切った手紙を暖炉へ焼べてやった。
ヒルデガルドは、自分と妻の娘だ。それをどうして、家族になってすぐ手放さなくてはならないのだ。
王子と親しい関係にならないよう、そうなる前に、男爵家より遥かに格上で権力も財も歴史もある侯爵家の息子と婚約しろというのだ。
ありがたいだろう? 断れるはずもない。そんな卑劣な声が聞こえてきそうだ。
「させてたまるものか」
ジャスティス王子も、ヒルデガルドも。知らず陰謀に組み込まれているロジオンでさえも。
子どもは等しく世の宝であるべきなのに、どうしてそんな黄金より価値あるものを、大人たちは汚い手で触って狂わせるのか。
「先生! ……せん、せい?」
ノックなしに部屋へ来たのはジャスティス王子だった。いつになく険しい顔をした男爵に、やや怯んだようである。
「おや、殿下。どうなさいました?」
ノックを忘れていますよ、と、軽くドアを叩く真似をしながら笑いかける。王子はやや赤くなって俯いた。
「ご、ごめんなさい」
「いえいえ」
これでも一応、王子の教育係なのだ。小さなことでも指摘しなければならない。
「ヒルダはいない?」
「いいえ。殿下のところにいるものだと」
「さっき出ていっちゃって……東の国の本があったから、一緒に読みたくなって、探してたんです」
「それはありがとうございます。……ここにはいませんが」
新しい名前を得た彼女は、まるで従者のように王子の側を離れなかったのに、これは珍しい。
「私も探しましょう。いやぁ、かくれんぼですね」
「……かくれんぼ!」
やったことがないのだろう。王子の目がキラキラした。
「探す相手が一人だけというのが少し残念ですが」
これでは狩りのようだとは、あえて言わない。
「私は部屋を見てきますね」
「じゃあ、僕はお庭にするね!」
「畏まりました。ところで、ロジオン様は?」
「あっ」
王子が、本当に忘れていた、という顔になる。
「書斎で待っててって言ってきたまんまだ」
「おや。では、先に声をかけにいきましょうか」
「うん!」
そうして彼らは、本当の親子のように、仲良く手を繋いで書斎へ歩き始めた。
王子が出ていった、そのすぐ後。
ロジオンは硬直していた。
「なんだ、君だけなの?」
窓から入ってきた男爵令嬢は、不満げにロジオンを見る。
「殿下は?」
「あ……え、えっと」
「口ごもって可愛い男の子はこの世で僕のの殿下だけだよ」
苛立った風もなく真顔で断言するヒルデガルドは、令嬢というより騎士のような雰囲気だ。扇子よりも剣、というか。
「殿下は、貴女を探して……また、戻られると思いますが」
「あっそ」
じゃあ待つよ、と彼女は部屋の隅の長椅子へと腰を降ろす。
なんだか知らないが、自分が歓迎されていないことは嫌でも理解できた。
「あの、ヒルデガルド様」
「なんですか、おぼっちゃま」
こんな辛辣な態度をとられたことなど一度もない。ロジオンは内心びくびくしながら続けた。
「こちらに座られませんか?」
「……そこは殿下と男爵の指定席ですので」
つん、とそっぽを向かれた時、ようやく理解できた。
ああ。なんだ、彼女は。
(本当に、殿下と男爵閣下のことが大切なんだ)
そこに割り込んだ自分が気に入らないのだと理解できると、恐怖が和らいだ。
「急に来て、ごめんなさい」
養女として迎え入れられて日も浅いうちから、自分の大好きな光景に邪魔者が侵入してきた。ヒルデガルドの心情を思えば、確かに自分は迷惑な奴だった。
「あっ……いや」
しゅんとして詫びれば、ヒルデガルドが僅かに狼狽した。反応が返ってきたことに驚いたロジオンだが、ヒルデガルドの表情で更に目を丸くする。
いや、ときめいた、というべきか。
ヒルデガルドはやや頬を染め、目を泳がせていた。
「君が悪い!」
「は、はい」
「……わけじゃ、ない。ことは、本当は、わかってる!」
「えっ」
予想外の発言だった。ロジオンは立ち尽くしたが、目の前で真っ赤になっている女の子の、そばにいきたいと思った。ゆっくり歩み寄る。
「……すわっていいですか?」
「好きにすれば良い」
むくれながら、答えてくれた。そのことに安堵して、同じ長椅子の端に腰かける。
「お邪魔します」
「……ごめん」
ヒルデガルドが、ばつの悪そうな顔で言った。
「なにがですか?」
「君は悪くない。僕は拾われっ子だし、本当ならこんな生活が許される人間じゃないんだ」
目の前の少女については、子どもの自分の耳にまで届くほど噂になっている。珍しい容姿だから、王子のために男爵が取り寄せた玩具とまで揶揄されていた。
しかし、あくまでロジオンにとっては他人事で、彼女という相手を軽んじる理由にはならなかった。寧ろ混乱している。だから何だろうか、と。
「えっと……ヒルデガルド嬢?」
「だーかーらー! ……態度、悪かったろ。ごめんってば」
察しの悪いロジオンに苛ついた様子を見ながらも、ヒルデガルドは言い切った。
「男爵の教育が悪いとか、そういうんじゃない。ここの人達はみんな良くしてくれる。だから、……その、それ以外の人間と、どう接したらいいか、まだよく分からないっていうか。でも、男爵と殿下をとられたみたいで面白くもなくて……とにかく悪かったなって話だよ!」
最後には八つ当たり気味に言われたが、じわじわと衝撃が和らぎ、ロジオンは事情が飲み込めた。
「……本当に閣下と殿下のことが大切なんですね」
「そりゃそうだろ。どっちも恩人なんだなら……です」
「?」
急な語尾に面食らう。すると、再びヒルデガルドがむっとした。
「話し方を改めようとしているだけだろ、です」
「別にいいのに」
本心から溢れた言葉だった。彼女が放つ飾り気のない言葉達は心地よく、余計な敬語は必要ない気がしたのだ。
しかし、これはそう簡単な話ではない。お互いの身分もあるし、どう言いくるめようか考えた時。
「あ、ほんと? いいの!?」
「えっ」
秒で順応された。
自分の望んだ展開だが、思ったより流れが速くて戸惑ってしまう。
「よっしゃ。じゃあ仲直りね。よかった、これで二人とも安心してくれるよ……」
「あ、はい」
何故かこちらが敬語になっていた。
「悪いけど、もういっこ付き合ってよ。とりあえず上手くやってるアピールがしたいんだ。手始めに、ほれ。僕の事はヒルダで」
「え……ええっ!?」
ほぼ初対面で家族でもない少女を愛称で呼ぶなど、とんでもない。ロジオンは真っ赤になった。その反応に、ヒルデガルドがむっとする。
「なにさ、嫌なの? 男爵と殿下がくれた名前にケチつける気?」
「そ、そんなつもりは!」
名付けは彼らによるものなのか、と驚く半面で怯えるロジオンは、ヒルデガルドの態度がチンピラのそれに近いことなど知りもしない。じっとり睨まれ、とうとう白旗をあげる。
「ヒルダ様」
「様はないだろ。お互いの身分差を考えてくれる?」
「ヒルダ嬢」
「うーん。君に丁寧に接させると後々面倒かも」
「ヒルダさん」
「は? 僕が年上みたいじゃないか」
追い詰められている、とロジオンは焦った。しかし東洋人は実年齢より幼く見えると聞くし、案外ヒルデガルドも自分や王子より年上なのではないか、と頭の隅で思った。しかし結局はすぐ消えてしまう思考だ。
ヒルダ。
そう呼べ、と言われている。
だが、さすがにロジオンの性格でそれは難しかった。どうすればいいのか。
「……あ」
「?」
「ひ、ヒルダちゃん、なんてどうかな!」
ヒルダちゃん。
ヒルデガルドが繰り返す。ヒルダちゃん?
「……なんか、君が男爵や殿下と仲良しなのがよく分かったよ」
似た者同士なんだなぁ、とヒルデガルドが呟いたとき、その男爵と王子が書斎のドアを叩いてきた。
+ + + +
佳い夜だな、とヒルダは思った。
今宵はヴァレンティノワ公爵邸で、王子の立太式を祝う私的な集まりが催されている。
リアの友人であるというリーシャは宗教画から抜け出てきたかのような神々しさがあり、ヒルダは彼女を天使様と呼ぶことにした。一瞬リアとリーシャが固まり、王子からは「相変わらず鋭いというか……野性の勘か?」と、よく分からないが、何故か感心された。
とはいえ、常に特定の人間にべったり引っ付いているのは良くない。彼らが王子の信頼する仲間だからこそ、彼らのことをよく知らねばならなかった。しかし、リーシャと別れたとき、ふと屋内にいる人物に気がついた。
「あ、ロージャ様も来たんだ!? こんばんわー!」
「おわ!? ……こ、こんばんわ」
「んん? ごきげんよう、かな」
いつの間にか背丈を追い越されていた、もう一人の幼なじみ。といって、親しかったのは王子が留学する前の、ほんの短い期間だったけれど。
駆け寄ったヒルデガルドに、ロジオンはやや目を泳がせて答える。
「ごきげんよう」
「はは、律儀。でも、会えて良かったよ。こないだのお礼を直接言いたかったからね」
「お礼?」
ロジオンが何のことだか分からないと言いたげに首を傾げるので、ヒルダはくすりと笑った。
「資料室の話だよ」
「……ヒルダ殿の方が律儀ですよ」
肩を竦めて言う彼は、ちらりと周りを窺った。
「失礼ですが、彼らはいないのですか?」
「え?」
「あの時の彼らですよ。確か、リオン殿とサーシェス殿、でしたか」
「あっ……」
そういえば、自分があの二人と再会した時、ロジオンもあの場にいたのだった。
姉サーシェスと、弟同然だったリオン。
何も思うことがないかといえば、そんなことはない。気味が悪い思いもしたし、怖いこともある。それと同じくらい、生きていてくれて良かったとも。
「彼らに何か……?」
「あ、いや。私の方からは何も。ただ、貴女が困っていないならいいんだ」
おお、とヒルダはつい感心してしまう。すっかり紳士ではないか。
「大丈夫ですよ。私は私です。……まあ、後々の為に少しは話しておかねばならないでしょうが」
「殿下のご友人なら問題ある方ではないだろうが、何かあれば声をかけてくれ。……特に、その」
「はい?」
「リオン殿は……ええっと」
目を泳がせるロジオンに、ヒルダはピンときた。
「彼は小さい頃、弟のようなものだったんですよ。別に私をダシに男爵に取り入ろうとか、そういう類いではないかと」
「……単純にヒルダ殿を好いているとは考えない?」
「え、いや。そりゃあ……ねえ」
あのリオンが自分を好いている? どうもしっくりこない。嫌われてはいないだろうが、当時は幼かったこともあってその手の話題に彼が当てはまらない。
「まあ、その方が助かるか」
「はえ?」
小さな呟きが聞き取れず、ヒルダは彼を振り返った。冬の夜の空気が冷たい。
「ヒルデガルド・ルートバルスになるおつもりはありませんか?」
ロジオンが静かに告げた。脈絡もなく。
あまりに唐突な発言で、ヒルデガルドは絶句した。
「私は何も持っていませんし、……ああ、違う。そう、長男でもないから、婿養子でも……あー!!」
「えっ……?」
頭がようやく追い付いてきたヒルダは、思わずロジオンの腕を掴んだ。
「誰かに脅されてるのかい!?」
「ええっ!? そんなことは」
「じゃあなんで、こんないきなり」
全くそんな素振りはなかった。そして、今更だとも思う。何かの陰謀を疑っても仕方ないだろう。
「……ヒルダ殿は、これからも殿下と共に歩まれるのでしょう」
「まあね」
そこだけは即答できた。
「私には何もない。確かなのは身分くらいだ。それだって家の威光で、私自身のものではないけれど……それでも、ヒルダ殿や殿下の武器のひとつになれればと」
「つまり……?」
ロジオンの言い回しは分かりにくい。ヒルダは控えめに、しかし要約を望んだ。
「貴女が殿下の盾ならば、私は貴女の盾になりましょう。幼い頃からずっと、お二人に憧れ続けた私の答えです」
その為なら貴女を実家に迎えることもするし、必要に応じて婿養子になることも視野にいれている。
ぽかんとしていたヒルダは、ややして頬が熱くなってきた。
つまり、なんだ。
要するにロージャ様、君は。
「僕のこと好きなの……?」
「! あ、すみません。肝心のことを」
「それとも殿下のこと……?」
「は?」
「いや、ぼくら二人に憧れてるって言ったか」
「お願いですから聞いてください」
目の前でロジオンがあわてふためく。しかし、狼狽えたいのはこちらのほうだ。
聞きたくないと思った。色恋とは無縁だったし、それはこれからも同じだと。
それなのに。
「貴女が好きです。……貴女の為に、僕にも頑張らせてくれませんか」
「ばかーっ!」
ヒルダは叫んだ。もう無理。ほんと無理。
「あばよーっだ!」
「ヒルダ殿!?」
声には振り返らず駆け抜けた。まじか、と頭の中はそればかりで。
夜の裏庭で、座り込んだ。
(告白なんて……初めてだ)
歌手なんて華やかな仕事をしているから、異性との関係も多くあるのではと邪推されることは珍しくない。
しかし実際のヒルダは【こんな】だし、身近な人間からの好意にも気づかず、その告白に動揺する初な娘だ。
(え、やばいやばいどうしよ、殿下……え、殿下に相談していいの? 知り合い同士だし駄目だよね……え、じゃあ誰に?)
そもそも今の状況で、一体誰に自分の色恋なんて相談できるのか。みんな大変そうなのに。
「次どんな顔すりゃいいのさ……」
馬鹿。ロジオンを罵る。そりゃ、嫌いじゃないけど。
「僕には無理だよぉ」
初恋以降はまるで異性に興味がなかった少女は、突然の事態に頭を抱えていた。




