研鑽初日
西暦二一九二年四月九日
月曜日——いよいよ授業が始まる。
午前八時を少し回ったころ、僕は一人乗りのコミュータに揺られていた。今日は望月さんとは別行動だ。月曜と火曜の一限は語学で、習得レベルごとに組が分かれている。……それだけが理由ではないが、僕の方からそう提案した。
語学履修者は、上級生や聴講生も含めて千人近い。そのうち英語履修者が約六割。全員は二十人ずつに分けられ、三十組に編成されている。クラスにはAからFまでのレベルが割り当てられていた。
(僕は一番下のF組。望月さんは……B組)
F組は中学卒業程度。語彙数で言えば二千語ほど。対してB組は英検一級相当、語彙は一万五千語とも言われている。
——比べるまでもない。
別々に登校することを選んだのは、その差を意識してしまうからだ。
英語だけではない。僕は中学卒業でここに入学できた。それは確かに誇れることだと思う。理数系も、同年代と比べれば得意な方だ。
でも——それだけだ。
この学院の中では、僕の成績はせいぜい中の下。英会話に至っては、はっきりと劣っている。望月さんは違う。入試成績も上位と聞くし、英語も流暢だ。僕とは見えている景色が全く違う。双子に至っては言うまでもない。あの年齢で首席争いという噂まであるくらいだ。
四人の中で、僕だけが特別でもなんでもない。
(……いや)
首を小さく振る。
(「今は」だ)
自惚れることはないが、自虐する必要もない。やるべきことははっきりしている。
(努力するしかない。それなら……できる)
コミュータを降り、語学棟の前に立つ。大きく一つ、息を吸った。ここから先は、言い訳は通じない。
それでも——
彼女たちと同じ場所に立つために、僕はここに来たのだから。
***
連絡用端末に導かれ、F1と表示された教室に入る。日本で言えば小学校の教室より一回り狭いくらいで、基礎棟の大教室とは比べものにならないほどコンパクトだ。
軽く見渡すが、知り合いの顔はない。アジア系やアフリカ系の学生が多い印象だが、教室内では自動翻訳機の使用が制限されているため、会話は基本的に英語になる。そのせいか、母語が通じる相手同士で固まっているグループも目立った。
始業五分前、予鈴が鳴る。
「あぶねー、間に合った」
聞き慣れた日本語が、入口から飛び込んできた。
「隼夜!」
思わず手を振る。桜寮の歓迎会で隣に座っていた、山崎隼夜だ。
「よぉ、晶。おまえもFか?天才のくせに意外だな」
「日本の中学卒なら普通ですよ。隼夜こそ、高校卒業してるのにFってどうなんですか?」
軽口を返すと、彼は肩をすくめる。
「それを言うなって。俺は学院進学専門で宇宙一本だからな。入試にない外国語なんて、義務教育止まりよ」
自慢でもない内容を自慢げに言いながら、僕の左隣に腰を下ろす。そのタイミングで、教官が入室した。
(AIじゃなくて、人が教えるんだ)
英語での簡単な自己紹介のあと、授業は基本的に英語のみ、自動翻訳機は禁止と説明される。内容は、教科書の文章をもとに意見を述べたり、討論したりする形式らしい。雑談も許されるが、もちろん英語のみだ。
(……さっそくハードルが高いな)
望月さんの件で隼夜をからかってみたいが、今の自分では英語でそれをやる自信はない。
それでも——
同じクラスに知り合いがいるというだけで、少しだけ気が楽になる。
(まあ、本人には言わないけど。でも、三ヶ月なんとかやれそうだ)
そう思いながら、僕は机の上に端末を置いた。
***
九十分の授業を終えると、隼夜は肩が凝ったように両腕を回していた。語学棟を出て、二人で基礎棟へ向かう。歩きながら、自然と次の授業の話題になる。
「おつかれ。次、隼夜は何取ってる?」
月曜二限は社会科学の選択科目で、政治学、地政学などの九科目から一つを選択することになっている。僕たちはニアの希望で惑星地理学に決めていた。
「俺は地政学。よく分かんなかったから、トレーナーに相談して決めたんだ」
そう言って、隼夜は肩をすくめる。
(そういえば、リアムに相談してなかったな)
僕たち四人は、選択科目に関してはほとんど双子の意見に従っていた気がする。
「晶は?」
「惑星地理学。ニア——双子の姉の希望で」
「へぇ、あの天才双子か。選択まで合わせるって、仲いいんだな。うらやましいぜ。ところで……」
隼夜が笑顔から少しだけ真剣な表情に変わる。
「いや、望月さんって、同じじゃないんだな」
「まさか。望月さんって、Bだぞ」
隼夜の顔が翳ったのが分かる。
「うわー、マジかぁ。俺らにとったら天の上じゃん」
雑談を交わしながら、基礎棟の入口へと到着する。選択科目が違う以上、ここでいったん別れることになる。
「じゃあ、ここで。明日からもよろしくな」
「うん、また」
隼夜と別れ、僕は地理学の教室を確認した。
***
九十分後、惑星地理学の講義が終わると、いつもの四人で食堂へ向かった。
今日は端末で昼食を予約してある。メニューに悩む必要も、料理を待つ時間も、席を探す手間もない。指定された席に座り、ロボットが料理を運んでくるのを待つだけだ。
僕はいつものように望月さんの右隣に腰を下ろし、「はあ」と大きく息をついた。
「まだ九十分に慣れない?」
「そうですね。まだ始まったばかりですし」
いつもなら、このタイミングでニアやエヴァから「だらしない」とか「早く慣れなさい」とか一言飛んできそうなものだ。だが今日は違う。二人とも妙に静かで、どこか緊張しているようにも見える。
その理由は、料理——焼き魚和定食が運ばれてきた瞬間に分かった。
「……お箸?」
「そう。今日、生まれて初めて使う」
全員の料理が揃い、「いただきます」と手を合わせる。
何気なく様子を見ていると、エヴァは意外にも器用に箸を操っている。一方のニアは、慎重に動かしては落とし、を繰り返していた。
「おかしい。支点と力点の位置は完璧なはずなのに、摩擦係数が足りない」
「ちょっとニア、理論的に考えるより、慣れた方が早いわよ」
エヴァがニアの右手を取って指導している。
(なんだか、印象と逆だな)
その光景が少し可笑しくて、思わず口元が緩んだ。
***
食後、四人で緑茶を飲みながら話していると、自然と講義の話題になる。
エヴァによれば、日本語の授業は没入型ではなく、講義自体は英語で進められるらしい。受講者は八人ほどで進度もばらばらだが、分かりやすくて面白いという。
望月さんと僕も、それぞれの英語の授業について簡単に話す。話題はやがて、惑星地理学、そしてこれから始まる様々な科目へと広がっていった。
新しいことばかりで、まだ何一つ身に付いていない。
それでも——この場所で学んでいくのだという実感だけは、少しずつ形になり始めていた。
◎登場人物
◯星野晶(15)(166cm):主人公。国際宇宙学院の新入生
◯望月凛(20)(165cm):国際宇宙学院の新入生。主人公とはアカデミー入試の下見で出会った。語学堪能な健啖家
◯ニア・スターリング(10)(136cm)(女性)(イギリス):国際宇宙学院の新入生。両親が高名な学者。人見知り。やや無口。両親が主人公の両親に救われたことに感謝しており、本人も主人公を大切に感じている
◯エヴァ・スターリング(10)(138cm)(女性)(イギリス):国際宇宙学院の新入生。ニアの双子の妹。饒舌。勝ち気
◯山崎隼夜(21)(172cm):歓迎会で主人公の隣に座る。望月凛のことが気になっている様子。男性に対しては気さくだが女性に対しては少し奥手。
◎用語
◯国際宇宙学院:宇宙船の乗組員を養成するための専門機関。グリニッジ標準時なので、日本との時差は九時間
◯新入生:初等生とも呼ばれる。入学してから半年間。学年色は白。最初の三ヶ月は特に“トレーニー期間”で、水曜の一限目にトレーナーから指導を受ける
◯基礎棟:四階建て。新入生が最初の半年間を過ごす校舎だが、三百人規模の大教室や十人規模の小教室も多数あるので、会議目的で訪れる上級生も多い
◯語学棟:四階建て。新入生から上級生まで、語学を学ぶ校舎。多数の小教室が中心。個別学習ブースも多数揃えられている。
◯天才:十八歳未満(高校卒業前)で学院に合格した学生のこと。




