聖女の呪いと魔女の誓い
必要のない子供だった。
複雑な生い立ちゆえに臣下からの期待も薄い、名ばかりの王子。
それでも自分が腐らずいられたのは、周囲の人間に恵まれていたからに他ならない。
『殿下、おはようございます』
『おはよう、ロゼ』
辺境の離宮で、少ない使用人達と慎ましく、家族同然に過ごしていた。その中で乳母の娘であり、幼なじみの間柄でもあったロゼッタと、自分は恋をした。
もともと王位継承権は低く、権力とは無縁に生きてきた自分だ。これからも静かに日々を紡いでいこう。
そんな謙虚で、それでいて無知な願いは、謀叛に始まる父の崩御、そして兄達が引き起こした王位争いで瞬く間に奪われた。
辺境の地に忘れ去られていたと思っていた自分も、無関係ではいられなかった。訳もわからぬまま担ぎ上げられ、気づけば勝って王になるか、負けて殺されるかの二択しか、自分には残されていなかったのただ。
『殿下はわたくしがお守り致します!』
普段はおっとりとしているロゼッタだったが、こちらの立場が危険なものになってきた頃には、きりりと目を吊り上げて警護の女兵役を買って出た。いかんせん信用できる味方が少なく、強く退けることはできなかったがその反面、男の自分が惚れた女に守られるという構図は、やはり面白くなかった。
彼女とだけは、普通の男女でいたかったのだ。
それなのにーー。
『あれは恐ろしい魔女なのだ。味方の顔で近寄り、自分こそが貴方の最大の理解者であるかのように振る舞い、甘い言葉で貴方を唆した』
暗闇に響いた声で、ジャスは意識を取り戻した。
「? なにを……」
突然の変化に思わず顔をしかめる。いや、それとも深くこの記憶に同調していたのかもしれない。
『ロゼが魔女であるものか。知らないわけではないだろう。彼女は私の元で民の為に国へと尽力した。寧ろ聖女と讃えるべき乙女ではないか』
そうしてようやく、自分たちは対等になれる。今では臣下たちも、ロゼを妃にと望み始めているのだ。
結ばれる為に選んだ、遠回りでも誇りある人生だった。
『それこそがおかしい。何故あのような強い魔力を持つ娘が、当時何の後ろ楯も権力も、財さえ持たぬ貴方を選んだのか』
『私たちは王子と侍女である以上に、ただの恋人だ』
『おおお、嘆かわしい。ここまで毒されておいでとは』
無数の黒い影が現れては消え、暗い囁きを落としていく。
ようやく理解できた。
政争に巻き込まれたロゼッタは、無実の身で魔女の烙印を捺されたのだ。
最大の庇護者である王子と恋仲であったのも災いしただろう。王子が擁護すればするほど、それは彼女の魔性を示す証拠にしかならなかった。
高貴な王族を骨抜きにした、恐ろしい魔女。
そして最後には生きたまま火刑に処された。
「ああ、賢い子。あまり驚かないのね」
「珍しい話ではない、だろう。……胸くそ悪いが」
「ありがとう」
何もない空間からロゼッタの声が聞こえても、ジャスは普通に応じた。今こうして自分が遥か太古の真実を垣間見ているのは、それを実現させている術者がいるからに他ならない。
「俺は貴女の末裔で……そんな貴女のを裏切った男の血も引いている。憎くはないのか」
「憎いわ」
あっさりとロゼッタが答えた。そのまま続ける。
「けどね、もう時が経ちすぎた。もしここにあの男が現れたら、少しは違ったのかもしれないけれど、それはあり得ないし」
何よりも……と、突然ロゼッタが目の前に現れた。相変わらず真っ黒な体に血のような目、しかも術の使用による反動なのか、泥の涙を流している。
「ねえ、醜い?」
「……わからない」
保身の為に言葉を濁したのではない。純粋に分からないのだ。
「貴女の絶望を欠片でも知った。すべてを呪いたくなって当然だと思う。だけど、愛憎は人間なら誰もが内に抱える感情であって、貴女が特別に愚かというわけではない……と、思う」
「それで?」
「だから、そこで貴女を責めるのはおかしい。少なくとも、こんなにも長い間、貴女を苦しめてしまった俺達には、謝罪の義務がある」
ぽつりぽつりと、言葉を紡ぐ。
「醜いというより、ただ悲しいのかもしれない」
「ふふ。……流石ルフィス様が手元で慈しまれた御子ですわ。ああ、愛しい方、その言葉が聞きたかった」
ふわりと、暗闇が優しく揺らいだ。その時ジャスは気づく。
「貴女は……自分を残り滓と言ったな」
「ええ。気づいた?」
口調が定まっていない。丁寧であったり砕け気味であったり、恋人のように囁くような甘さもある。
これはーー。
「貴女は、ロゼッタだけの憎悪じゃないんだな」
「正解です。ねえ、可愛い殿下、お願いしたいのですけれど」
またひとつ、暗闇が薄れていく。例えるなら、月のない夜に、少しずつ星が輝きを帯び始めるような、ささやかで当たり前の奇跡を感じる。
「私を信じ、或いは私が巻き込んだせいで命を落とした数多の民を、殿下の御名で弔って頂きたいのです」
魔女の児の迫害により弾圧された民の名誉を、命じた筈の王族が取り戻すのだという。
「なかなかに難題だな。俺一代では難しいかもしれないが」
「引き受けて下さるの?」
「謝罪は義務だと言っただろ」
代償として、自分の命を差し出すことになるかもしれない。しかし、それは約束を反故にする理由にはならなかった。ここで彼女らを見捨てるのは、生涯で最大の恥となろう。
そんな自分は、自分じゃない。
「最悪、俺が死んでもシリスがいる。それこそ叔母上には呪われるかもしれないが」
苦く笑うと、ロゼッタも苦笑していた。
「駄目よ。貴方はたくさんの星と共に生きるために生まれたのだから」
ねえ、と彼女が身を乗り出す。
「貴方からずっと、クルスの匂いがするわ。彼はまだ、生きているのね?」
「魔物だからって長生きすぎると思うけど。うん、生きてる」
「よかったあ」
この時、ロゼッタの本当の笑顔を見た気がした。
「クルスとも知り合いなのか」
「ええ。育ての親だもの」
「へ?」
目が点になる。
確かに、あの魔物はジャスを通して誰かを重ねて見ていたようではあったが。
「魔物に育てられた娘だからこそ、魔女だと言われてしまったのかもしれないわね。でも、どうか伝えて」
きっと何千年も、自分を責め続けてきたであろう我が父よ。
「貴方の娘で幸せだった、ってね!」
それは享年通りの、無邪気な娘の笑顔。気づけばジャスも微笑んでいた。
「わかった。必ず」
約束を結び、ジャスはその場に膝をつく。ロゼッタが目をみはった。
「まずは、貴女に詫びよう。我らトロナイル王室が貴女方にしてきた仕打ちは、今更どう足掻いても到底償えるものではないと理解している。だが、どうかそれでも、謝罪の言葉を口にすることを赦してほしい」
彼女ーーいや、彼女達は微笑んだ。
「おかしなこと。きみは僕たちの同胞だろうに」
「だからこそ、だ」
「難儀ですね」
目の前にいる【ロゼッタ】を構築する無数の魂の欠片たちーーおそらく、弾圧され歴史の闇に葬られてきたのであろう、【魔女の児】達の言葉に、ジャスは頭を振った。
「恐らく我が父は俺を、あなた達の無念をこの時代で鎮めるために生まれた命だと思ったんだ。俺自身も納得してる。“星の遺言”とは、そういう意味も含まれていると解釈できる」
「必要のないものまで背負わなくてもいい」
ロゼッタの口から、今度は男の声が。
「還ることも消えることもできず、さまよい呪う事しかできなかった私たちに、あなたはごめんなさいって言ってくれた」
こぼれ落ちる誰かの声。
「そんな君のいる時代だ。君が王になれば、我らも浮かばれる」
性別も年齢も、皆バラバラで。そんな彼らを繋ぎ止めたのは、迫害という最低の楔だった。
「……っ、……あなた達の無念はこの俺が受け取った。先祖が裏切ったあなた方を名誉を、この時代で返したい」
「うん」
「お願いね」
「ありがとう」
最早ロゼッタの口からだけではない。空間に声が直接響く。
「私たちの末っ子が、貴方でよかった」
柔らかなその声に、ジャスは深く、頭を下げる。
「その言葉に報いることができるよう、努めます」
「そんなに気を張らないで、殿下」
今度はロゼッタの思念から言葉が。
「貴方なら大丈夫です。だって、貴方はステラ様のお嬢様と親しいのでしょう?」
「え?」
「ねえ、殿下。強く優しい、私と愛しい方の子よ。もう一つだけ伝言を」
何故またここでリアについての話になるのだろう。いや、そもそもあの伽藍は?
「待ってくれ。貴女とステラのことを、父は歴史の捻れと言った。それは一体」
「まさに、そのことでございます。殿下」
口調こそ丁寧だが、遠回しに“黙って聞け”と叱られた気分になる。なんだかレイチェルみたいだと、ぼんやり思った。
「トロナイル王室の誕生と纏わる歴史には、真実と虚偽が存在します。わたくしが魔女と弾劾されたのは傾国の悪女として。けれど史実では、わたくしはとても恐ろしい魔女として語られているはず」
「……そうだ」
罪悪感にとらわれ、心構えはともかく思考は冷静ではなかったらしい。今更その矛盾に気づく迂闊さも、また恥ずべきものだった。
「二つの出来事が前後しているのです」
「因果関係が刷り変わっていると?」
「その通りです」
ロゼッタが哀しげに目を伏せる。
「かつて国土を焼き民を虐殺した、歴史にとって真の魔女の名前は
ステラ・フィール・ラフィマギル
……ええ。隣国で女神と称えられた、かの聖女様でした」
絶句するジャスの頭上で、星の輝きが強くなる。
空が明るくなるほどの光。そこは夜の草原だった。
その平地で、夜営をしている団体を見つけ、更に硬直する。
育ての親であるルフィス、ウォル、イクス、ミュイ、そしてクルス。身に纏うものこそ違えど、彼らはジャスのよく知る姿のまま、そこで酒を酌み交わしていた。
……ああ、違う。まだ他にも誰かーー。
白金の髪に赤い目の少女。
黒い髪と赤い目の少女。
ステラとロゼッタが、そこにいた。
『もう、ロゼってばノロケばかり。私といるのにぃ』
『す、ステラ様。少し飲み過ぎでは』
『あー! また様ってよぶー!』
赤ら顔で喚くステラを、ロゼッタが宥めている。酒癖の悪さは血筋なのかもしれないな、とぼんやり意中の少女に思いを馳せるジャスである。
「まだ、わたくしが人間だった頃です。わたくしは力を求めて、彼らを頼った」
頭に直接ロゼッタ達の声が響き、彼らの何かがゆっくりと、しかし確実に自分のなかに溶け込み始めているのが察せられた。
「その時、ステラ様と出会いました。かの方は一国の姫君でありながら、わたくしを親友だと言ってくださったのです」
嬉しかったんだな、と。自分の胸に広がる温かな思いに、ジャスは頷く。きっと、自分にとってのチュニアールの仲間達のような存在だったに違いない。
「だから、ステラ様は赦せなかったのです」
無実のロゼッタを処刑した教会。見殺しにした王子。手のひらを反した民衆。理不尽な幽閉の末の拷問。間に合わなかった自分自身。
かの眩しい女神に、世界を呪わせるという大罪を犯してしまった。
世界の美しさを仲間と共に歌って広めた優しい彼女が、ロゼッタのために全てを破壊したのだ。
「許せないと泣いてくださった。大切だったのにって。ロゼッタ本人は、それだけで救われたのに」
「……そして、貴女だけが残った?」
「ええ」
どうかお願いです。そう、小さな声が幾重にも重なって、やがて大きな波のようにジャスを飲み込んだ。
「こうしてお話できるのも、いつまで持つか分からぬのです」
「ああ、どうか言葉が届くうちに」
「我らの正気が続く間に、現へお戻りを」
「僕たちを忘れないで」
「もうここにいたくないの」
「お願いだから」
様々な嘆きの、その中に。
「 」
その言葉を、確かに聴いた。




