月冴ゆる前に
瀬月の誕生日が近いという事実を知った俺が、本人に直接プレゼントは何がいいかと尋ねたのは今週の頭のことだった。
結果、彼女は何でもいいと答えたのだが、「腕時計は性に合わないな。どうも、腕や首、身体にものを巻きつけることに抵抗がある。同じ理由でブレスやネックレスの類もNGだ」と、ちゃっかり苦手なものを並び立て、「楽しみにしているよ、裕範」と含みのある笑みを浮かべたものだから、選ぶ側の俺はかなりのプレッシャーを背負うこととなった。
今まで剣道一筋で女っ気の無かった俺が、ひょんなことから同じ大学の院生である瀬月と付き合うことになったのは秋の暮れのことだった。
元は俺の一目惚れ。
しかし、瀬月の方も以前から俺に興味があったらしく、剣道部の試合に何度か顔を見せに来たり、弁当を作ってきたりと(味の方は黙秘権を行使させてもらうとして)積極的なアプローチを度々仕掛けてきた。
が、どうも俺はその手の色恋沙汰に疎く、どうすればいいかと手を拱いているうちに、彼女のほうから「ええい、まどろっこしい。私と付き合え!」と、全国男女問わず控え目引っ込み思案な連中に見習わせたいほどの思い切りのよさと強引さで切り出してきた。
それも命令形だ。
俺に拒否権は無かった。……まあ、拒否するつもりも無かったが。
両想いだというのにいつまでダラダラやっているのだと関係者各位をやきもきさせていた俺と瀬月の関係は、その日からようやくのように恋人同士というものになった。
しかし正直な話、付き合うことになったはいいが、進展らしい進展は僅かばかりも見られなかった。
俺自身、女性と付き合うということ自体が初めてであり、付き合い方を探しあぐねているという不甲斐ない状態だ。
友人である仲村に、より親密になるにはどうしたらよいかと助言を求めたところ、「キミらしくいけばいいんじゃないかな」と言われ、その仲村の恋人である名瀬に訊ねれば、「本能の赴くままヤっちゃえばいいのよ♪」などと笑顔でとんでもないことをのたまう始末。
瀬月の後輩であり、俺の知人の中でも数少ない常識人のうちの一人である橘に最後の望みを託し訊いたはいいが、「そんなの私が知りたいですよぅ」とため息をつかれるだけだった。どうやら恋愛で悩んでいるのは俺ばかりではないらしい。
そんな友人達の最大限のエールを受け、ますますに深まる混乱と僅かばかりの勇気と自信をつけた俺の元に舞い込んだ話が、瀬月の誕生日の話だった。
十二月二十四日。
奇しくもクリスマス・イブと重なったこの日に、俺は大きな一歩を踏み出すことを決意した。
踏み出すと決めたら躊躇などしていられない。
剣道の試合でも、踏み込みが甘ければ瞬く間に一本取られてしまう。小細工無しの真剣勝負。が、そのための得物がまず必要だ。
そのためプレゼント選びにこうして街までやってきたのだが、女性の喜ぶような贈り物とは如何なるものか……。
俺の第一歩は、駅を降りた時点で大きく頓挫していた。
元々、店をいくつか回りながら散策していればいずれ見つかるだろうと無計画に街に繰り出したのだ。
当然、どのビルにどんな店があるのか、どの店にどんな物が置いてあるのかなどの下調べもしておらず、路頭に迷ったがごとくショッピングモールをふらりと歩き回り、終いには細い路地に入り込んで道に迷う始末だ。
「俺という男は……プレゼント一つろくに買うことができないのか……」
自分自身に失望し、気がつけば切腹用の短刀を探し出しかねないほどにわなわなと震える両手を制しつつ、とりあえず駅に戻る大通りを探そうと入り組んだ路地を彷徨っている時、その店は現れた。
それは、体よく言えばアンティークじみた、悪く言えばぼろ臭い店だった。いかにも骨董品を扱っていそうな、漆塗りの木造の店。表札のように扉の横に立て掛けられた大きな木製の看板に書かれている「古時計」とは、おそらくこの店の名前だろう。
時計の専門店だろうか?
店内を埋め尽くすばかりの柱時計という情景を思い浮かべたところで、俺はふと閃いた。
「そういえば。瀬月は、時計が無くて不便していると言っていなかったか……?」
腕時計が苦手な瀬月は、基本的に時計を持ち歩いていない。
携帯の時計があるにはあるが、フィールドワークの場には少々不向きだ。電源を入れられない病院や学会発表などの公の場では不便しているといつだったか聞いたことがある。
―――そうだ。懐中時計を贈ろう。
まるで天啓のように閃いた。
防水で汚れにも強いアウトドア用のものを贈れば、きっと喜んでくれるはずだ。
閃けばこちらのものだ。後は行動あるのみ、当たって砕けろだ。
サラバ愚鈍な俺、また会う日まで!
「……い、いらっしゃいませー」
勢いよく店の引き戸を開け放った俺に驚き肝を潰したのか、店員らしい女性はうわずった声を上げた。俺は気にせず、つかつかとカウンターまで足を運ぶと、開口一番こう告げた。
「懐中時計を頂きたい」
店員は、「えーっと……」と戸惑いの声を上げながら俺の様子をまじまじと見始めた。……しまった、単刀直入すぎたか。それとも、不審者に見られたのか……?
「―――すまん、端折りすぎた。知人への贈り物に懐中時計を探している。この店の時計をいくつか見繕いたいのだが」
それでも店員は対応に困っているようなそぶりを見せるばかりだった。
……ひょっとすると、この店員はアルバイトで自分の店の商品にあまり詳しくないのだろうか?
そういえば、彼女の背丈は低く童顔だ。一見中学生にも見える。
―――と、それでは労働基準法違反だ、いくらなんでもそれはないか。
「えっと、すみません」
ようやく店員が口を開いたかと思えば、返ってきたのは謝罪の言葉だった。
「うちは、懐中時計は取り扱っていないんですよ」
「何……? そうか、それはすまなかった……」
古時計だけに、壁掛け時計などの専門店なのだろうか。俺は落胆した。
「っていうか、そもそも時計屋でもありませんし」
「―――何?」
言われて辺りを見渡してみる。質素ながらも清掃の行き届いた板張りの床に、いくつかのテーブルとイスが並んでいる。カウンターにも同じように丸椅子が均等間隔で並んでおり、テーブルの装飾から飲食店のように見えるが、店内どこを探しても商品である時計が見当たらない。唯一見つけることのできた時計は店の柱に立てかけてある柱時計くらいなものだ。
「……まさか」
「そうです。ここは喫茶店ですよ」
気づけよ、俺。
一度何かを決め込んだら辺りに目が回らなくなるのはいつものことだが、いくらなんでも程度があるだろう。
「しかも今日はお休みですよ? 外に休業中の看板出てませんでした?」
コンニチハ愚鈍な俺、再会は意外と早かったな……。
「……うがぁ」
頭を抱えながら呻き声を上げたとしても、もはや誰も咎めまい。
§
「ははぁ、恋人さんへのはじめてのプレゼントですかぁ」
「むぅ。だが、何を贈ればいいか分からなくてな」
「それで時計ですか。チョイスはいいんですけど、懐中時計は少し、その……渋くありません?」
「彼女、腕に巻くものは苦手なんだ」
「私なんかは好きな小説のグッズとか、可愛い文房具とかマグカップ貰えればそれはそれで嬉しいんですけど、大人の人はどうなんでしょうねー。兄さんがいれば、いいアドバイスもらえたかもしれないんですけど……」
「それは、頼もしいな」
「私の兄、あんなんで一応婚約までしちゃってますから。あんな美人で気立てのいい人どうやって射止めたのやら……。きっと卓越したプレゼント戦術とか持ってるんですよ。あ、それとですね―――」
気がつけば、俺はカウンター席で紅茶を頂きながら店員の少女と話し込んでいた。
彼女は高校生なのだが両親がおらず、歳の離れた兄と二人で喫茶店を切り盛りして生計を立てている。
この日はその兄が留守で店を開いていないようだ。
一人家で留守番をしながら店の備品を整理していた彼女の前に間抜けな俺は現れたのだが、どうやら彼女は休日のこの暇を持て余していたらしい。
紅茶とカステラを餌に、俺はまんまと捕まってしまったようだ。
「……そろそろいいか? 遅くなると閉まる店もあるだろうし、今日中に買っておきたいんだ」
一応出された紅茶とカステラを頂き終えてから俺は切り出した。そうでもしなければ俺は延々とこの少女の話に付き合う羽目になりそうだった。
「そうですか? 残念です。あ、でも、時計を探すなら私が案内しますよ?」
「……留守番しているのではないのか?」
「大丈夫ですって。いつも買い物に行ってるデパートに行くだけですから。ついでに、買出しも済ませたいですし」
それは俺に同伴させて、あわよくば荷物持ちを頼もうという魂胆なのだろうか?
少なくとも、喫茶店の客と店員(といっても休業日だが)とで交わされるような会話ではない。
しかし、当てもなく街を彷徨っていても目当てのものが見つかるとも限らない。徒労に終わってしまうよりは、荷物持ちの一つや二つ引き受けて確実に時計を購入したほうがいい。
俺は彼女の申し出を受け入れた。
§
時計はデパートの中にあった専門店で買うことができた。
懐中時計を探しているのだから、それ相応の古びた専門店に行かなければ手に入らないというのはどうやら俺の先入観だったようだ。
しかも俺一人のセンスでは何を選べばいいか途方に暮れていただろうデザインの選別も、喫茶店の少女のおかげですんなりと決まった。
「彼女さんは、動物だったら何が好きですか?」
「うむ……。強いて言えば、猫、か。大学のキャンパスに居ついている猫を、よく眺めている――うむ? この時計、フタに猫がデザインされているのか……」
「お洒落ですよね。雰囲気も落ち着いていますし、アンティークっぽい感じが素敵です」
「値段は……それなりにするな」
「ちゃんとした時計は高いですよ? 動いても針がずれなくて、アウトドアで使うのなら防水や汚れに強いかも考えなきゃいけないですから」
「……これは、どうなのだ?」
「気に入ったんですか?」
「――ああ。彼女が手にした姿を思い浮かべた」
「似合ってました?」
「……………うむ」
「なら、ほぼ決まりですね! アウトドアでも使えるか店員さんに確認してみましょう!」
とんとん拍子にプレゼントは決まった。
店員への確認が終わり、在庫もあったのでその場で購入。
プレゼント用に包んでもらい、今からでもすぐに渡せるくらい、プレゼントの準備が整ったのだ。
しかし、その代償はあまりにも大きかった。
「……何も、正月の買出しを今しなくてもよかったのではないか……?」
軽快な足取りで先を歩きながら、なにやら長々とメールを打っている少女に俺は抗議の声を上げた。もしくは愚痴とも言う。
山ほどのビニール袋で塞がっている俺の両腕は、日頃鍛えているにもかかわらず悲鳴を上げそうだった。
片手に三袋ずつ、二の腕にも二袋ずつの計十袋。
重さも相当のことながら、指や二の腕にビニールが食い込んでかなり痛い。
「クリスマスを過ぎるとスーパーやデパートって意外と混むんですよ? それに、こういう男手がある時にしか買えないものもありますし」
「……それで米やら味噌やらの重いものばかり買っているのか」
「はいっ。いつもは兄さんに頼んでいるんですけどね」
「それを会って間もない男に頼むのか、君は……」
「プレゼントを選ぶのに協力してもらったお礼だと思えば安いものだと思いません?」
むしろ高く付いた気がする。
「それに、現役女子高生とデートできてるんですから。役得ですよ」
「全然得した気分になれないのはなぜだろうな」
嘆息交じりに俺は、喫茶店の少女が大切そうに抱えている包装された小箱に目をやった。
中身は先ほど購入した懐中時計。
大荷物を抱える俺が持つと箱が潰れてしまう恐れがあるために彼女に持ってもらっているのだ。
クリスマス兼誕生日のプレゼントに懐中時計を贈るというのは自分で考えても微妙な選択だったように思う。
しかし、瀬月はあれでいて懐古趣味だ。きっと気に入るはず……と思いたい。
しかし、万が一落胆されたら。万が一意にそぐわなかったら――。考えるだけで身もだえして苦しみだしてしまいそうだ。
その時になってからもっとまともなものを用意すればよかったと後悔しても遅い。
今のうちに、彼女の似合いそうなアクセサリーの一つや二つでも探して買っておいたほうがいいのだろうか……?
いいや、しかしそれは予算的に厳しい。
それとも服を選ぶか……? いいや、それこそセンスのない俺が選んでも失敗するのが目に見えている。
「不安ですか?」
少女の声に、俺は顔を上げた。見ると、少女は神妙な顔で俺を見ていた。
先ほどまで明るく、子どものようにはしゃいでいた少女の笑顔はそこにはなかった。
あるのは、俺の迷いや葛藤、すべてを見透かしたような、胸の奥底にまで刃を立てて切り開きすべてを白日の下に晒すような、そんな鋭く真っ直ぐな瞳だった。
「……ああ。本当に、これでよかったのだろうか」
ひょっとしたら、もっと相応しいものがあるかもしれない。
俺のような疎い人間が選ぶのではなく、流行に精通していそうな人に聞いてからプレゼントを考えたほうがよかったのかもしれない。考え出したら限がなかった。
「大切なのはあなたが決めたということ。選んだ意図とその誠意。それ以外のもの――例えば値段や、普遍的な贈り物であるか否かにこだわるほど、その人も子どもではないでしょう?」
しばしの間のあと、俺は頷いた。
そうだ。普段の彼女を見ていれば分かることだ。
例えプレゼントが懐中時計であることに面食らったとしても、瀬月は「これはまた、渋いものを選んだものだな」と含みのあるような笑顔で頬を綻ばせ、大切に時計を使ってくれるだろう。そんな情景がありありと浮かんだ。
「つまりは、そういうことですよっ」
少女は再び笑顔に戻り、無邪気に笑った。
「うじうじ迷ってる暇があったら行動あるのみですっ。動き出さなきゃ何も始まらないんですよ」
まさかこんな少女に諭されるとは……。一本どころか、二本か三本くらい取られた気分だ。
やはり俺は恋愛初心者だ。おそらくこの少女の足元にも及ばないだろう。
しかし、初心者には初心者なりの戦い方というものがある。
迷わないこと。そして、恐れないこと。
元々上手くいく可能性のほうが低いのだ。剣道と同じだ。初心者が有段者に勝てる可能性なんてほとんどない。しかし、迷わず、恐れず、初撃にすべてを掛けたのなら、勝ち目も少しは見えてくる。
ならば躊躇うな。何もせずに終わるより、少しでも相手に自分をぶつけるのだ。じっとしているうちに閉じてしまう道ならば、体当たりでもいいから活路を開くのだ。
「勉強になった。何事も、心に迷いを持った瞬間に負けは決まるのだろうな」
「言ってることがなんだか武士っぽいですけど。だいたい、そんな感じです」
苦笑交じりのはにかみ笑いを見せる少女。
彼女にはずいぶんと世話になった気がする。
今度お礼がてら店に客として会いに行くのも悪くない。紅茶とカステラの味も悪くはなかったのだし。
そんなことを考えながら柄にもなく頬を綻ばせていると、正面からこちらへ向かってくる見知った人影を見つけた。
瀬月だった。
長身に映えるロングコートと赤毛の髪、間違いない。
瀬月には連れがいた。幸い男ではなかった。瀬月と同じくらい長身の、茶髪の女性だった。その女性は俺たちの姿を見つけると、なぜか気さくに片手を挙げながら歩み寄ってきた。
「よぅ、椎子じゃないか。今日は兄貴と一緒じゃないのか?」
「はい。兄さんはちょっと出払ってていないんですよ」
「参ったな……。じゃあ古時計は休みか。まあ休みなら仕方ねぇな」
「紅茶とケーキくらいなら出しますよ。寄っていきます?」
「おっ、悪ぃな。馳走になるわ。……で、ソッチのとっぽいニーチャンは誰だ? 椎子のカレシか?」
「やだ、そう見えます?」
和気藹々と話しはじめる少女と茶髪の女性。二人は顔見知りらしい。更に、どうやら茶髪の女性は瀬月の知り合いでもあるようだ。
不思議な縁だなと感慨に耽りそうになった俺は、今まで一言も口を開いていない瀬月に「奇遇だな」と声を掛けようとして思わず息を呑んだ。
「……裕範。これは一体、どういうことだ……?」
瀬月は鬼気迫る顔で俺たちを――俺と少女を見ていた。
並んで歩いていた俺と少女。俺の両手いっぱいに提げてある買い物袋に、少女が大切そうに抱える包装されたプレゼント。
―――勘違いされた!?
思い至った時には既に手遅れだった。
「付き合いだしたというのにやけに他人行儀だと思えば……。そうか、そういうことか……」
俯く瀬月。心なしか語尾が震えているようだった。
「違―――」
「何が違うというのかね? ようするに、キミは私に興味がなかった。ただそれだけのことだろう」
「ま、待て瀬月っ、俺の話を―――」
「下手な慰めなど聞きたくないっ、私が惨めすぎるではないかっ」
取り付く島もないとは正にこのことだ。見る見るうちに、瀬月の肩が小刻みに震え始める。
「裕範は……っ、裕範は……っ!」
「待て」と呼び止める声を吐き出すよりも早く。
瀬月は、叫んだ。
「裕範はっ、ロリコンだったんだなぁっ!」
壮絶な勘違いをしたまま、瀬月は脱兎のごとく走り去ってしまった。
「……どーすればいいんだ、俺は……」
浮気だとか二股掛けていたとかの勘違いで怒るならともかく、俺がロリコンで自分に興味がないのだと勘違いしてショックを受けるあたりが瀬月らしいと言えば瀬月らしいが、今はそんなことに感心している場合ではない。
「こりゃまた面白いカンチガイをしたもんだよなぁ」
「笑いごとじゃあないだろう……」
はたしてどうしたものか……。追おうにも両手は荷物で塞がっているし、何より追いかけたところでどう説得すればいいか思いつかない。誤解を解ける自信も微塵もなかった。
「追ってください」
少女の声。それも、どこか怒気をはらんだ強い口調だ。
「いや、しかし……」
俺はそんな少女の声に気圧されながらどうにか弁解しようと口を開くが、そんな俺の肩に誰かの手がぽんと乗った。……瀬月の知り合いの女性のものだった。
「お前が例の裕範君だな? 瀬月の奴からよく話は聞くぞ。ここで追わなきゃ、お前、男じゃねぇな」
「荷物はコッチのお姉さんが運んでくれますから、裕範さんは瀬月さんを追いかけてあげてください」
茶髪の女性が一瞬げっと呻いたような気がしたが、この際だ、素直に従うとする。
しかし、追いついたところで俺の話を聞いてもらえるのだろうか……。
「裕範さん。まずは動いてみることです」
少女の声に、はっとする。
「……そうだったな」
先ほど悟ったばかりではないか。悩むな、動けと。
俺は手荷物を地べたに置くと、少女に礼を言って走り出そうとする。
「待ってください、忘れ物です」
少女に手渡されたのは、買ったばかりの瀬月へのプレゼントだった。
「頑張ってくださいねっ」
少女のエールにどこか引っかかりを感じながら、俺は駆け出した。
§
凍て付く夕暮れの風を裂くように、行く手を阻み妨害するかのように立ち塞がる人ごみを割くように俺は走る。
瀬月は全力で走っていなかったのか、すぐにその背中を捉えることができた。しかし俺の気配に気付くとすぐに路地を折れて姿をくらませてしまう。
それにしても、話が少しできすぎてやしないか?
少女は何故初対面のはずの俺に助力してくれた?
そして何故、二人並んで歩いているところに偶然瀬月と出くわした?
そして路地を折れていく瀬月の背中を追いながら走っている間に、いかがわしいネオンきらめくホテルの看板ばかりが目立つようになるのは何故なのだ!?
追いついたら俺は彼女に何と言うのだ?
勘違いした彼女に、追いかける俺。そんな俺の手には彼女へのプレゼント。これだけのシチュエーションが揃い踏みしているというのに、気の利いた言葉が一切浮かんでこない。この物語のラストは一体俺に何を求めているというのだっ!
ええい、もうなるようになれだ!
悩むな、考えるな。無心になれっ!
とりあえずは、そう。
月冴ゆる前に、瀬月の背に追いつくことだけを考えよう。
終わり
§
おまけ
「もしもしー? 瀬月さん、今どこにいます?」
「む、椎子か。今公衆トイレの中に身を潜ませているところだ」
「呆れたっ、まだ逃げてるんですか?」
「いやなに。走っているうちに、年甲斐もなく追いかけっこが楽しくなってしまってね。それに今日は空気が澄んでいて月が綺麗に見えるはずなんだ。できるのなら冴えた月の下で彼の言葉を聞きたいという我が侭もあるな」
「裕範さん、諦めて帰っちゃいません?」
「いいや。ああ見えて裕範は諦めが悪いからな。恥も外面もなく今も私の名前を叫びながら辺りを探しているよ。私まで恥ずかしくなってしまう」
「でも、よかったじゃないですか。裕範さん、瀬月さんにぞっこんですよ、あれ」
「ふふっ。私は信じていたぞ? だが裕範はああいう奴だ。ああしてけしかけられなければ、いつまで経っても進展が見られないというだけだ」
「すみません、突然メールでこんなお節介企画しちゃって」
「いやいや、ずいぶんと楽しめたよ。ただ、唯一残念だったのが、せっかくのプレゼントをこれから受け取らねばならなくなったということか。できれば誕生日まで楽しみに取っておきたかったのだがな」
「なら、もう一回プレゼントねだっちゃえばいいじゃないですか」
「――成る程。その手があったか」
「あ、それと瀬月さん。楓佳さんからの伝言です。荷物運びの分あとで何か奢りやがれ、だそうです」
「……あれは、椎子の荷物ではなかったか?」
「それとこれとは話が別なんだそうです。それと、うまくやれよ、だそうです。たくさんの人に応援されてますね、瀬月さん」
「……ああ。私には勿体無いほどに、な」
「あと、これは私の個人的な意見なんですけど……」
「何だ? 椎子。言ってみなさい」
「……ロリコンはひどくありません? 私、一応来年高三なんですけど」
「―――おおっと、裕範に見つかってしまったようだ。この辺で失礼する。今日はありがとう。椎子の友情に感謝するっ」
「あ、ちょっと瀬月さ」
どっとはらい
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
不器用で騒がしい、癖のある登場人物たちと二人の少女が紡ぐ、全20話の連作短編集です。
どこか世間からずれていて、不器用な二人。周囲の友に応援されて、わずかな進展を見せる二人の恋の行方が、少しでも皆様の心に届いていれば嬉しいです。
もし少しでも『続きが読みたい』『応援したい』と思っていただけましたら、フォローや評価(★)をいただけますと、大きな励みになります。
引き続き、彼女たちの物語をよろしくお願いいたします。
【初出】
「月冴ゆ前に」
熊谷雑文工房『KAZAK』 2006 冬号 掲載
(※Web掲載にあたり加筆修正)




