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灰と花、届かない場所で  作者: LEON
第三章 対峙
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「衝動」

「――俺が今の若さの頃の話だ」


黒田は緩んだ表情のまま、グラスを傾けた。


「跡目争いが一番荒れてた時期でな。生き残るためには、多少強引な真似もしなきゃならなかった」


周りの幹部たちが、神妙な顔で相槌を打つ。俺は黙って酒を注ぎ続けた。手が震えないよう、それだけに意識を集中させていた。


「――当時、面倒な女がいてな」


その一言で、部屋の空気が、俺の中でだけ変わった。


「俺の跡目を潰そうとしてた連中の身内でな。俺に近づいてきたのも、最初は情報を探る為だったんだろうよ。だが、そのうち本気になっちまったみたいでな」


黒田は笑いながら、酒を呷った。


「面倒なことに、ガキができたとか騒ぎ出しやがった。跡目争いの最中に、そんなもん抱えてどうする気だってんだ」


――ガキ。


自分のことを言われているのだと、頭のどこかでは理解していた。だが、心がそれを受け止めることを、まだ拒んでいた。


「それで、どうしたんです?」


若い幹部の一人が、興味本位に聞いた。黒田は、事も無げに答えた。


「面倒事の芽は、早めに摘むに限る。うちの若い衆に、始末させた」


――始末。


その言葉が、頭の中で何度も反響した。母が、殺された。この男の、ただの「面倒事」として。


「――ガキの方はどうなったんです」


別の誰かが、軽い調子でそう聞いた。まるで世間話のような口調だった。


黒田は、一瞬考えるような顔をしたあと、興味なさそうに肩をすくめた。


「知らねえよ、そんなもん」


その一言に、周りがどっと笑った。


「女と一緒に始末されてんじゃねえの。それか、どっかで野良犬みたいに拾われて生きてるか。知ったこっちゃねえよ、そんな屑」


――屑。


その言葉が、耳の奥で何度も反響した。


自分の存在そのものを、生きているかどうかすら気にも留めていなかった男が、今、目の前で笑いながら酒を飲んでいる。


母の命も。俺という存在も。この男にとっては、酒の肴になる程度の、取るに足らない「昔話」でしかなかった。


視界が、赤く滲んだ気がした。耳鳴りがひどくて、周りの笑い声が、やけに遠くに聞こえる。


気づけば、手にしていた徳利を、床に叩きつけていた。


「――あ?」


黒田が、初めて不快そうにこちらを見た。だが、その顔に浮かんでいたのは、恐怖でも困惑でもなく、ただの「躾のなってない若造への苛立ち」でしかなかった。


その表情が、決定的だった。


自分でも、何をしているのか正確には分からなかった。気づけば、割れた徳利の破片を握りしめ、目の前の男に向かって突き進んでいた。


周りの怒声。誰かが羽交い締めにしようとする手を、力任せに振り払う。


「――ガキが、調子に乗ってんじゃ――」


最後まで、言わせなかった。


がむしゃらに、何度も。母の死を、俺の存在を、あんなふうに嗤った、その口を、二度と動かせないように。


どれくらいの時間が経ったのか、正確には分からない。


気づけば、部屋は静まり返っていた。誰も、動けずにいた。


自分の手が、真っ赤に染まっているのを見て、ようやく俺は、自分が何をしたのかを理解した。


障子越しの夕陽は、いつの間にか完全に落ちていた。真っ暗になった部屋の中で、俺はただ、荒い息を吐きながら立ち尽くしていた。


――取り返しのつかないことを、してしまった。


その自覚だけが、遅れてゆっくりと、体の芯まで染み込んでいった。

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