暖房
「ぅおんどりゃあッ!」
回し蹴りである。
何の脈絡もなく、突然の回し蹴りである。
その理不尽な暴力に突然晒されたソレは、楓佳のぶっ放した回し蹴りを無抵抗にただ受け止めた。
どむんとドラム缶のひしゃげるような音。続いてソレはきりもみ状に吹っ飛んでいった。勢いよくぐしゃんがしゃんと転がったそれはやがて沈黙し静止、のちに機能を停止した。
たっぷり秒針三回転は続いただろう私と楓佳の間の静寂を破るのはやはり私以外にはありえなかった。
「楓佳。なんでストーブを蹴ったんだ」
「あ、いやぁ。寒かったから、つい」
§
もうすぐ二月になるというのに相も変わらず真冬の寒さが続くある午後のことだ。
その日は珍しくバイトがなく、久方ぶりに裕範を連れ出してデートと洒落込もうとしたのだが生憎と都合がつかなかった。どうも学生は現在試験中らしい。落としたら卒業が危ぶまれる単位がかかった、大学生活最後の試験。懐かしくもある。私も少し前までは同じく大学生で、しかも現在進行形で大学院生なのだが、昔から要領だけはよかったせいもあり、不思議と単位で悩んだことはなかった。なぜか勉強せずとも点が取れてしまうのだ。羨まないでほしい。
そんな私は裕範に「そうか、頑張れ」と励ましつつ新作の弁当を手渡し、丸々空いた今日の予定をどのように埋めようかと考えながら最寄り駅に向かって散策していたところ旧友に捕まった。
このフリーターである旧友も、フリーターらしからぬことに暇を持て余していたらしい。「バイト、首にでもなったか?」と冗談交じりに尋ねた私に、楓佳は「あぁん!?」とメンチを切った。どうやら図星で、しかもすこぶる機嫌が悪いらしい。
触らぬ神になんとやらとは言うが、それではあまりにも親友が憐れでならない。私は楓佳に誘われるまま楓佳の部屋を訪れ、しばらく彼女の気をなだめ、愚痴を聞き、なんとか二人で談笑するまでに漕ぎつけたのだ。
そんな時である。
突如として彼女は会話を切って立ち上がり、使命を帯びた瞳で部屋備え付けのストーブを蹴り飛ばした。
ただそれだけのことだ。
ただそれだけのはずなのに、なんで私はこんなにも頭を抱えなければいけないのだろうか。
「オレは、まーアレだ。ストーブに、てめぇ火力弱ぇぞちったぁしっかりしやがれッって檄入れてやりたかったんだ、うん」
それはまた過激な表現方法だ。もう二十八と、いい歳なんだ。男勝りなのは口調だけにしておけよ。
「だって寒いだろうが!」
それは分かる。凄くよく分かるのだが、もう少しマイルドな現実を直視すべきだと私は思う。あまりにもワイルドに檄を飛ばすものだからストーブは一酸化炭素を吐き出している。全身複雑骨折どころの騒ぎではない。もしかしたらこの異臭の元は彼のエクトプラズムかも知れない。
「……しまった。つい力が入りすぎてストーブが壊れちまった」
ぐしゃぐしゃになった鉄の塊にかろうじてくっついているボタンをポチポチ押し続けている楓佳。この場に語学力に優れた私の後輩が居れば、因果応報とか自業自得とかいう素晴らしい四字熟語を並べてくれるだろう。
「楓佳、そのストーブも頑張って生きていたのだ。可哀想だと思わなかったか? 見ろ、ストーブもほら、涙を流しているだろう。今生の別れを惜しんでいるぞ」
「まあそれ灯油が漏れてるだけなんだけどな」
いい具合に畳とカーペットに染み込んでいくストーブの涙。楓佳は「このままじゃ部屋が程よく燃えやすくなっちまう」とかぼやきながら洗面所に行き、雑巾を手に戻ってきた。
「それよりも、だ」
一通り掃除を終えてストーブの亡骸をベランダに追いやってから楓佳が呟く。
「オレはストーブ無しで明日からどうやって生きていきゃあいいんだ?」
イライラしている時に衝動で行動を起こすとろくなことがないといういい手本だ。
「無理。耐えられるわけねぇ。そうだ瀬月、お前んチしばらく泊まっていいか?」
凄くお断りだ。我が家の家具がいくつあっても足りそうにない。
「しかたねぇなあ。こうなったら香織んチのコタツを占拠するか……って、くそぅ、アイツも彼氏持ちなんだよなー。惚気話はごめんだ」
私もいわゆる彼氏持ちというやつなのだが。
「そういえば瀬月。お前ガラクタ直すの得意だったな?」
「得意、というほどではない。配線やモーターの仕組みをかじった程度で、資格なんて持ってはいないぞ?」
「いいんだよ、コイツがまた動くようになりゃあ」
言いながら楓佳は「名案、名案」と大きな声で笑った。
……コイツをリザレクションしろというのか?
できなくはないが、すこぶる面倒だ。
「せっかくだ。買いなおしたらどうだ? 型もずいぶん古いだろう。火力も弱く感じたのだから、潮時かもしれないな」
私の提案に楓佳は鼻を鳴らした。
「使えなくなったらすぐにポイか? かぁッ! ハクジョウだなぁ。このストーブはオレには思い入れがあったんだ! そう易々と捨てられるかッ!」
なら回し蹴りはどうかと思う。
「もういいッ、オレが自分で直す!」
「直すのか? 新しいバイト探して買い直した方が早いぞ」
「うるさいオレはニートじゃねぇ! ホラホラ、さっさと帰った帰った!」
強引に追い出されてしまった。
「どうでもいいが、仕事は探せよー」
返事はなかった。
§
その後楓佳と同じアパートに住む後輩の香織を訪ねたところ、楓佳はしばらく部屋に篭って工作に熱中しているらしい。なんともはや。新しいバイト探しはいいのだろうか?
そしてその折に聞いた話だが、どうやら楓佳の幼馴染である男性が今年式を挙げるらしい。葬儀ではない、結婚式だ。
なるほど、彼か。
私もその人物に思い当たりがある。
私や楓佳、香織と、多くの知り合いが足を運んでいる、渋谷にある個人経営の小さな喫茶店「古時計」の若きマスター。
去年の暮れ、ついに結婚するという報告と、結婚式へ招待してもよいかという確認の手紙が届いたのは記憶に新しい。そうか、ついに結婚か。長かったな、と、まるで自分のことのように喜んでいた自分に驚き、失笑したものだ。
私もマスターの可愛い妹、椎子には裕範ともども恩がある。改めて届いた式への招待状の参加の欄にチェックし、返信したばかりだ。
マスターは、楓佳の幼馴染である。
実はそのマスターが楓佳の初恋の人だったという甘酸っぱい昔話を聞いた私は、楓佳の情緒不安の理由の一端を垣間見た気がした。
恩があり、素直に祝うことができる私とは根本から異なるのだろう。
彼女に必要なのは、時間か、それとも暖めてくれる暖房器具か。
バイトの忙しさで気を紛らわせることができないのであれば、せめてストーブの修理という作業に没頭して、少しでも気が晴れてくれることを願うばかりだ。
§
それから二週間ほどしたある日のことだ。
その日もバイトがなく、自分の家で読書に耽っていると、チャイムも鳴らさずに楓佳が上がり込んできた。
「見ろ、見事に蘇生を果たしたぞ!」
楓佳はストーブを背負っていた。そのストーブは、見ようによっては確かに蘇生を果たしていた。そのガムテープはさしずめ包帯か。どうやら名医ではないらしい。
――よかった。
楓佳は作業に没頭していたせいもあり、程よく吹っ切れているようだった。相変わらずの無職のようだが、いい兆しだ。少なくとも私の家の家具がとばっちりを受けることはないだろう。
「上がるぞー。早速二人で暖まろうぜ!」
ストーブも直り、気分も晴れたその清々しさをストーブにあたることで共感したいようだ。その気持ちは分かるが、私は「あー」と申し訳ない声を上げた。
「すまん。ウチはエアコンなんだ」
既に温かいだろう、と続ける私に小首を傾げた楓佳は、しかしそれも一瞬ですぐに敵を見るような目で私の部屋のエアコンを見上げた。
嫌な予感が背筋を駆け抜けた時には既に手遅れだった。
「こんのブルジョアめぇッ!」
生まれて初めて、私はいわゆる「昇龍拳」というものを体現した人物を目の当たりにした。
「ウチはガスも電気も止められそうなんだぞー」と叫びながら暴れだす楓佳。それでストーブ持参だったのか。――ともかく私はそんな彼女に嘆息以外の言葉を持ち合わせてはいなかった。だからバイトを探せといったのに。
どうやら楓佳の情緒の安定はまだまだ遠いらしい。ついでにこの調子では春も遠そうだ。
どれだけ要領がよくとも、単位で困ったことがなくとも、目の前で情緒不安に陥ってる友人を救う手立てが何一つない自分の無力感に苛まされる。
嗚呼、誰か。
この大人になり損なったいたいけな少女の心を、誰か温めてやってくれ。
終わり
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
不器用で騒がしい、癖のある登場人物たちと二人の少女が紡ぐ、全20話の連作短編集です。
幼馴染の結婚にバイトの解雇。意地を張るのももう限界。みっともない姿を見せるのは、親友と呼べる彼女の前だけ。――瀬月にとってはたまったものではありませんが。
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引き続き、彼女たちの物語をよろしくお願いいたします。
【初出】
「暖房」
熊谷雑文工房『KAZAK』 2007 新歓号 掲載
(※Web掲載にあたり加筆修正)




