「網の中」
温泉町を発ったあと、俺たちはさらに北へ向かった。肩の痛みはまだ残っていたが、止まっている暇はなかった。
「――今度は、これまでと違う」
小さな漁村に身を潜めて数日後、宿の女将から聞かされた話に、俺は嫌な予感を覚えた。
「よそ者の男たちが、何組かに分かれて、あちこちの民宿を回ってるみたいだよ。何を探してるのか知らないけど、気をつけなさいね」
一つの拠点に絞らず、複数箇所を同時に固める。これまでの、力任せの追跡とは、明らかに毛色が違った。組織的に、包囲網を狭めてきている。
「――囲まれてる」
背中に、冷たい汗が流れた。今度は数の暴力だけではない。逃げ場そのものを、じわじわと塞がれている。
夜、案の定、宿の周囲に複数の人影が現れた。今度は正面からではなく、退路を断つように、四方から迫ってくる気配だった。
「――ゆず、こっちだ」
裏口から抜け出し、漁村特有の入り組んだ路地へ飛び込む。網を干すための小屋、船着き場、漁具の並ぶ倉庫――地元の人間しか知らないような入り組んだ地形を、闇雲に駆け抜けた。
「――囲まれてる、こっちも塞がれてる」
前方に、待ち構えていた男たちの姿が見えた。正面から行けば、確実に捕まる。
とっさに、干してあった漁網を思い切り引き倒した。もつれた網に足を取られ、男たちの動きが一瞬止まる。その隙を突いて、脇の狭い隙間を強引に通り抜けた。
背後で怒声が響くが、構わず走り続ける。
倉庫の陰から一人が飛び出してきたが、避けながら肘を叩き込み、そのまま押し倒す。もう一人には、積まれた木箱を蹴り倒して視界を塞ぎ、隙を作って距離を取った。
息が切れる。足が鉛のように重い。だが、止まれば終わりだった。
港の外れ、漁船の陰に身を潜めてしばらく経つと、ようやく周囲の気配が静かになった。
「――逃げ切れた、のか」
肩で息をしながら、ゆずが震える声で聞いた。
「……多分」
正直、確信はなかった。だが、これ以上動けば、体力が尽きる方が先だった。
その夜を境に、俺たちはさらに山奥の、名前もほとんど知られていない集落へと移った。髪を染め、身なりを変え、これまでとは全く違う偽名を名乗る。
三度の追跡を経て、ようやく、俺たちは完全に、追う者たちの目から姿を消すことに成功した。
――だが、この静寂が、いつまで続くのかは、誰にも分からなかった。




