血塗られたお伽噺
要領を得ない話だ。
リアからの説明に対し、ジャスはそう感じる。
この口下手かつ何かと不器用な少女が、精一杯に言葉を尽くしてくれているのは理解できたが、今一つ欲しい情報が得られない。
「……ええっと。それで、どうして碧明宮に?」
それもよりにもよって、こんな地下の、国王の目の前に。しかも何故【最後の将軍】が描かれた伽藍から。
ジャスにとっては、リアと母が接触したのも確かに気になる話だが、それ以上に今の状況を把握するのに、多大な労力を要した。
「それなんだけどね、王子さま」
「蒼姫さん。……と」
一歩進んで説明役を買って出ているらしい姉姫の傍らに、眩しい金髪の男は相変わらず静かに佇んでいる。その姿を見て、ジャスは僅かに安堵した。
「紅夜さんもいるってことは、何か事情があるんですね」
「ちょっと待っておくれ、我が麗しのご主人さま。信頼度の高さ設定おかしくない?」
「そうだな。あんた一人なら頭から疑ってたよ」
「ちょっと殿下、ひどいよ!」
「うるさい」
ばっさり切り捨て、ジャスはリアを床に降ろすと、紅夜に向き直った。父の方に視線を投げたが、どこか心ここにあらずといった風にこちら眺めている。
(陛下らしくない失態だな)
護衛の者たちも相手に王子と王女が含まれるため、咄嗟に強くは出られないようだった。
「本格的に城の者が起き始めたら、流石に王妃を隠しきれない。だったら騒ぎになるより早く、お前に伝えようと面会を求めたら、夜明け前に国王の宮殿へ出掛けたと」
相変わらず淡々とした口調だが、それでも順を追って説明してくれる紅夜の存在に感謝しながら、ジャスは頷いて続きを促す。
「それで?」
「お前の姉が珍しく、急に慌て始めてな。……まあ、この場所を見れば理由は想像つくが」
ジャスは無言で視線を姉に向けた。先ほど発言の機会を逃したことでむくれているかと思いきや、蒼姫は少し怯えているようだった。
何にーー?
「ノアリス。まさか、お前が再びここに足を踏み入れるとは。それほどまでに弟が可愛いか」
皮肉とも感嘆ともとれる声を発した国王に、皆の視線が集まる。戸惑い、懐疑、嫌悪、怒り、警戒。若者たちの眼差しには各々の感情が如実に現れていたが、それを知るのは注目を浴びている国王ただ一人だった。
「どういうことですか」
姉が父と利害の一致から手を組んでいるのは、本人から聞かされて承知しているつもりだ。しかし、父の言葉にはそれ以上の含みがある。警戒心からリアを背に庇い、問いかける。
「先程も仰っていた。この地下空間が、我らトロナイル王室の起源を示すものであるのは疑いません。ですが、まるで私個人にも関わりのあるような物言いですね」
「お前は本当に可愛いげがなくなったな」
国王が鼻を鳴らす。ほぼ同時に、背後のリアやヒルダ、蒼姫がムッとしたのが気配でわかった。そんな女三人を見つめ、紅夜が呟く。
「人気者だな」
「今はそれどころでは……」
「そうだな」
余計な応酬を挟みつつ、国王の言葉を待つ。王の目は若者たちを順繰りに追い、やがて細められた。
「面白いものだ。我が王室と異国の女神の血統。数千年の時を経て尚も、出会い手を取り、共に生きて歩もうとする……まさか、ここまで結び付きが強いとは」
その言葉に、ヒルダ以外の全員が各々の反応を示す。とりわけ、リアの動揺は誰よりも強かった。
「……どういうこと?」
小声で訊ねられる。しかし、ジャスもジャスで混乱していた。
あの伽藍に描かれた『最後の将軍』の姿を見てから、まさかとは思っていたが。
「かの女神は……我が王室の誕生に関わりが深かったのですか?」
「ああ。あの光輝く太陽のごとき戦乙女が、今のトロナイルの礎を創った」
「まるで見てきたように語るな?」
今度ばかりは、全員がぎょっとした。
紅夜が値踏みするように、口を開いたのだ。ここには三人の王族がいて、発言の自由など許されていないのに、あろうことか彼は国王相手に堂々と問いを投げ掛けた。
当然、王の護衛たちは目を吊り上げて剣に手を伸ばすが、室内に響いたのは鞘と刃の擦れる音ではなく、楽しげな笑声だった。
「なるほど、なるほど。我が娘が選んだだけあって、肝の太い男だ」
「義父上とでもお呼びしようか?」
やはり淡々と応える紅夜に、ジャスは胆が冷えっぱなしだ。蒼姫もリアも青ざめている。ヒルダだけは紅夜の言動を普通のものと受け入れているらしく、自然体でリアな寄り添っていた。
「……あたしが彼の口を塞ぎましょうか」
「いざというときは頼むわ」
何故この場面で、こんな緊張をせねばならないのだろう。リアと頷き合った後、やや現実逃避したくなるジャスである。
「陛下」
「なんだ」
特に気分を害した風もなく応じる国王に安堵しつつ、ジャスは話の続きを促す。
「かの女神と我が一族の関係とは何なのですか」
リアも紅夜も、その女神ーーステラ・フィール・ラフィマギルの子孫に当たる存在だ。そして彼らと別の形で出会い共にいる、自分たちは魔女の末裔。
『ここまで結び付きが強いとは』
先程の王の言葉の意味が気になる。
「そう急くな、王子」
「……?」
ふと、嫌な感覚がした。
誰も動いていないし、ここには窓もないのに、何故だか生ぬるい風が、頬を撫でる。思わず硬直するジャスの目の前で、王はもう一度、血を流す。
指先から流れ落ちたのは、ほんの一滴だった。床の水鏡に落ち、僅かな間の王冠を生み、やがて全体へ広がり静かな波紋を起こす。
ーー変化は瞬く間に起こった。
「さあ、古の時代へ」
王の言葉を最後に、周囲が作り替えられていく。
水鏡が輝き始め、その光景を映したのだ。
誰もが足元に目を奪われた瞬間。
「見ちゃ駄目!」
蒼姫が制止を叫んだが、到底間に合わない。
水鏡から、映っていたはずの自分たちの姿が消える。
まさか、と思った時、既にジャスはその世界に囚われていた。
+ + + +
どこかの野営地だろうか。
天幕の中で、二人の男女が寄り添っていた。
『殿下は王におなりなのですね』
『それ以外に道はなかろう』
『……難しい時代ですわ』
『それはお互い様だろう、ロゼ』
傍らに佇む、使用人とおぼしき女ーーロゼッタに淡く微笑むと、男は彼女の頬に手を伸ばし、優しく撫でる。
(……なんだ?)
間違いなく初めて目にする光景なのに、妙に胸がざわつく。
忘れてはいけない記憶のようなーー。
『ロゼッタ、お前だけは側にいてくれ』
軽い口調でありながら、男の言葉には切実な響きがある。
ロゼッタと呼ばれた、黒髪赤眼の娘は、淡い微笑みを浮かべただけで、答えない。
『ロゼッタ』
焦れたように男が繰り返す。ロゼッタはようやく答えた。
『わたくしと殿下では、身分が違いすぎます』
『私とて、この戦の前は名前だけの王子だったのだぞ。今更、身分が何だという』
『だからこそで御座います。自力でこの高みへ登り詰められた我が君、この身があなた様の名誉を傷つけるなど、あってはならぬのです』
『惚れた女一人守れず、何が名誉なものか』
お互い声こそ荒げないものの、その言葉には強い熱があった。
間違いなく、相手への深い愛ゆえに。
『それなのに、あの方は最後にわたくしを捨てたわ』
ぞくり、とした。
慌てて振り向くと、景色が変わる。
真っ暗な世界に、ジャスはいた。
(ここは……)
『ねえ。わたくしと、憎くて愛しい我が君の遠い児』
誰の姿も見えない。しかし声は何より強く大きく、ジャスの心を揺さぶった。
(……“魔女の児”の起源になった女か)
あの美しい遺体を見た時に感じた違和感。あれは錯覚ではなかったのか。
最愛の寵妃のような盛装で、何千年も朽ちることのない眠り姫。
あれはーー男の愛ゆえだったのか。
『違うわ』
納得しかけたところで、再びの声が思考を邪魔する。こちらの心の声が、相手には筒抜けなのかもしれない。
『裏切ったのよ』
真っ黒な闇が、目の前に集束される。
髪も肌を服も何もかもが黒い中、眼差しだけが血のように鮮やかな赤だった。
「……あんたが、ロゼッタか」
『ああ、ようやく。ようやく、生まれてくれた。わたくしの、忌々しいのに、とても可愛い裔の児よ』
黒い手が、ジャスの頬を慈しむように撫でた。母のように。
実母とはこんな風に触れ合ったことがない。しかし、母親同然に愛情を注いでくれたルフィス達を思わせる所作に、ジャスはしばし言葉に窮した。
『あなたの、お名前は?』
「……ジャス。ジャスティス・ラゾーディア」
『ふふ、そう。ここに来てくれたのは、ノアリス以来だわ。あなたがここに来たという事は、王が弊れたのかしら?』
「違う」
『なら、ウィルはまだ生きてるのね。……そうよね』
ウィルーーウィリアム。ジャスの父王を知っているらしい。
「あんたは?」
『原初の魔女、とでも呼んで頂戴な』
確かに外見は恐ろしい魔女そのものだ。しかしどこか柔らかさを感じさせるのは、流石ノアリスの先祖といったところか。
「ロゼッタ、とは名乗らないのか?」
『ええ。その娘は遠い昔に、天へ召されたから。わたくしはその残り物にしか過ぎないの』
「……何があったんだ?」
裏切られたと言っていた。そして、父の言葉も引っ掛かる。
「真実が捻れに捻れたとは、どういうことだ」
『せっかちさん。でも、そんなあなただから、ようやく偽りの時代が終わろうとしてるのね』
「?」
含みのある言葉だった。しかし、それに乗っては会話を誘導されてしまうおそれがある。ジャスは沈黙を守った。
『ようやく生まれてきてくれた、“星の遺言”を運命に持つあなたなら』
星のーーステラの遺言?
確かに生まれた時、占者から【星の遺言】を背負っていると予言を受けた。
(……なんなんだ)
『なんてことない。あの王はわたくしを見捨てた。わたくしは不当に捕縛され、拷問の末、生きたまま火刑に処されたの』
その途端、眼下で炎が燃え上がる。
熱さは感じない。しかし、ひどい臭いがした。
『自分の髪が、皮膚が、肉が焼ける臭い』
(……!)
おかしなことが起きた。
ジャスの体が磔にされ、火で炙られているのだ。
追体験のようだーーと、こんな状況でも冷静な自分がいて、その一方で、そんな思考も塗り潰されていく。
熱い、痛い、怖い、悲しい、苦しい、助けて、死にたい、早く殺して、死にたくない、誰か助けて。
どうしてーーどうして、どうして!!
『あの方はわたくしが泣き叫びながら焼け死んでいくのを、ただ高いところから座って見ていたわ』
熱く燃えていた筈の愛は、紅蓮の渦の中で灰になった。
その代わりに、小さな星が舞い降りて。
『ロゼ! しっかりして、ねぇお願い!』
群がる民衆を文字通り蹴散らした、異国の聖女。
後の世で女神として崇められることになる友の声は、絶望に飲まれたジャスにとって、紛れもない光だった。
『ス、テラ……さま……?』
その姿が一瞬、茶髪茶眼の、彼女とはおよそ似つかない地味な娘と重なる。
あれはーー誰だった? いや、今はそんなことよりも、かけがえのない友だ。
『ステラさま……』
助けにきてくれたのだ。
それだけで泣きたくなる。なのに、もう一滴もこぼれない。それどころか、喉も焼けてしまっている。
ありがとうって、伝えたいのに。
+ + + +
一方リアと紅夜、そしてヒルダは、その時、ある光景を見ていた。
「何よ、これ……」
リアの震えた呟きに、しかしヒルダは答えない。かわりに、ちらりとノアリス王女を見る。
この場においてヒルダは全くの部外者だ。だからこそ、きっと誰より冷静で。
「ノアリス王女は知ってたんだね」
「うん」
真っ青になるリアと、彼女ほどではないにしろ、顔を強張らせている紅夜。
ノアリスが紅夜に寄り添い、自身はリアを抱き締めならが、ヒルダはひとりごちる。
これがーーーーお伽噺の真相なのか、と。




