「奪われたもの」
「――大人しくしてろよ、坊主」
耳元で囁かれた声に、腕を押さえる力がさらに強まる。床に押し付けられた頬に、冷たい木の感触があった。
部屋の奥で、ゆずが数人の男に囲まれているのが、視界の端に映る。
「――何のつもりだ、離せ!」
「てめぇが余計なことしなけりゃ、こうはならなかったんだよ」
嘲るような声とともに、腕の関節が軋む。歯を食いしばって耐えるが、体の自由は完全に奪われていた。
「――やめろ! やめてくれ!」
喉が裂けそうなほど叫んでも、声は誰にも届かない。両腕を背後で捩じ上げられ、肩の関節が軋む音を、俺は他人事のように聞いていた。
「頼む、頼むから――俺でいい、俺に何でもしろ、だから」
言葉になっているのかも怪しい懇願だった。羽交い締めにする男の腕に、爪を立てる。皮膚が裂ける感触があった。構わなかった。
「――離せ、離せよ!」
もがけばもがくほど、関節が悲鳴を上げる。骨が軋む鈍い音。だが、痛みは今の俺にとって、何の意味も持たなかった。
視界の隅、部屋の奥で、何かが崩れる音がした。ゆずの声が、一瞬だけ聞こえて、すぐに何かに押し潰されるように消える。
「――ゆず!」
叫んだ声も、笑い声にかき消された。
「うるせえよ、坊主。てめぇのせいで、こうなってんだろうが」
耳元で囁かれた言葉の意味を、理解したくなかった。だが、体は正直だった。がむしゃらに暴れ続ける腕から、力が抜けていく。
聞こえてくる音だけで、十分すぎるほどだった。何が起きているのか、想像することしかできない自分が、一番惨めだった。
「――頼む、頼むから、もうやめてくれ……」
さっきまでの怒声が、いつの間にか掠れた懇願に変わっていた。誰に届くわけでもない言葉を、それでも吐き出さずにはいられなかった。
一瞬、部屋の奥で、ゆずの目が、こちらを見た気がした。
その目に何が浮かんでいたのか、俺には、最後まで分からなかった。
どれくらいの時間が経ったのか、正確には分からない。
気づけば、部屋を囲んでいた男たちの気配が、潮が引くように消えていた。押さえつけていた腕も、いつの間にか離れている。
「――そろそろ潮時だ。長居は無用だぞ」
誰かのそんな声を、遠くで聞いた気がした。玄関の方から、複数の足音と、車のエンジン音が遠ざかっていく。だが、立ち上がる力さえ、今の俺には残っていなかった。
這うようにして、ゆずのもとへ向かう。
床の隅で膝を抱え、小さく体を丸めている彼女の唇の端に、うっすらと血が滲んでいるのが見えた。声を殺すために、噛み締め続けていたのだろう。
「――ゆず」
名前を呼んでも、返事はなかった。ただ、虚ろな目が、どこでもない場所を見つめ続けていた。
その姿を前にして、俺は何をすればいいのか、何も分からなかった。ただ、震える手で、そっと彼女の肩に触れることしかできなかった。




