凡人の生存戦略
西暦二一九二年四月一二日
『晶兄ぃ、起きろー!今日は早起きの日だぞ!』
「……んぅ……あっ、そうだった!」
オカブの声に、僕は慌ててベッドから跳ね起きた。今日はいよいよ実習初日だ。
これまでは基礎棟へ集合し、そこから全員で移動していた。しかし、木曜と金曜の実習だけは違う。集合場所は、ステーション中央の無重力区画にある技術棟——そのため、普段より三十分ほど早起きしなければならない。
「危なかった……ありがとう、オカブ」
『どういたしまして!』
どこか得意げに一回転する。
僕は急いで身支度を整え、キッチンへ向かい、手早くチーズ入りホットサンドを電磁調理器へ放り込み、野菜ジュースをコップに注ぐ。
「いただきます」
一口かじると、熱々のチーズがとろりと伸びた。
(うん、美味しい)
少しだけ緊張していた気持ちが和らぐ。
食事を終えると、今度は実習用の作業服へ着替える。いつもの制服と違い、耐久性を重視した厚めの素材で、肩や膝には補強まで入っていた。
鏡の前に立つと、なんだか少しだけ“宇宙船乗り見習い”っぽく見える。
『晶兄ぃ、似合ってる!』
「ありがとう。まだまだ見習いだけどね」
僕は苦笑しながらバッグを肩に掛けた。
「じゃあ、行ってきます。アルテアに連絡よろしく」
『うん、分かった!いってらっしゃい!』
元気な声に見送られながら部屋を出る。
桜寮の廊下には、同じように早起きした学生たちの姿がちらほら見えた。皆どこか眠そうだが、それでも少し浮き足立っているようにも見える。僕も胸の奥に、小さな高揚感を覚えていた。
今日は、初めての実習の日なのだから。
***
「星野君、おはよう」
「おはようございます」
寮から最も近い連絡路へ到着すると、望月さんは一足先にポッドを待っていた。
「今日から実習ね。昨日は眠れた?」
「ええ、ぐっすり。望月さんは?」
「私には、もともと眠れない夜ってないから」
「さすがですね」
僕は苦笑する。
「技術棟、先週の見学コースには無かったじゃないですか。だから少し不安だったんです。望月さんがいてくれて、正直ちょっと心強いです」
「ふふっ、嬉しいこと言うわね。でも、それはお互い様よ」
ちょうどそのタイミングでポッドが到着した。僕たちは並んで乗り込み、静かに発進する。
窓の外を流れていく照明をぼんやり眺めているうちに、三分ほどでステーション中央部——ハブへと到着した。
まだ無重力環境には慣れない。床を蹴る力が少し強いだけで、体が思った以上に浮いてしまう。僕は端末に表示された地図を確認しながら、望月さんと一緒に技術棟へ向かった。
***
「おはよう、ニア、エヴァ」
「おはよう、晶」
「おはよう、望月」
いつもの四人で挨拶を交わす。
教室には、僕たちを含めて十二名ほどの学生が集まっていた。皆、二人から四人くらいの小グループで固まっていて、まだ少し緊張した空気が漂っている。
「今日も見学の時と同じ顔ぶれなんだね」
「ここの学生は同じ班だから、基本的にそうなる」
ニアが小さく答えると、エヴァが続けた。
「つまり、これから三ヶ月は実習でも顔を合わせるってことね」
そんな会話をしているうちに、教室前方の扉が開いた。入ってきたのは三十代前半くらいの男性教官だ。作業服姿で、胸元には技術科のエンブレムが付いている。
「おはようございます。今月のマニピュレータ実習を担当する神崎です」
教官は簡潔に自己紹介すると、そのまま話を続けた。
「今月は、船外作業用マニピュレータの基本操作を学んでもらいます。講義より実技中心なので、毎週必ずこの教室へ集合してください。また、マニピュレータは実習では単に“アーム”と呼ぶので、皆さんもそう呼んでください」
「「「はい」」」
「あと、もう一つ。明日のナノ・プリンタ実習も含め、これらは宇宙船運用の基礎技能です。操舵士でも、航宙士でも、最低限の理解は求められます。もちろん、興味を持ったなら技術科への進学も大歓迎です」
そこまで説明すると、神崎教官は教室後方の大型モニターを起動した。画面には、船外作業用と思われる巨大なマニピュレータ(=アーム)が映し出される。
無骨で、巨大で——そして少しだけ格好いい。
「では、実習を始めましょう。アームは四台ありますので、三人ずつに分かれてください」
教官の言葉に、僕たち四人は思わず顔を見合わせた。単純計算だと、一人余ることになるからだ。
「星野君は二人と一緒にやりなさい。私は向こうの二人組に混ぜてもらうから」
「はい。ありがとうございます」
望月さんは人見知りもしなければ、物怖じもしない性格らしい。向こうの班へ歩いて行ったかと思うと、十五秒後にはもう自然に会話へ溶け込んでいた。
「生まれて初めてではあるけど、見た目は簡単そうね」
「でも、宇宙では命がけ。油断は禁物」
ニアの言葉に、エヴァも真面目な表情で頷いた。その間にも、三人ずつの四チームが編成されていく。
僕たちは“1”と表示された操作卓の前に並んだ。半球状に配置された三枚のモニター、その中央には左右二本の操作レバー。座席そのものは簡素だが、どこか本物の宇宙船を思わせる雰囲気がある。
「はい。では、まず順番を決めてください。あと、一号機は私が直接担当します。他のチームには上級生の補助員が付きますので、指示に従ってください」
そう言いながら、神崎教官は僕たちの操作卓の後ろへ回り込んだ。どうやら、一号機は“当たり”らしい。
「じゃあ、よろしくね。最初は誰からかしら?」
「エヴァ・スターリングです。私からやります」
エヴァは迷いなく一歩前へ出る。
「はい。では、まず両手を添えてください」
神崎教官はエヴァの横へ立つと、左右の操作レバーを軽く指差した。
「右手側は回転方向です。先端の姿勢——つまり、ピッチやロールの制御を担当します」
「ピッチ……ロール……」
エヴァは復唱しながら、恐る恐る右側のレバーを傾けた。直後、モニター内の巨大なアーム先端が、ぬるりと滑らかに回転する。
「うわっ!動いた!」
「いい反応です。なかなか上手いですよ」
神崎教官は落ち着いた声で続ける。
「左手側は移動制御。前後、左右、上下への移動ですね」
「なるほど……クレーンゲームみたい!」
今度は左側のレバーを動かす。すると、先端が静かに前進した。
「面白いです!」
「AI側にも補助が入っていますから、多少操作を誤っても設備を壊したりはしません。まずは慣れてください」
そう言うと、神崎教官はモニター端を指差した。
「では、あそこにあるボール状ターゲットを掴んでみましょうか」
「はい、分かりました!」
エヴァは瞳を輝かせながら操作レバーを握り直す。飲み込みが早い。それに加えて、迷いがない。少し危なっかしくもあるが、こういう操作は彼女に向いているのかもしれなかった。
一方のニアは、エヴァとは正反対だった。
とにかく確認する。少しでも分からないことがあれば、すぐに教官へ質問する。そして、一つひとつ確かめるように操作を重ねていく。
その動きは正確無比だった。まるで、最初からアームの動きを理解しているかのように。
「なんとなく分かった。でも、簡単ではない」
ニアは静かにそう言った。
(双子でも、全然違うんだな)
エヴァは直感型。ニアは積み上げ型。双子でも方向性はここまで違うらしい。
「では、次ですね」
神崎教官に促され、今度は僕が席へ座る。背後から、ニアとエヴァの視線を感じた。僕は深呼吸してからレバーへ手を伸ばす。
——結果は、芳しくなかった。いや、全く出来なかったわけではない。ボールを掴むことはできたし、大きな失敗も無い。神崎教官から注意されることも無かった。
ただ、それだけだ。可もなく不可もなく。自分でも分かるくらい“普通”だった。
(なんというか……僕の操作には、光るものがないな)
別に、自分にアーム操作の才能があるなんて思っていたわけではない。それでも、目の前で見せつけられてしまった。
見た目こそ小学生くらいの少女だが、彼女たちは間違いなく不世出の天才だ。おそらく、学院始まって以来の。
しかし、この操作が初めてという条件は、僕も二人も同じはずだ。
ほんの少しだけ、胸の奥がざわついた。もちろん、落ち込んでいるわけではない。ニアやエヴァが特別なのは、今に始まったことではない。これが実技ではなく座学なら、その差は歴然だ。
問題は、僕がどうするかだ。才能だけで全てが決まるなら、きっと一生追いつけない。でも、だからといって“自分が同じ才能を持たないこと”は諦める理由にならない。だったら僕は、誰より準備して、誰より繰り返し練習するしかない。確認して、失敗して、確認する。そうやって、一歩ずつ積み重ねていくしかないのだ。
(そう、たとえ並ぶことはできなくても、せめて、同じ場所を歩けるくらいには)
◎登場人物
◯星野晶(15)(166cm):主人公。国際宇宙学院の新入生
◯ニア・スターリング(10)(136cm)(女性)(イギリス):国際宇宙学院の新入生。両親が高名な学者。人見知り。やや無口。両親が主人公の両親に救われたことに感謝しており、本人も主人公を大切に感じている
◯エヴァ・スターリング(10)(138cm)(女性)(イギリス):国際宇宙学院の新入生。エヴァの双子の妹。饒舌。勝ち気
◯望月凛(20)(165cm):国際宇宙学院の新入生。主人公とはアカデミー入試の下見で出会った。語学堪能な健啖家
◯神崎恒一(34)(182cm):技術科の講師。必要以上に喋らないが、面倒見は良い。コーヒー好き。左手首に古い工具傷。
◎用語
◯国際宇宙学院:宇宙船の乗組員を養成するための専門機関。グリニッジ標準時なので、日本との時差は九時間
◯新入生:初等生とも呼ばれる。入学してから半年間。学年色は白。最初の三ヶ月は特に“トレーニー期間”で、水曜の一限目にトレーナーから指導を受ける
◯技術棟:無重力区画にある実習棟の一つ。主に技術科の実習を行う。
◯桜寮:主人公が住む寮。住民の多くが日本人で、寮内では日本語が公用語となっている。居住棟三棟、管理棟一棟がロの字で立ち並び、中庭には桜の樹が植えてある。




