「祭りの夜に」
集落の小さな祭りに、二人で顔を出した夜のことだった。
「――ほら、あそこの屋台、りんご飴あるよ」
ゆずが子供のように目を輝かせながら、俺の袖を引いた。こんな無邪気な表情を見せるのは、久しぶりだった。
「食いたいのか」
「食べたい。買って」
素直にそうねだる彼女に、俺は苦笑しながら財布を取り出した。
祭り囃子の音、提灯の灯り、人々の笑い声。ここには、追われる身であることを忘れさせてくれる、確かな温かさがあった。
「――咲亞。私、思うんだけどさ」
りんご飴を頬張りながら、ゆずがふと真剣な顔になった。
「何だよ」
「このまま、ずっとここで暮らせたらいいのに。名前も、過去も、全部捨てて」
その言葉に、俺は少しの間、答えられなかった。
「――俺には、まだやり残したことがある」
「知ってる。分かってる」
ゆずは寂しそうに笑って、それ以上は何も言わなかった。ただ、繋いだ手を、少しだけ強く握り直した。
その夜、集落の外れにある公衆電話から、俺は久しぶりに亮の元へ連絡を入れた。予備として渡されていた、緊急連絡用の番号だった。
「――久しぶりだな」
電話越しの亮の声は、いつも通り、穏やかで安心感のあるものだった。
「そっちの様子はどうだ。何か動きは」
「今のところは、静かです」
「そうか。それなら、しばらくそっちで大人しくしてろ。動きがあれば、こっちから連絡する」
短い会話だったが、久しぶりに外の世界と繋がれたことに、少しだけ安堵した。
祭りの余韻を残す夜道を、俺はゆずの待つ家へと歩いて帰った。




