1-12 所長の取引
1-12 所長の取引
「間違いありません」
研究員が、アンに告げた。
「念のため、中で詳しく調べます」
「よろしくお願いします」
研究員たちが結晶を運び出していくのを見送ってから、アンは俺たちに向き直った。
「そうだ。今回の依頼について、ご説明もしなければなりませんね。よろしければ、この後、研究所の中でお話しさせていただけませんか?」
「いや、もらうものをもらえれば、それでいい。俺たちはただの運び屋だ。荷物の説明はいらねぇ」
俺がすぐに断ると、アンは「おや、冷たいですね」と少しだけ眉を下げた。
「ですが、このままお帰りになると、報酬のお支払いができないんです。ギルドを通した指名依頼の完了のサインは、所長である私の机の端末からしか出せない決まりになっていまして」
……ほら、来た。
相手を逃がさないための、お決まりの手口だ。
結局、俺たちは断る口実を見つけられないまま、研究所の奥へと案内されることになった。
*
真っ白な廊下を歩きながら、俺とガラムは生きた心地がしなかった。
セレナだけが、「わぁ、なんか映画の秘密基地みたい!」と、のんきにあちこちを見回している。
通されたのは、飾り気のない所長室だった。
ソファを勧められて腰を下ろすと、アンは向かいの席にちょこんと座った。依頼を受けてくれたことに軽く礼を言ってから、本題に入る。
「あまり長くお引き止めするのも悪いので、単刀直入に申し上げますね」
アンは、膝の上で小さな手を組んだ。
「わざわざ奥までお越しいただいたのは、ほかでもありません。皆さんに、追加の依頼をお願いしたいのです。……私たちの研究所の、生体位相転移実験に、ご協力いただきたい」
「せいたい……何?」
セレナが首を傾げた。
俺の心臓は、嫌な音を立てていた。言葉の意味は分からなくても、ろくでもないものだということだけは分かる。
「生き物を乗せたまま、別の場所へ跳ばす実験です。人も、船も、まとめて」
「じ、人体実験じゃねぇか!」
ガラムが、たまらず大声を上げた。
「冗談じゃねぇ、そんなもんに手を貸せるか! だいたい、今さら跳ばす研究なんかして何になる! ICAのワープボックスがあるだろうが! 遠くの星系に行きたけりゃ、あれで十分だ!」
アンは、怯みもせずに頷いた。
「ええ。ワープボックスの原理そのものは、五百年ほど前に完成しています。ただ、その肝心なところを、ICAがずっと隠したまま、独り占めしているんです」
「隠すも何も」
俺は口を挟んだ。
「ワープボックスってのは、ワームホール――空間に穴を開けて、遠くの星系と繋いで、船を通す仕組みだろ。学校の教科書にだって載ってる」
「説明が足りませんでしたね」
アンは、テーブルの上にあった紙を一枚取った。
「空間に穴を開けて繋ぐ、というのは、たとえばこういうことです」
紙の端と端に、指で一つずつ点を描く。それから、紙をぐにゃりと折り曲げて、二つの点を重ね合わせた。
「紙の上を歩けば、端から端までは遠い。でも、こうして折り曲げて、重なったところに穴を開ければ、一歩でたどり着けます。ワームホールは、宇宙という紙を折り曲げて、穴を開けるようなものです」
「……なるほどな」
「秘密にされているのは、その穴の開け方と、開けた穴を保つやり方なんです。私たちツクヨミでも、空間に穴を開けることまではできます。ですが、普通のエネルギーでは、通信の電波が通るくらいの、ごく小さな穴しか作れません」
「だったら、エネルギーを増やせばいいじゃねぇか」
「ええ。ですが、人や船が通れる大きさの穴を、安定して開けておくには……超新星爆発に匹敵するエネルギーが要るんです」
「……は?」
俺は、言葉を失った。
超新星爆発。年老いた星が、一生の最後に起こす大爆発だ。周りの星系ごと、吹き飛ばすような。
「どうしようもねぇじゃねぇか。実験どころか、星系ごと消し飛ぶぞ」
「普通なら、そうですね」
アンは、にっこりと笑った。
「ですが――そのエネルギーを秘めた結晶を、皆さんが運んできてくださったのです」
アンが目配せすると、横の扉が開いた。さっきの研究員が、あの赤紫の結晶の入った箱を、ワゴンに乗せてうやうやしく運んでくる。
俺とガラムは、もう呆れるしかなかった。
俺たちはずっと、星を吹き飛ばすような爆弾を積んで、飛び回っていたのか。
「ご安心を」
アンが、くすりと笑った。
「私たちは、これを『星核結晶』――ステラ・コアと呼んでいます。とても安定した物質で、特別なやり方で刺激しない限り、ぶつけても熱しても、勝手に爆発することはありません。一生を終えた星の芯が、とてつもない重力で極限まで押し固められてできた……宇宙の奇跡と言っていい代物です」
「奇跡だろうが何だろうが、ヤバい代物には変わりねぇだろ……」
ガラムが、引きつった顔で呟いた。
セレナはとっくに理解を諦めたらしく、所長室の天井の模様を眺めるのに忙しそうだった。
「……それで」
俺は、深いため息をついてアンを睨んだ。
「その物騒な実験に、なんで俺たちが付き合わなきゃならねぇ。腕のいいテストパイロットでも雇えばいいだろう」
アンは、ふふっと微笑んだ。
「だって、皆さんは――ワープで逃げなければならないのでしょう? PDCの追っ手から」
少女の顔をした所長の唇に、悪魔みたいな笑みが浮かんでいた。
……やっぱり、厄介事だった。
こっちの事情は、全部筒抜けだ。
とっさに、腰の銃を抜いてこの所長を人質に取り、逃げ出す手を考えた。だが、部屋の四隅に立つ警備員を思い出して、ぎりぎりで踏みとどまった。静かな研究所には不釣り合いなほど、重く武装した連中だ。
……ひょっとすると、俺に手を出させないために、最初から見せつけていたのかもしれない。
なら、せめて返事を引き延ばして、時間を稼ぐ。
「そんなに急がなくても、いいんじゃないですかね。こっちにも、それなりの準備ってもんがある」
「最初はそのつもりでした。ですが、ここ数日、なぜか急に、PDCの動きが活発になっているんです」
アンは、困ったように眉を下げた。
……なぜだ? オメガ・ハブに潜り込んでから、軍に尻尾を掴まれるようなへまは、一つもしていないはずだ。
ガラムと顔を見合わせたが、どちらにも心当たりはなかった。隣では、セレナがのんきに天井を眺めている。
「私たちも、四大企業の特権を侵す『疑似ワープボックス』を研究しています。PDCに嗅ぎつけられて邪魔をされる前に、実験を済ませてしまいたいんです。……あいにく、この出張所にあった船も、PDCから『協力の要請』という名目で、ほとんど持っていかれてしまいまして。正直に言えば、皆さんに頼むしかないのです」
アンは、小さく身を乗り出した。
「それに、皆さんにとっても悪い話ではないはずです。跳ぶ先は、私たちツクヨミの星系です。追っ手から逃げられますし、向こうでの安全は保証しますよ」
「そのワープが、ちゃんと成功する保証は」
「理論の上では、成功を保証できます」
理論の上では、か。
俺は、少しだけ迷ってから、口を開いた。ずっと腹の底に引っかかっていたことだ。この所長なら、何か知っているかもしれない。
「一つ、聞きたい。ワープボックスを抜けた時に、何時間か時間が飛んでた、なんてことは、ありえるのか」
アンの手が、止まった。
「……何時間か、ですか」
「俺が箱から出てきた時には、もうPDCの艦隊が、きっちり包囲の陣形を組んで待ってた。普通にやったら、一時間はかかる。箱の中で、それだけの時間が経ってたとしか思えねぇ」
アンは、しばらく黙っていた。
さっきまでの、何もかもお見通しのような笑みが、消えていた。
「ワープボックスの中で、時間が流れることはありません。入った瞬間に、出口に着く。……少なくとも、教科書の上では」
「教科書の上では、ね」
「ええ」
アンは、白衣のポケットから使い込んだ手帳を取り出して、何かを短く書きつけた。
「興味深いお話です。……実験が終わったら、そのワープの記録を見せていただけますか」
ただの社交辞令には聞こえなかった。研究者の目が、初めて本気で俺を見ていた。
何か知っているのか。それとも、知らないからこそ食いついたのか。俺には、分からなかった。
それにしても、いきなり生身で試せってか。恐れ入る。
俺は、最後の悪あがきに、一つ条件をつけることにした。
「……トドロキさん。あんたも、俺たちの船に乗ってくれ。それなら、受けてもいい」
もし、危険を隠しているなら、自分は乗りたがらないはずだ。それを口実に、断ってやる。我ながら、せこい手だ。
だが。
「大丈夫ですよ。最初から、そのつもりでした」
アンは、まったく迷わずに頷いた。
「私自身、ツクヨミの本星に、どうしても行かなければならない理由がありますから。……それと、アンで結構です」
本星に行かなければならない理由。
気にはなった。だが、下手に突っ込めば、藪から蛇が出てきそうだ。
……もう、どう頭をひねっても、断る手が残っていなかった。
*
「では、正式な受諾の手続きと、前回の報酬の受け取りのサインをお願いします。私の机の端末からしか出せませんので。それから、疑似ワープに向けて、船の航法装置と、こちらのシステムを繋ぐ作業も要りますね」
ガラムは研究所のシステムと船を繋いで、座標の計算のチェックに追われることになった。俺は、アンから渡された免責事項の山に、延々とサインを書き続ける羽目になった。
小難しい話に早々に飽きたセレナは、「じゃあ私は、荷造りと積み荷の運び込みを見てきます」と微笑むアンに連れられて、いそいそと船へ向かっていった。
*
数時間後。
頭から湯気が出そうな作業を終えて、俺とガラムはふらふらになって駐機場に戻った。
船の前で待っていたアンとセレナと一緒に、タラップを上る。あの結晶が、研究員たちの手でコンテナに戻されたのを確かめてから、コックピットに入った。
「……おい。なんだ、こりゃ」
俺とガラムは、入口で立ち尽くした。
俺たちの席の後ろ、一段高くなったところに、さっきまでなかったはずの座席が一つ、どんと据えつけられていた。
体にかかる負担を和らげる装置までついた、最新型の、真新しい高級な座席だ。
「……アン所長。ずいぶん立派な自分の特等席を用意したもんだな。俺たちの薄汚れた船には、もったいないくらいだ」
精一杯の嫌味を込めて言うと、アンは首を傾げた。
「いえ、アンで結構ですよ。……それに、この席は私のものではありません。セレナさんの席です」
「は?」
後ろから、セレナが嬉しそうに駆け寄ってきた。
「アン、いい椅子を用意してくれたじゃない! ありがとう、すっごく気に入ったわ!」
「どういたしまして。キャプテンからのご要望でしたので、研究所の備品を取りつけさせていただきました」
アンは、ぺこりと頭を下げた。
「ついでに、セレナさんからお願いされていた個室の模様替えもしておきました。それと、勝手ながら、隣の空いていた貨物室も、私の部屋に作り替えてあります。依頼が終わったら、元に戻していただいて構いませんので」
……たった数時間で、船の中をいじって、部屋を二つも作ったのか。ツクヨミの技術、恐るべしだ。
ついでに、ガムテープだらけの外装も直してくれりゃよかったんだが。
いや、それより問題は、セレナだ。
俺とガラムが、命がけの交渉で胃を痛め、山のような手続きに追われていた間。こいつは裏でちゃっかり、あの千二百万のカードをアンに渡して、自分の特等席と個室をねだっていたのだ。
ガラムが「ぎりぎりまで手をつけるな」と言った、あのカードを。
……後で、たっぷり絞ってやる。
セレナの満面の笑みを見ながら、俺は固く心に決めた。
サブ操縦席には、もうアンが座っていた。小さな体には大きすぎる座席に、ちょこんと収まって、慣れた手つきで計器を確かめている。
研究者のはずなのに、操縦席に座る姿が、妙に様になっていた。
星を吹き飛ばすほどの結晶。生き物ごと跳ばす、試したこともないワープ。
そして、本星にどうしても行かなければならないという、この小さな所長の理由。
それを口にした時だけ、あの落ち着き払った声が、ほんの少し揺れていた気がした。
計器を確かめるアンの横顔は、何も語らない。
ただ、膝の上に置いた小さな手が、白衣の裾を、ぎゅっと握りしめていた。
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