1章 閑話② 受付の空席
1章 閑話② 受付の空席
「……行っちゃったわね」
オメガ・ハブの片隅にある、傭兵ギルド第七支部。
人の少ないロビーの受付カウンターで、私――ミユキは、宇宙港の管制モニターに映る小さな光の点を見送って、ほうっと息をついた。
「やれやれ。これで、うちのギルドも元の静けさに戻りますな」
後ろから、穏やかな声がした。
振り返ると、いつものように湯気の立つ安物の緑茶を手にした、うちの支配人が立っていた。
「静かになる、どころじゃないですよ。まるで嵐が去った後みたいです」
私は苦笑いして、きれいに片付いたカウンターに目を落とした。
ほんの数時間前まで、ここには、あの騒がしいお嬢様が座っていたのだ。
思えば、セレナと出会ったのは、一年ほど前のことだった。
あの子は身なりのいい詐欺師にまんまと財産を騙し取られ、治安の悪いこの街の路地裏で、途方に暮れて泣きじゃくっていた。聞けば、その詐欺師はお金を持ったまま、ツクヨミの星系へ逃げてしまったという。
フリルのついた場違いな高級ドレスを着て、たった一つ残った巨大なキャリーケースを抱えて、大声で泣いている。あまりにも目立ちすぎていた。
買い出しの帰りにたまたま通りかかった私は、あの子に群がろうとしていたチンピラどもを、ギルドの名前で追い払った。そして、そのまま連れて帰った。
いくら何でも、あんな世間知らずのお嬢様を、無法地帯に放り出しておくわけにはいかない。
私はあの子に、「お金が貯まるまで、うちのギルドで働かない?」と持ちかけて、そのまま支配人の面接を受けさせた。
あの時の面接は、今思い出しても頭が痛くなる。
『えっ、あなたが面接してくれるの!? 私たち、絶対同い年よね!? わぁ、同い年の子と一緒の職場なんて、すっごく嬉しい! よろしくね、ミユキちゃん!』
あの子は、面接官の支配人をまるっきり素通りして、案内役で同席していた私の手をがしっと握り、目をきらきらさせて親友宣言をしてきたのだ。
……私の方が、一応、少し年上のはずなんだけど。
慌てて「ち、違うの! 面接するのは、そっちの支配人で……!」と訂正すると、あの子は支配人を見るなり、無邪気に言い放った。
『あ、お茶汲みのおじいちゃん! お茶ありがとう! 私、お砂糖とミルクたっぷりでお願いね!』
私は血の気が引いた。
でも支配人は、怒るどころか、「ほほう。これは元気な新人が来てくれましたな」と目を細めて笑い、その場で採用を決めてしまった。
あの子が浮かれて制服の採寸に行っている間に、支配人は、私にだけそっと耳打ちしてきた。
『ミユキくん。あの子の指の指輪……あれは、四大企業の中枢に関わるような、とんでもない立場の人間だけが持つ指輪ですよ』
『えっ、あれが!? だったら、すぐに向こうに知らせて、迎えに来てもらわないと! お礼だって、すごい額が出ますよ!』
慌てる私に、支配人は楽しそうに首を横に振った。
『いいえ。あのお転婆娘が、この広い宇宙でどんな物語を紡ぐのか……特等席で見届けてみたくなったのですよ。豪華な鳥籠に戻してしまうには、惜しい目をしていましたからね』
それからの一年は、まさにてんやわんやだった。
書類の整理を頼めば、大事なファイルを勝手に星形に切り抜いて飾りつける。コーヒーを淹れさせれば、どういう理屈か給湯室を爆発させる。挙げ句の果てには、強面のベテラン傭兵に「ヒゲの手入れがなってない!」と駄目出しをして、本当に泣かせてしまった。
毎日、あの子が起こす騒ぎの後始末に追われて、胃薬が手放せなかった。
……でも。
あの子がいるだけで、薄暗くて殺伐とした場末のギルドが、ぱっと明るくなっていたのも本当だ。
大変なことばかりだったけれど、今になってみれば、どれもこれも笑い話だ。
「……それにしても、支配人」
私はモニターから目を離して、隣でずずっとお茶をすする白髪の老人に、呆れた声をかけた。
「あの子たちの駐機料まで払ってあげるなんて。結構な額だったって聞きましたけど?」
「何、かわいい孫娘への、ささやかな餞別ですよ。それに、ザックくんもガラムくんも、見どころのある、いい目をしておりましたからな」
「……好々爺のふりをしても無駄ですよ」
私は、ため息まじりに言った。
「あんなこと、ただの田舎のギルドの支配人にできる芸当じゃありません。かつて『迅雷のキルレイン』と恐れられた、伝説の元プラチナランカーともあろうお方が、相変わらず人が悪いですね」
支配人は、お茶をすする手を、ぴたりと止めた。
それから、ふっと優しく微笑んだ。
「ははっ。ミユキくんには、敵いませんね」
アルス・キルレイン支配人は、いたずらっぽく肩をすくめた。
「昔の肩書きなんて、今はただの飾りですよ。なぜこんなところにいるのか、と聞かれても……この星の緑茶が、私の口に一番合ったから、としか言いようがありませんな」
支配人は、湯呑みを持ち上げてみせた。
「さぁて。お茶汲みのおじいちゃんは、そろそろ仕事に戻るとしますか」
どうしてここにいるのか。その本当の理由は、いつもこうして煙に巻かれてしまう。
けれど、この人が、この街の裏側の釣り合いを保ち、若い傭兵たちを陰から見守って、導いていることだけは確かだった。
「……ええ。そうですね」
私は小さく笑って、もう一度モニターに目を戻した。
今ごろ、どんな騒ぎを起こしているのだろう。
あの子のことだ。きっとザックさんやガラムさんを振り回して、とんでもないことをしでかしているに違いない。
「今度会えたら……とびきり楽しいお土産話を聞かせてほしいですね」
誰もいなくなったカウンターを、そっと撫でる。
あの子が座っていた椅子は、少しだけ低く調節されたままになっていた。
胸の奥に、ぽっかりと穴が開いたような気がする。きっと、気のせいじゃないのだろう。
「……ちょっと、寂しくなるわね」
小さな独り言は、オメガ・ハブの喧騒に紛れて、静かに溶けていった。
【用語解説】
■人物
アン・トドロキ
ツクヨミの『特殊素材位相研究室 オメガ・ハブ出張所』の所長。宇宙線の影響による遺伝子の異常で成長が止まっており、見た目は十歳前後の子供だが、実際の年齢はザックと同じくらい。
とぼけた物腰と底の知れない交渉術で、ザックたちを半ば無理やり「疑似ワープ実験」の協力者に仕立て上げた。研究者のはずなのに、操縦の補助の腕は本職のパイロットも顔負け。
星核結晶を四大企業の中枢の星から奪ってきた張本人でもあり、その笑顔の裏に何を隠しているのかは、まだ分からない。
ヴィンセント・ロウ
ゴールドランクの傭兵。オーダーメイドの純白のパイロットスーツに身を包み、育ちの良さを鼻にかけた男。乗機は最新鋭の重攻撃機。
何者か(おそらく四大企業のどこか)から資金の援助を受けており、ザックたちの積み荷を狙って襲ってきた。ガラムに機体の仕組みを乗っ取られて撃退され、捨て台詞を残して去っていった。
アルス・キルレイン(ギルド支配人)
オメガ・ハブの傭兵ギルド第七支部を取り仕切る、白髪の好々爺。お茶汲みのおじいちゃんと間違えられても、にこにこと笑っている。
その正体は、かつて傭兵ギルドで『迅雷のキルレイン』と恐れられた、元プラチナランクの天才傭兵。とてつもない速さで間合いを詰め、一撃を加えてすぐさま離脱する戦い方で一時代を築いた。当時の彼が叩き出した速さの記録は、今も破られていない。
ザックも名前を聞けばすぐに気づいたはずの、生きた伝説。場末のギルドに、ICA並みの高性能な生体認証の仕組みが格安で入っているのも、彼の功績と人脈によるところが大きい。
なぜこんな辺境で支配人をしているのか。本人いわく「この星の緑茶が、口に一番合ったから」。
■組織・施設
特殊素材位相研究室(オメガ・ハブ出張所)
ツクヨミが運営する研究施設の一部門。表向きは、結晶などの特殊な素材を研究する部署とされている。だがその実態は、禁じ手に近い『生体位相転移実験』――生き物を乗せたまま、別の場所へ跳ばす実験を進める、極秘の計画だった。所長はアン・トドロキ。
傭兵ギルド オメガ・ハブ第七支部
ミユキと支配人アルス・キルレインが勤める、オメガ・ハブの傭兵ギルドの正式な支部名。
■アイテム・技術
星核結晶
ザックたちが運んでいた『RX880Q』の正体。一生を終えた星の芯が、とてつもない重力で極限まで押し固められてできた、超新星爆発に匹敵するエネルギーを秘めた結晶。
とても安定した物質で、特別なやり方で刺激しない限り、勝手に爆発することはない。四大企業のどこかの中枢の星から、ツクヨミの手の者によって奪われたもので、奪い合いの中心にある、とびきりの危険物。
疑似ワープボックス
ツクヨミが独自に開発を進めている、ICAのワープボックスに対抗する技術。普通のエネルギーでは、通信の電波が通るくらいの小さな空間の穴しか開けられない。そこで、星核結晶の膨大なエネルギーを使い、人や船が通れる大きさの穴を、安定して開こうとしている。
ブラッド・オニキス
ヴィンセント・ロウの乗機である、最新鋭の重攻撃機。傭兵ギルドで認められた限度を超える火力を持ち、ザックに「軍用か、どこかの大企業の最新兵器」と言わしめた。
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