無重力の庭
西暦二一九二年四月四~五日
「実はね、今度の土曜日に新しい寮生の歓迎会をやろうと思ってるの。懇親会も兼ねてね。もちろん自由参加なんだけど……二人はどうかな?」
寮の管理を補助されている毛利先輩が、にこやかにそう告げた。
「えっと、質問いいですか?」
僕が手を挙げると、先輩は少し肩をすくめて笑う。
「急に言われても戸惑うわよね。もちろん、なんでも聞いて」
「僕、日本で言えば高校生なんですけど……参加してもいいんでしょうか?」
「もちろんよ」
毛利先輩は即答した。
「ただ、後半は飲酒が解禁になるから、星野君は前半だけになっちゃうけどね」
「分かりました」
頷くと、先輩はそのまま望月さんへ視線を移す。
「望月さんは?何かある?」
「いえ、私はこういう場、大好きなので参加で」
にっこりと答えてから、少しだけ悪戯っぽく口元を歪めた。
「確認なんですけど、お酒が飲める年齢なら、後半も参加できるってことですよね?」
「そうよ」
毛利先輩が頷く。その瞬間——望月さんが勝ち誇ったようにこちらを見た。
「ふふっ、残念だったわね星野君。飲酒の楽しみを満喫できないお子様は、おやすみの時間ね」
「はぁ」
反応に困っていると、毛利先輩がホログラムに映る名簿を確認してから、ふと顔を上げた。
「あれ?名簿によると、望月さんって二十歳よね?」
「はい、合ってます。酒とタバコは二十歳から……ですからね。タバコは吸いませんけど」
「……なるほど」
先輩は一拍置いて、少しだけ困ったように笑った。
「望月さん、ここの規則、ちゃんと読んでないのね」
「え?」
「ここは日本じゃないの。学院では、飲酒は二十一歳からよ」
——一瞬、時間が止まった。
「……は?」
望月さんの顔から、ゆっくりと表情が消えていく。
「え、ちょっと待ってください……私、ちょうど二十歳なんですけど……」
誰にともなく確認するような声。毛利先輩は、優しく微笑んだまま頷く。
「ええ。だから、二十一歳の誕生日を過ぎてから……ね」
沈黙。そして——
「……あと……三ヶ月」
がっくりと肩を落とした望月さんの声は重く沈んでいる。その横で、僕は「前半だけ参加」で回答を済ませた。彼女はしばらく何か言いたげにしていたが、やがて深いため息を一つつき——そのまま無言で自分の部屋へと帰っていった。
***
入学四日目の木曜日。昨日と同じように、基礎棟の大教室へと向かう。
通常であれば木曜と金曜は実習に充てられているが、今週はまだ導入説明のみだ。そのため、集合所も引き続き基礎棟となっている。
もっとも、このあと全員で実習棟へ移動することになる。ただし、三百人近い学生が一斉に動くことはできない。そのため、全体は六つの組に分けられ、組ごとに登校時刻や移動のタイミングがずらされていた。
さらに、導入説明を円滑に進めるため、各組は四つの班に分割されている。一つの班はおよそ十人ちょっと——中学校の一クラスをさらに小さくしたような規模だ。
幸い、いつもの四人は同じ班だった。今も揃って教室にいる。
「来週からは、基礎棟じゃなくなるってことよね?」
「そうね。ただし座学はここよ。間違えないようにしなさいよ、望月」
エヴァの言い方は、まるで年上の姉のようだった。実年齢を思えば不思議な感覚だが、妙にしっくりくる。当の望月さんも、昨日の“事件”から立ち直ったのか、すっかりいつもの調子に戻っていた。
『全員揃いました。順次移動を開始してください』
校内放送が静かに響く。
「じゃあ、行くわよ」
エヴァが立ち上がり、自然な流れで僕たちを促す。どうやら、この四人のリーダーは彼女で決まりらしい。
最寄りの連絡路——通称「スポーク」へ向かい、移動用のポッドに乗り込む。実習棟までは、ポッドで五分ほど。思っていたよりも、ずっと近い。
***
ポッドが音もなく実習棟へ到着すると、身体がふわりと浮き上がる。ハブと呼ばれるステーション中央部に位置する施設だけあって、そこには遠心力が働かず、完全な無重力が広がっている。
ハッチを抜けると、すでに一人の男性が待っていた。僕たちの実習見学を案内してくれる人物だろう。一八〇センチを優に超える長身に、理知的で穏やかな瞳、飛行科の証である“紫”のラインが入った制服。落ち着いた佇まいから、ただ者ではないことが伝わってくる。
「飛行科の教官をしている、エディ・ウッドマンです。今日は私が皆さんの案内を担当します。短い時間ですが、どうぞよろしく」
そう言って、教官は一人ずつ丁寧に握手を交わしていく。やがて順番が回ってきた。
僕が手を差し出した、その瞬間——彼の瞳が、わずかに揺れた。ほんの一瞬、光を帯びたように見える。
「……また後で話そう」
小さく、しかしはっきりとそう告げると、握手を終えた彼は、僕の肩を軽く叩いた。
***
まずは、ウッドマン教官の案内で機関科実習棟へ向かう。
「さあ着いた。ここが機関科の実習棟だ」
教官が扉に手をかざすと、静かにロックが解除される。中は二十人ほどが収まる小教室で、窓の代わりに壁一面のモニターが並び、各席には制御パネルとホログラムが備えられていた。
「思ったより狭いな」
「実習は少人数が基本だからね」
短いやり取りのあと、エヴァが手を挙げる。
「機関室には入れないんですか?」
「今日は難しい。他の実習で使用中だし、与圧もされていない。ただ……」
教官がパネルを操作すると、巨大モニターに実習風景が映し出された。中央に鎮座する核融合炉、その周囲を走る配管と通路。先輩たちが慌ただしく行き交っている。
「……すごい」
望月さんが思わず息を漏らし、すぐに両手を上げた。
「私も早く実習したい!」
「残念。機関科は一ヶ月後だね」
教官が笑う。見学は四十分ほどで終わり、短い休憩を挟んで飛行科実習棟へ移動した。こちらは打って変わって、座学に近い静かな教室だった。
「あんまり普通の教室と変わらないね」
エヴァの率直な感想に、教官は頷く。
「飛行科は船外活動が中心だ。ここは主に事前説明に使う場所なんだ」
ニアが続けて質問する。
「具体的な実習内容は?」
「主な任務は、外部補修だ。限られた時間で正確に状況を把握し、迅速に移動して作業を終える——それが飛行士の役割になる」
その後もいくつかの質疑が続き、宇宙服に触れたり、実習映像を見たりするうちに、見学の時間はあっという間に過ぎていった。
「今日は、ありがとうございました」
代表して望月さんが礼を述べ、再び一人ずつ握手を交わす。
「実習で会えるのを楽しみにしているよ」
穏やかな声でそう言ったあと——僕の番になったときだけ、教官の表情がわずかに変わった。
「……いずれ、話そう」
低く告げられたその言葉に、僕は思わず息をのむ。
「朝比奈機関長に、よろしく」
その一言で、記憶が繋がった。
(……信濃の乗組員だ)
「思い出しました。船外作業班のウッドマン副隊長ですね」
「その通りだ。覚えていてくれたか」
笑顔になった教官と短い会話を交わし、僕たちは別れた。帰り道、三人は相変わらず元気だ。
「最後、ハグするのかと思ったのに」
「そんなこと一度だけですって!」
思わず反論すると、エヴァが興味津々に身を乗り出す。
「なにそれ?詳しく」
「妙齢の女性にね。あなたたちも星野君と会った時はハグするんじゃないかと思ったわ」
「ちょっと!そんなことしないわよ!」
エヴァが顔を赤くして言い返すと、ニアが静かに呟いた。
「……選択肢としては有効だった」
「ちょっとニア!」
そのやり取りに、思わず笑みがこぼれる。無重力の通路を進みながら、僕は今日の出来事を思い返していた。実習はまだ始まっていない。けれど——
確実に、何かが動き始めている。そんな予感だけは、はっきりとあった。
◎登場人物
◯星野晶(15)(166cm):主人公。国際宇宙学院の新入生
◯望月凛(20)(165cm):国際宇宙学院の新入生。主人公とはアカデミー入試の下見で出会った。語学堪能な健啖家
◯ニア・スターリング(10)(136cm)(女性)(イギリス):国際宇宙学院の新入生。両親が高名な学者。人見知り。やや無口。両親が主人公の両親に救われたことに感謝しており、本人も主人公を大切に感じている
◯エヴァ・スターリング(10)(138cm)(女性)(イギリス):国際宇宙学院の新入生。ニアの双子の妹。饒舌。勝ち気
◯毛利渚(23)(162cm):国際宇宙学院の三年生。桜寮の寮生代表の一人で実は副代表。明るくて距離が近いけど、ちゃんと見てるお姉さん
◯エディ・ウッドマン(39)(男性)(182cm)(イギリス):国際宇宙学院の飛行科教官。物理学の学位を持つ。信濃の次席船外作業員で船外作業中に左足を喪失する重傷を負っている。
◎用語
◯国際宇宙学院:宇宙船の乗組員を養成するための専門機関。グリニッジ標準時なので、日本との時差は九時間
◯桜寮:主人公が住む寮。住民の多くが日本人で、寮内では日本語が公用語となっている。居住棟三棟、管理棟一棟がロの字で立ち並び、中庭には桜の樹が植えてある。
◯新入生:初等生とも呼ばれる。入学してから半年間。学年色は白。最初の三ヶ月は特に“トレーニー期間”で、水曜の一限目にトレーナーから指導を受ける
◯基礎棟:四階建て。新入生が最初の半年間を過ごす校舎だが、三百人規模の大教室や十人規模の小教室も多数あるので、会議目的で訪れる上級生も多い
◯連絡路:外壁にある一Gの居住空間とハブをつなぐ六本の通路。
◯機関科実習棟:ハブと呼ばれる国際宇宙学院の軸の部分にある機関科の実習校舎。
◯飛行科実習棟:機関科実習棟の隣にある飛行科の実習校舎。
◯組:六つの専門科目(技術科、航宙科、操舵科、管理科・主計科、機関科、飛行科)を順番に学習するため、新入生を等分した単位。
◯班:授業を効率的に進めるために、一つの組を分割するときの単位。組とは異なり、科目や授業によって動的に変更される。




