星の遺言
信じられない気持ちで、リアはその光景に目を奪われていた。
心が理解することを拒んでいる。
目の前で再現されるのは、無実の乙女が友の暴走により濡れ衣を着せられざるをえなくなった惨劇。
その中心にいるのは、自分たちの先祖だった。
「じゃあ、ジャス達は……」
本当に罪を犯したのはジャスの先祖ロゼッタではなく、リアの先祖ステラ。
目の前に広がる、青い炎の地獄。悪魔の形相で逃げ惑う民を次々と焼き殺すーー隣国では女神とまで称えられた、自分やサズ、紅夜たちの祖たる女。
「こんな……ことって」
親友を奪った全てを憎んだ。その結果、何より大切だったはずのロゼッタに、歴史に残る汚名を被せてしまったというのか。
思わず地に手を付き項垂れるリアに、寄りそうヒルダが囁く。
「ねえ、お姫様。落ち着いて。これが遠い昔に起きてしまった事実なら、今ここで停滞することに、意味はないと思う」
優しい慰めではなく、淡々とした指摘に、しかし腹は立たなかった。寧ろ、全くもってその通りだと思考が少し明瞭になったくらいだった。
「ええ。……ありがとう」
だが、現実は非情だった。
かつてリアは、ジャスを取り巻く環境の理不尽さに憤っていた。それなのに、元を辿れば、そもそもの元凶は自分の先祖だという。
この事実に動揺するなというのは、なかなか難しい。
「ウルフラーナ、平気か」
同じく顔を強ばらせつつ、紅夜が声をかけてきてくれる。
確かに彼もステラの血族だったはずだ。本当ならリアを気遣うほど余裕があるとは思えないが、年の功かもともとの無愛想か無表情のせいか、いまひとつ感情が読み取れない。
違和感があった。
そしてそれは、紅夜の傍らに佇むノアリスが僅かに目を伏せたことで、確信に変わる。
おそらく紅夜は、この真実をとうにノアリスから聞いて知っていたのだろう。それでもノアリスと共に生きる道を選んだのだ。
彼らの凄絶な過去を思えば、歴史の闇などさほど重要ではないのかもしれない。しかし、ステラの再来として育てられたリアにとっては、ジャスやノアリスに会わせる顔がないと思わせるのに充分すぎる衝撃だった。
先祖の功績で、自分は不自由はあっても虐げられることはなかった。それなのに、隣国では先祖の過ちで今尚多くの人たちか故のない差別に苦しみ続けていたのだ。
ーーこれで、どうしてジャスを愛しているなど言えるだろう。
想うことさえ罪なのではないかと体に震えが走った時だった。
「リア」
いつもリアの心を軽やかに拐う声。だからこそ、今は一番聞きたくない、聞いてはいけない声でもあった。
「……ジャス」
「予想通りだけど、あんた落ち込みすぎ」
目の前では変わらず惨劇の情景が写し出されている。過去の映像に放り込まれた自分たちを、青い炎も人々の慟哭も、すべてすり抜けていった。
止められないのが、こんなにも歯がゆい。
「殿下、無事なんだね!?」
ヒルダがジャスに飛び付いた。まず顔を両手で挟み、「よし、ちゃんと無駄な美形だ」と呟くと、そのまま怪我の有無を確認していく。彼に大事がないと分かると安堵したように溜め息をついたが、ふと引っ掛かったように動きを止めた。
「あれ、なんか殿下……魔力すごい増してない?」
「色々と荷物が増えたんだよ。あとで話す」
「はいよ。それじゃ、まずはお姫様だね」
ヒルダが優雅な動作で一歩下がり、ジャスとリアを向かい合わせる。
口から心臓が飛び出るのではないかというほど体が震えるなか、リアはのろのろと立ち上がった。
「ジャス……あのね!」
「あんたに非はないんだから、もし謝罪だとしたら受け付けないぞ」
さらりと先を読まれ、制されたリアは言葉に詰まる。
「だって、そんなの」
「これは確かに俺たちには縁ある出来事だけど、やっぱり遠い過去のものだ。知識として蓄えるだけでも充分だと思う」
「……」
ジャスはいつも優しい。だから、今の言葉がリアを気遣う方便なのか本心なのか、いまひとつ分からない。優しいひとは嘘つきだと、リアは知っている。
「いくらジャスの言葉でも、簡単には頷けない。また改めて知りたいわ」
「うん。俺も。あとで一緒に勉強だな」
のんびりとした口調でジャスが応じる。ーー今は真相の究明より、状況把握と現状打破だと、無言のうちに頷き合った。
「王子さま。その様子じゃ、会ってきたのかな?」
ノアリスが言葉を濁しながらジャスに問う。それだけで彼には通じるらしく、ジャスも答えた。
「はい。なので、大体のことは把握しているつもりです」
「じゃー、さっさとこの結界から出よ? そんで、そろそろ我慢の限界だから一発くらい王サマ殴らせてよ。両殿下が庇ってくれた死罪にはならないでしょ」
「ひ、ヒルダ落ち着いて」
もともと国王を毛嫌いしているヒルダである。勝手に結界にまで閉じ込められ、一時的とはいえ主であるジャスからも引き離されたことで、静かに怒り狂っているらしい。
「今は抑えろ。俺が即位して隠居に追い込んだら好きにしていいから」
「ちょっとジャスまで何を」
「約束だよ、殿下」
「ヒルダ!」
ジャスとヒルダに挟まれたリアは、その会話の物騒さに青ざめるしかない。二人が冗談だと笑ってくれることを期待するも、その気配は全くなかった。
「い、今は出る手段を考えるのが先決じゃないかしら!」
「それならもういくつか手はある」
ジャスがさらりと応じた。
「え、そうなの?」
「必要な情報は受け取ったわけだし、寧ろ、もうこの結界は役目を終えている。……いや、結界っていうには、少し違うんだろうけど」
神妙な態度のジャスに、ノアリスが頷く。
「永遠に記憶の再生を繰り返す。……どちらかというと、呪いだね?」
「今の俺なら内側からでも出口を作れるでしょうが……」
ジャスが言葉を切った。何かを待つように。そこでリアもようやく気づく。
「クリフさんがいないわ」
「うん。たまには主らしく、助けられておこうかと」
何を呑気な、と言いかけた時だった。
「殿下!」
滅多にない彼の大声。その響きで空間が歪む。
凄惨な情景に皹が入り、途端に硝子のように砕け散った。
破片が、舞い上がる。
一瞬の浮遊感の後、リアたちはあの水鏡の間に立っていた。
「ありがと、クリフ」
穏やかな声で言うジャスの視線を辿ると、疲労困憊といった様子のクリフが、それでも背を伸ばして凛々しく主に応える。
「は。ご無事で何よりでございます、王子殿下」
「うん。心配かけたな」
いつになく落ち着いた声で返すジャスは妙に大人びで見える。いつもの彼は、クリフの堅苦しさを厭っていた。
「やれやれ。まさかお前までたらし込まれるとはな、ラドール卿。わが息子はなかなかどうして、人望があるらしい」
おかしみを込めて言うのは、先ほど変わらぬ距離にいる国王だった。その言葉に、緊張が走る。
クリフは王よりジャスを優先したのだ。王子を得体の知れない太古の結界内から救出するため、起動させた王の目の前で結界を打ち破ったーー王に、背いたのだ。
リアは半ば条件反射で、クリフの元に走った。気づけば国王とクリフの間に立ち、両腕を広げていたのだ。
「駄目です!」
止める間もなく行動を起こしたリアに、王を除く誰もがぎょっとした。馬鹿、とジャスが呻き動こうとして、ヒルダに制止を受けている。
何より素早く反応を示したのは、その後ろの二人だった。
ノアリスがリアとクリフを背に庇い、剣の鞘に手をかける。紅夜はジャスとヒルダの前に立ち、彼らの盾になる意思を示した。
「もう、琥珀ちゃんってば」
「す、すみません」
「まあ気持ちは分かるけどね」
くすりと笑い、ノアリスが国王を見据えた。
「……わたしを騙したね、王様」
柔らかなのに、氷よりも冷たい声。どういう意味かは分からないが、咄嗟にジャスを見ると彼には心当たりがあるらしかった。
「奴は王となるのだ。いずれ知らねばならなかった。そうだろう?」
開き直ったように国王が言う。
「何もかもを開示する必要があったのかな? 自分たち王族の先祖が魔女というだけでも、王子さまがこれまで信じてた国の基盤が揺らぐんだよ。それなのに、あなたは何もかもを伝えて、押し付けた。自分はただ黙ってやり過ごしてきたくせに、予言なんて下らない迷信を大義名分に、王子さまに全て委ねるつもりでいるんだ」
静かな声に込められているのは紛れもない怒りであり、根底にあるのはジャスへの愛情だ。
「わたしだけで良かったのに。わたしが最後で、よかったのに……」
国や歴史などの大きなものより、たったひとりの弟の心を慮って憤るノアリスの立ち姿に、迷いは微塵もない。
時を忘れて見とれてしまう。
ノアリスは強い。
ノアリスは美しい。
強いということが、こんなにも美しいのだと、リアは初めて知った。
「お前は昔から弟に甘いな。親には少しも懐かなかったくせに、生まれたばかりの弟にべったりだった」
「だってかわいいんだもん」
真顔で断言するノアリスに、ジャスが複雑な表情になる。口を開いたが、結局は何も言わず閉ざされた。確執云々ではなく、純粋にこの年齢で可愛いは喜べないとか、そういうことを言いたいのだろうな、と察するのは容易だった。
「さて。どうする、王子?」
「王さま、もう黙ろうよ」
国王の問いかけをノアリスは遮ろうとした。しかし、会話の矛先を向けられたジャスは、既に腹を決めたように泰然としている。
「王になるよ」
ーー魔女の始祖を持つ呪われた王。
ーー隣国の【聖女】の為の冤罪。
ーー政治の為に行われた魔女狩り。
ーー無実の罪で殺された赤眼の民。
「俺は、俺の意志であなたから王位を継ぎ、即位する。大勢の同胞と、約束したからな」
全てを知ってなお、黒髪赤眼の王子は微笑む。
あの小さな祈りの言葉が甦った。
『わすれないでね』
当たり前だと、拳を握る。
だから抱えて進むと決めた。その自分が王になる。彼らへの贖罪と弔いの第一歩として。
(今度こそ、自分で決めた人生だ)
殆どの者が知らず、語られることもない。
後の世で時には【魔王】と揶揄されながらも、歴代で最も民に親しんだ君主として史実にその名を残した彼の王道の、これが本当の始まりだった。




