2-1 跳躍の果て
視界を白く塗り潰していた圧倒的な閃光が収まり、激しい振動がゆっくりと静まっていく。
俺は固く閉じていた目を開き、無意識に握りしめていた操縦桿からそっと手を離した。
……全身を確かめるように、首を軽く回してみる。どこにも、おかしなところはない。
ただ、一つだけ、いつもと違っていた。
ICAの箱を抜けた時に必ず来る、あの長い眠りから覚めたような、妙にさっぱりした感覚がない。鼻の奥には、コックピットに染みついた機械油の匂いが、跳ぶ前とまったく同じように残っていた。
……気のせいか?
「……生きてるか、お前ら」
「あ、ああ。なんとか、五体満足だぜ」
「ビックリしたぁ……。もっと船ごと振り回されるかと思ったけど、意外とあっけないものね」
左隣でガラムが安堵の息を吐き、背後の特等席からは少し物足りなさそうなセレナの声が飛んでくる。どうやら、全員無事らしい。
俺は一つ大きなため息をついてテンガロンハットの鍔を押し上げ、コックピットのメインスクリーンを見上げた。
窓の向こうに広がっていたのは、見知らぬ星系の美しい景色、などではなく、無機質で巨大な分厚い防壁だった。つい先ほどまで俺たちがいた箱型の人工建造物の内部と、何一つ変わらない無骨な景色がそこにある。
「外の景色は跳躍前と同じ。正規のワープと同じ仕様なら、当然っちゃ当然だが」
俺はコンソールを叩き、外部センサーの数値を読み取ろうとした。
「問題は、本当に別の宙域へ飛べたのかどうかだ。ガラム、外の座標は拾えるか?」
「ダメだ、箱の装甲が分厚すぎるのか、外部の星系データが拾えねぇ」
ガラムが舌打ちしながらキーボードを叩く。
「えっ、ワープ失敗したんじゃないの……? 私たち、元の場所から全然動いてない気がするんだけど!」
特等席のセレナが不安げに声を上げる。無理もない、見た目が跳躍前とまるで同じなのだから。
「いえ、空間跳躍自体は行われました。念のため、座標データなどを直接確認してこないといけませんね」
右隣のサブ操縦席でシートベルトを外しながら、アンが淡々と説明した。
「少し、待っていてください」
白衣の裾を揺らしながら、アンはコックピットを後にした。タラップを降りて、この巨大な箱の内部に併設されている施設事務所へ向かったようだ。
「さて、アンが戻ってくるまでに、こっちも機体のチェックを済ませておくか」
ガラムが首をポキポキと鳴らしながら、コンソールを叩いて機体のシステムチェックを始める。
俺もまた、機体のエネルギー残量を確認しながら、静かなコックピットでアンの帰りを待った。
十数分後。
タラップを登ってコックピットに戻ってきたアンは、いつもの飄々とした態度のままだった。
「……で、結果はどうだった?」
俺が尋ねると、アンは小さく首を横に振り、口を開いた。
「結論から言えば、半分成功で、半分失敗といったところですね」
「半分、だと?」
「ええ。座標通りの空間跳躍には成功しました。ですが、持続的なエネルギーを確保できず、ワープのみでエネルギーを使い切ってしまいました。……現在、この疑似ワープボックスは機能を停止しています」
つまり、この巨大な箱はもうただの鉄屑になったということだ。
しかし、アンの口調には焦りはなく、まるで最初から想定の範囲内であったかのように落ち着き払っていた。
「そういうわけですから、ザックさん」
アンはわざとらしく困り果てたような表情を作り、こちらの顔を覗き込んできた。
「残りの事後処理と、この実験結果の報告が必要になりました。……私を、ツクヨミの本星である『アマテラス』へ送り届けてもらえませんか?」
……まったく。俺が追加の依頼を断らないって、最初から分かってて言ってやがるな。
俺は内心で呆れつつも、ニヤリと口角を上げてみせた。
「おいおい。話が違うぜ。俺たちの契約は『実験場への星核結晶の運搬と、ワープ実験への協力』までだ」
「ここから先は護衛と移送の追加ミッションだ。実験の協力費とは別に、当然、色をつけてもらうぜ?」
俺が皮肉交じりに約束を迫ると、アンはすんなりと頷いた。
「ええ、まぁ当然でしょうね。約束します。ツクヨミ本星アマテラスに到着した暁には、皆様に十分な追加報酬をお支払いしましょう」
そう言い終えると同時に、アンは悪戯っぽく、くすりと笑った。
「よし、交渉成立だ。聞いたな、ガラム。現在位置の特定は済んでるか?」
俺が振り返ると、施設から戻ったアンのデータを受け取ったのか、ガラムがすでに星図をメインスクリーンに投影していた。
「目的がハッキリしたところで言いにくいんだが……これを見ろよ」
ガラムが表示したマップには、現在位置を示す赤い点と、目的地である本星アマテラスの青い点が光っていた。
「おい。アマテラスと離れすぎじゃねぇか?」
俺は思わず眉間を揉んだ。
「無補給で真っ直ぐ向かったとしても、丸一か月はかかる距離だぞ。なんでまた、本星からこんなに遠く離れた辺境に実験場なんて建造したんだよ?」
「それだけ秘匿したい技術だということです」
アンは真顔に戻り、ぴしゃりと言い放った。
「ワープ前に、免責事項には同意していただいたはずですよね? 疑似ワープボックスの存在も、星核結晶のことも……くれぐれも極秘でお願いしますよ」
「へいへい。アイアンランクの運送屋は、お客様第一が取り柄なんでね」
俺が肩をすくめると、ガラムも「違いない」と笑った。
「ちょっと! 一か月もこの船の中なの?」
会話を聞いていたセレナが、特等席から身を乗り出して抗議の声を上げた。
「私、もうあんな危ない戦闘はごめんだからね! それに、一か月も宇宙を飛ぶなら、せめて毎日美味しいご飯とお茶の時間は保証しなさいよね、ザック!」
「へいへい、キャプテンの仰る通りに」
俺は面倒くさそうに手をひらひらと振りながら、ガラムに視線を向けた。
「で、どうする? まさか一か月無補給ってわけにもいかねぇだろ」
「ああ。とはいえ、俺はずっとダストホール周辺の星系で暮らしてたからな。この辺りの地理はさっぱりだ」
ガラムが頭を掻きながら、アンの方を振り向く。
「アン、どこか物資を補給できる中継基地を経由するルートを引いてくれないか?」
「分かりました。では、こちらのデータをナビゲーションに」
アンが手元の端末を操作すると、メインスクリーンに新たな航路と、いくつかの中継地点が描き出された。
「いやぁ、助かるぜ。それにしても、PDCの追っ手の反応がレーダーに一つも無ぇってのは、段違いに気が楽だな!」
「油断するなよ。宇宙の長旅は何が起こるか分からねぇからな」
俺はコンソールのスイッチを次々と切り替え、メインエンジンの出力を上げていく。
「それじゃあ、気を取り直して出発といくか」
俺が操縦桿を押し込むと、《ラスティ・バレット》の推進器が力強い咆哮を上げた。
機体は、エネルギーを失い機能を停止した巨大な疑似ワープボックスを抜け出し、星々の瞬く未知の宙域へと、静かに滑り出していった。
*
未知の宙域からツクヨミの本星アマテラスへ向けた航行は、何事もなく続いた。
追っ手の影もなく、レーダーは静まり返っている。しかし、出発から数日が経った頃、俺たち《ラスティ・バレット》は看過できない重大な問題に直面していた。
「信じられない。ウソでしょ? ねぇ、ウソだって言ってよザック!」
船の共有スペースに、セレナの悲痛な叫び声が響き渡った。
何事かとコックピットからすっ飛んでいくと、そこには全自動調理器『トリック・リストランテ』のモニターにすがりついて絶望するキャプテンの姿があった。
「どうした、敵襲か!?」
「ザック! ガラム! 緊急事態よ! トリック・リストランテの素材カートリッジが空っぽなの! 私の三時のおやつが! 今日のディナーの予定だった特製ハンバーグが!」
頭を抱えてしゃがみ込むセレナを見て、俺とガラムは無言で顔を見合わせた。
食料が尽きたわけではない。保管庫には、万が一に備えて買い込んでおいた長期保存用の宇宙食(チューブに入った栄養ペーストや乾燥ブロック)が山のように積んであるのだ。
だが、セレナはあの「絵の具みたいな宇宙食」を食べることを断固として拒否し、トリック・リストランテの美食メニューばかりを連日フル稼働で注文し続けた。その結果、本来ならしばらくは持つはずの素材カートリッジが、あっという間に底をついてしまったのである。
「キャプテン、わがまま言うな。宇宙食のストックなら腐るほどあるんだから、アマテラスに着くまではそれで我慢しろ」
「絶対にヤダ! あんな味のしないペーストを毎日すするくらいなら、宇宙空間に飛び出して干からびた方がマシよ!」
「お前なぁ……」
俺はやれやれとため息をついたが、実のところ、カートリッジが猛スピードで減っていることには薄々気づいていた。
……なぜなら、俺もガラムも「美味い飯が食えるならそれに越したことはない」と、率先してセレナと一緒に分厚いステーキや焼き立てのピザを腹いっぱい食っていたからだ。完全に同罪である。
「困りましたね。食事の不満はクルーの士気に関わります」
騒ぎを聞きつけたのか、白衣姿のアンがひょっこりと顔を出した。
「セレナさんの仰る通り、ここからアマテラスまで一か月もの間、あのペースト食だけで過ごすのは精神衛生上よくありません。それに、船の装甲やスラスターの応急処置も限界に近いはずです」
「まぁ、確かに船のガタも気になってたところだが……どこかアテがあるのか?」
俺が尋ねると、アンはポンと手を打った。
「ここから数日ほどの距離に、第伍商業星『イザナギ』があります。トリック・リストランテの開発元である『アジヨミ・テクノロジーズ』の本社がある星です」
「アジヨミ……って、確か巨大な食品・家電メーカーじゃなかったか?」
「ええ。アジヨミ・テクノロジーズは、ツクヨミ・グローバル・ホールディングス(TGH社)の傘下企業ですからね。私の顔も効きますし、カートリッジの補充どころか、最新の極上メニューデータも手に入りますよ。ツクヨミの技術が集まった巨大なドックもあるので、船の本格的な修理も受けられます」
その提案を聞いた瞬間、共有スペースの空気が一変した。
「最新の極上メニュー……! 行く! 絶対に行くわ!ナイスアイディアよ!アン!」
「ツクヨミの巨大ドックか! ハッキング用の最新鋭量子プロセッサも手に入るかもしれねぇな!」
「船の装甲も直せて、美味い飯も手に入るなら文句なしだ。決まりだな!」
俺たち三人が三者三様に目を輝かせて即答すると、アンは小さく息を吐いた。
「私としては、急ぎアマテラスへ向かって欲しい所ではあるのですが」
アンは困ったような、それでいてどこか面白がるような表情を作って俺を見た。
「それに、支払いはどうするのでしょうか? まさか、必要経費とは言いませんよね」
その言葉に、俺はテンガロンハットの鍔を押し上げ、ニヤリと笑い返した。
「安心しろ。領収書の宛名はうちの『キャプテン』だ。なぁに、四大企業SD社のお嬢様なら、ドック代もカートリッジ代も端金だろ?」
「ちょっと、ザック! 私、今一文無しなのご存知?」
特等席でセレナが悲鳴を上げるのをBGMに、アンはくすりと上品に笑った。
「ふふ、アイアンランクの傭兵さんはちゃっかりしていますね。……まぁ、たまには寄り道も悪くありません。『イザナギ』への航路データを送ります」
*
新たな目的地が設定され、機内は再び活気を取り戻した。
だが、俺はコックピットに戻り操縦桿を握りながら、暗いメインスクリーンの隅に視線を這わせていた。
追っ手の影はない。レーダーには何も映っていない。
にもかかわらず、嫌な予感が拭いきれない。
それに、気のせいだろうか。先ほど航路データを送ってきたアンの横顔が、普段よりも僅かに青白く透けて見えた気がした。
振り返ると、アンは自分の端末に目を落としていた。
画面の隅に、ダストホールの研究施設との通信欄が開いている。
最後の受信時刻は、跳躍の前で止まったままだった。
アンは画面を閉じると、俺の視線に気づいて、いつもの顔で小さく会釈した。
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