四人四色
西暦二一九二年四月一一日
『おはよう、晶兄ちゃん』
「オカブ、おはよ」
『今日も快晴——というか、ステーションの照明設定は正常だよ』
(そうじゃなかったら、大事件だな)
通学用ドローンの使用自体は禁止されていないが、実際に使っている学生はあまり多くない。そのため、オカブは今や目覚まし兼、休日の荷物持ちになっていた。
アルテアのように家事までこなしてくれるわけではない。もっとも、寮生活の目的の一つが『自分のことは自分でやる』ことなのだから、それでいいのだろう。
「じゃあ、行ってきます。アルテアにもよろしく」
『うん、分かった。いってらっしゃい』
一限目はチームビルディングだ。教室も担当も違うため、今日も一人でコミュータへ乗り込み、基礎棟へと向かう。
***
「リアム、おはよう」
「おはよう。先週も言った通り、この時間は基本的に英語だけだ」
「……はい」
まだ自動翻訳機は有効だが、リアムは“使わない前提”で進めるつもりらしい。不安しかない。
「なんだ、ずいぶん元気ないな」
リアムは苦笑しながら肩をすくめた。
「そんなに心配するな。単なる英会話なら、月曜と火曜の授業と変わらないだろ?」
「……それは、そうですけど」
「この時間は、もっと実践寄りだ。あくまでチームビルディングだからな」
リアムは少しだけ真面目な表情になる。
「船内で自動翻訳機が故障した——そういう状況を想定する。緊急時の連携とか、作業中の会話とか、そういうやつだ」
「分かりました」
(そういうことなら、やる気とか不安とか言ってる場合じゃないな)
「じゃあ、まずは簡単なのからいくぞ」
リアムは机の上に小さな工具箱を置いた。
「船内整備中を想定する。俺が英語で指示するから、その通りの工具を渡してくれ」
「えっ、いきなりですか?」
「実際の現場は、“いきなり”しかない——じゃあ、翻訳機を切ってくれ」
そう言って、リアムは少し笑った。
「Give me a Torx driver.(トルクスドライバーをくれ)」
「え、えっと……」
慌てて工具箱を覗き込む。似たような工具が並んでいて、一瞬だけ思考が止まった。僕は咄嗟に、工具箱の隅にある、ダイヤルゲージのついたがっしりとした工具を手に取った。
「……Torque driver? OK, here it is.(トルクドライバーですね? はい、どうぞ)」
「No, that is a Torque driver. I need a Torx driver.(いや、それはトルクドライバーだ。俺が必要なのはトルクスドライバーだ)」
リアムは苦笑しながら、僕が差し出した「締め付けの強さを測る工具」を押し戻した。
「……あ。I'm sorry.(……すみません)」
「Don't worry. It is a common mistake.(気にするな。よくある間違いだ)」
リアムは工具箱から、先端が星型になった細身の一本を自分で取り出し、僕に見えるように掲げた。
「But in the field, it matters. Torx is for the screw shape, Torque is for the power. Different tools.(だが、現場では重要だ。トルクスはネジの形状、トルクは力の強さだ。違う道具だぞ)」
「Yes, sir. I see.(はい。分かりました)」
リアムは間違いを責めることなく、淡々と続ける。
***
一時間後——
「Turn on your translator.(翻訳機を戻していいぞ)」
その言葉に、僕は思わず小さく息を吐きながら翻訳機の電源を入れた。
「疲れたか?」
「ええ。でも、思ったより気合い入りました」
そう答えると、リアムは少し嬉しそうに笑う。
「それなら上出来だ」
そして、ふと思い出したように話題を変えた。
「そういえば、次の体育は何やるんだ?」
「今日は初回なので、体力測定です。リアムは?」
「俺はずっと水球だな。地上じゃカヌーやってたんだが、ここじゃ難しいからな」
リアムは苦笑しながら肩をすくめた。
「すごいですね」
「そうか?まあ、水球やることがあったら教えてやるよ。その時はよろしくな」
「ええ、ぜひ」
***
「来たわね」
アリーナの前で、エヴァがジャージ姿のまま腕を組んでいた。
「更衣室の場所、よく分からなくて」
「……晶、まさか迷って女子更衣室に入ろうとしたんじゃないでしょうね?」
エヴァが疑わしそうに目を細める。
「違うよ。廊下のホログラム表示が重なってて、見えにくかっただけだって」
「大丈夫、晶。遅刻ではない」
ニアが静かにフォローを入れた。
今日は四人で体力測定を行う日だ。節目の時期らしく、会場となる多目的アリーナには、色とりどりのジャージ姿の学生たちが大勢集まっている。
測定種目は全部で八つ。握力、上体起こし、長座体前屈、反復横とび——ここで一度休憩を挟み、後半は五〇メートル走、立ち幅跳び、ハンドボール投げ、そして最後にシャトルランだ。
想像しただけで、なんだか疲れてくる。
軽く屈伸しながら周囲を見回すと、どうやら四人一組で各測定ブースを回っていくらしい。最初の握力測定は、集合場所のすぐ近くだ。
「まかせて!私から行くわ!」
エヴァが勢いよく測定器を握り込み、ニアが読み上げる。
「十五キロ」
「ちょっと待って!いまの失敗!もう一回!」
どうやら納得いかなかったらしく、エヴァは再挑戦を始めた。一方、ニアは静かに測定器を握る。
「十七キロ」
本人は特に気にした様子もない。続いて僕が測ると、表示された数値は三十五キロだった。
(次は望月さんか……成人女性って、どれくらいなんだろう)
「ふんっ!」
望月さんが勢いよく握り込む。
次の瞬間、表示された数値は僕の記録をあっさり追い越していた。
「三十八キロですね……これ、すごくないですか?」
「そうかな?」
本人は不思議そうに首を傾げている。
(いや、十分すごいと思うけど……)
***
「晶、意外と体硬いのね」
「ストレッチ不足。怪我の原因になる」
「そうだね……」
長座体前屈を終え、前半最後の種目——反復横跳びの測定場所へ移動する。
「じゃあ、この種目は晶からね」
「了解」
いつの間にか、測定順までエヴァが仕切るようになっていた。反復横跳びは、一メートル間隔に引かれた三本の線を、二十秒間で何回またげるかを測定する種目だ。
「疲れたー……」
測定を終えた僕は、その場に軽く座り込む。
「えっと、五十五回……年齢と性別を考えると、標準くらいかしら」
「そうなんだ。ありがとう」
望月さんが端末を見ながら結果を読み上げてくれた。エヴァは思ったより記録が伸びなかったらしく、悔しそうに唇を尖らせている。
そして最後はニアだ。僕は立ち上がり、測定器の前へ移動した。
「スタート」
測定が始まる。
「えっ」
「はぁ、はぁ……どうだった?」
息を整えながらニアが尋ねる。
「……五十四回」
「悔しい。晶に負けた」
どうやら、それが不満らしい。
僕は、年齢と性別を考えれば十分すぎる記録だと説明したのだが、ニアは最後まで納得していなかった。
***
スポーツドリンクを飲みながら休憩していると、エヴァが口を開いた。
「さすがに疲れたわね。次は五十メートル走だったかしら?」
「えっと……そうね」
望月さんが端末を確認しながら答えると、エヴァは不敵な笑みを浮かべた。
「ここまでは、あんまり良いところ見せられなかったけど、次は自信あるわ。私は最後でいいから、まずは望月からね」
「分かった」
僕は「別に良いところを見せるための測定じゃないんだけどな」という言葉を、スポーツドリンクと一緒に飲み込んだ。
測定が始まる。
僕と望月さんは平均的な記録。ニアは年齢を考えればかなり速い部類だった。そして最後、エヴァがスタートラインへ立ち、スタートのブザーが鳴る。
「七秒五!すご……、僕より速い……」
「はぁ、はぁ……」
ゴールしたエヴァは呼吸を整えながら、少しだけ悔しそうに眉を寄せた。
「一発勝負だから仕方ないけど……七秒の壁は厚いわね……」
どうやら、不敵な態度は実力に裏付けされた“本物”だったらしい。
***
「調子が上がってきたわ」
立ち幅跳びでも満足のいく結果が出たらしく、エヴァはそう言いながら、ベテラン選手のように右肩をグルグルと回す。
「次は何?」
「ちょっと待って。えっと、ハンドボール投げね」
ニアの質問に、端末を見ながら望月さんが答える。
「じゃあ、僕からいこうか?」
誰も投擲用のサークルに入ろうとしないので、僕が空気を読んで先頭を切ることにする。ボールを持ってみると意外に大きく、思ったより持ちにくい。
それでも、なんとか助走をつけて右腕を振る。
「二十三メートル、まぁまぁじゃない?」
望月さんが次に投げる準備をしながら、計測された数字を読み上げる。
「ありがとうございます」
この後、望月さんは僕を上回る二十四メートル、ニアは年齢としては平均的な十二メートルという、無難な結果を残した。
「さて、私の番ね……でも、思ったよりボールって大きいのね」
年齢より小柄なエヴァやニアにとっては、とても片手で持ち上げられるものではない。大切なものを運ぶように、ボールを両手で抱え直す。
「いくわよー……えいっ!」
ボールは小さな弧を描いて、すぐ目の前に落下した。
「八メートル」
ニアが興味なさそうな声で数字を読み上げる。
「ニア!今のは失敗だから。手が滑っただけだから。誰でも失敗ってあるじゃない?もう一回!ね?」
「結果は結果。じゃあ、次の測定場所へ向かいましょう」
エヴァは必死に抗議している。僕と望月さんはその様子に大笑いしてしまったが、ニアは無表情を貫いたまま、スタスタと足を進めた。
***
「ようやく最後ね」
「ちょっと疲れてきたかも……」
「最後に一番きつい種目」
さすがのエヴァにも疲労の色が見えている。ニアは相変わらず表情が薄いが、それでも疲れていないわけはないだろう。
「でも、全員同時開始なのは効率的ね」
「僕、シャトルランってあんまりやったことないな」
二〇メートル間隔を、電子音に合わせて往復する。音に間に合わなくなった時点で終了——単純だが、後半になるほど容赦なく体力を削っていく種目だ。
最初に脱落したのは望月さんだった。
「む、無理……!」
その後、エヴァ、ニアと続く。
三人とも六十回前後。年齢や性別を考えれば十分高い記録らしい。
だが——
「ちょっと、晶、どこまで行くのよ……!」
気づけば、僕だけが走り続けていた。百回を超えたあたりで、周囲の測定者も全員終了となる。
百二十回を超える頃には、周囲がざわつき始めていた。
『……まだ走ってる奴いるぞ』
『嘘だろ』
『すげーな』
息は苦しい。足も重い。それでも、不思議と“まだ行ける”感覚だけはあった。
——そして。
『百二十八回』
端末に記録が表示された瞬間、僕はその場へ倒れ込んだ。
「はぁ……はぁ……」
天井がぐるぐる回る。エヴァは僕の横にしゃがみこみ、スポーツドリンクを渡してくれる。
「ありがとう」
「晶って……たまに意味わかんないわね……」
感心とも呆れともつかないような口調で、そう呟いた。
◎登場人物
◯星野晶(15)(166cm):主人公。国際宇宙学院の新入生
◯望月凛(20)(165cm):国際宇宙学院の新入生。主人公とはアカデミー入試の下見で出会った。語学堪能な健啖家
◯ニア・スターリング(10)(136cm)(女性)(イギリス):国際宇宙学院の新入生。両親が高名な学者。人見知り。やや無口。両親が主人公の両親に救われたことに感謝しており、本人も主人公を大切に感じている
◯エヴァ・スターリング(10)(138cm)(女性)(イギリス):国際宇宙学院の新入生。ニアの双子の妹。饒舌。勝ち気
◯リアム・ハートリー(男性)(24)(179cm)(オーストラリア):国際宇宙学院の中等生。主人公とは軌道エレベータの搭乗口で出会った。感情表現は豊かだが、感情に流されない。主人公のトレーナー。
◎用語
◯国際宇宙学院:宇宙船の乗組員を養成するための専門機関。グリニッジ標準時なので、日本との時差は九時間
◯新入生:初等生とも呼ばれる。入学してから半年間。学年色は白。最初の三ヶ月は特に“トレーニー期間”で、水曜の一限目にトレーナーから指導を受ける
◯基礎棟:四階建て。新入生が最初の半年間を過ごす校舎だが、三百人規模の大教室や十人規模の小教室も多数あるので、会議目的で訪れる上級生も多い
◯コミュータ:小型の無人電気自動車。一人乗りから四人乗りまである。
◯チームビルディング:水曜日の一限目。半年前に入学した学生が講師となり、チームワークを構築する授業。
◯Torxドライバー:星形の溝を持つ「トルクスネジ」を回すための専用ドライバー
◯トルクドライバー:決められたトルクでネジを締めるために使用されるドライバー




