心身を強健にし
西暦二一九二年四月四日
「ふー、今日は少し余裕あったかな」
入学三日目。二限目始まりなのは昨日と同じだが、今日は基礎棟の大教室に集合となっている。入学日以来の広い教室に足を踏み入れると、少しだけ懐かしいような感覚を覚えた。
最初の課題は、体育の授業についての履修計画を考えて提出することらしい。実際に体を動かすのは来週からだという。
「おはよう、ニア、エヴァ」
「おはよう」
「おはよう。今日は早いのね」
か細い声で必要最小限しか話さないニアと、張りのある声でどこかつっかかるように返してくるエヴァ。いかにも彼女たちらしい挨拶だ。
「望月さんは、まだみたいだね」
「望月は、見かけていない」
ニアが返す。どうやら彼女たちの中では、望月さんの呼び名は「モチ」で定着したらしい。
「ごめん。ギリギリになっちゃった」
少し息を切らしながら、本人が駆け込んでくる。
「遅いわよ、望月」
「望月さん、お腹が空いて食堂に行ったんじゃないかと心配していました」
軽くからかうつもりでそう言った瞬間——
『ポカッ!』
「……痛っ」
「淑女に対して、お腹の心配するなんて失礼よ」
望月さんは悪びれる様子もなく、そう言って口元を綻ばせた。
そんな僕たちのやり取りを、エヴァが面白くなさそうに頬を膨らませて眺めていたが、やがて何かを思いついたように手を叩いた。
「さて、揃ったところで、早速なんだけど、体育も四人で一緒にやらない?」
エヴァの提案に、僕は少しだけ戸惑う。
「僕だけ男だけど……いいのかな?」
「いいんじゃない?私だって年齢とか離れてるわけだし」
望月さんがあっさりと返し、ニアも静かにうなずいた。
「問題ない」
あっさりと決まってしまったことに、少し拍子抜けする。
「じゃあさ、トレーニングとリフレッシュ、交互にやるのはどう?」
僕がそう提案すると、望月さんが楽しそうに頷いた。
「いいね。それなら、とりあえず、やりたい種目をそれぞれ考えて発表しましょうよ。全部でいくつ決めればいいんだっけ?」
「……十」
僕がカレンダーを見ながら水曜日の数を数え始めると、ニアが何も見ずに答える。
「オッケー。じゃあ五分で決めましょう。一人二つずつね」
エヴァが自分の端末を操作すると、各自の端末に種目一覧が表示される。ホログラムには、競技名のほかに必要人数や消費カロリー、運動強度まで細かく並んでいた。
(……多すぎるな)
心の中に“選択のパラドックス”という言葉が浮かび、思わず眉をひそめる。どれも魅力的だが、逆に決めきれない。
***
やがて、五分が過ぎる。
「決まった?じゃあ、誰からいく?」
エヴァの言葉に、ニアがすっと手を挙げた。
「じゃあニア。何にするの?」
「水泳」
短い答えだった。
「……本気?もう一つは?」
エヴァが眉をひそめる。
「水泳を二回」
淡々と答えるニアに、エヴァが苦情を訴える。
「晶の前で水着になるのよ?」
「考えすぎ」
ニアは即答した。
「問題ない。水泳は低重力下での全身運動シミュレーションに最適。それに、晶の視線で私の浮力が変わるわけじゃない」
「……まあ、いいわ」
エヴァは小さく肩をすくめる。
「私はスキーとスノーボード。楽しそうだし」
「楽しさに寄りすぎ」
すぐさまニアが指摘する。
「鍛錬としての効率は低い」
「うるさいわね……」
二人のやり取りに、思わず苦笑が漏れる。
「……え、楽しいだけじゃダメなの?」
望月さんが、おずおずと口を開いた。
「私、ボウリングとダーツって考えてたんだけど……」
「望月は極端」
ニアが淡々と切り捨てる。
「ちょっと、極端って何よ!」
「望月は楽しさに振りすぎなの。そもそも、ダーツってスポーツ要素あるの?」
すかさず反応する望月さんを横目に、エヴァがこちらを向いた。
「で、晶は?」
「えっ、僕?」
急に話を振られて、少しだけ言葉に詰まる。
「やっぱり、サーキットトレーニングとボルダリングかなって。高G環境に耐えられる体幹を作っておきたいし、強度も高いから」
「あなた、スポーツ選手にでもなるつもり?」
エヴァが呆れたように言う。
「晶も極端」
ニアが、いつも通りの調子で結論づけた。
最終的に全員の希望をできるだけ取り入れ、トレーニングとリフレッシュを交互に並べる形で方針がまとまった。そして、来週の初回には体力測定を行うことで、九週間分の計画が決まった。
「……あれ?」
端末の表示を見ながら、望月さんが首を傾げる。
「これだと、一週分、足りなくない?」
確かに、体力測定を入れた関係で、微妙に空きができている。
「じゃあ、水泳」
ニアが即答した。
「いや、なんでまた水泳なのよ」
エヴァがすかさず突っ込む。
「せっかくバランス取れてきたのに、また全身運動入れるの?」
「効率がいい」
ニアは平然と言い切る。
「うるさいわね、効率効率って」
エヴァは軽く肩をすくめてから、にやりと笑った。
「ここはもっと気楽にいきましょ。バドミントンでいいじゃない」
「……軽すぎる」
「ちょうどいいのよ」
二人の視線がぶつかる。その間に、望月さんが楽しそうに手を叩いた。
「いいじゃない、バドミントン!四人でできるし、気分転換にもなるし」
僕も頷く。
「うん、それなら全員でやりやすいね」
少しの沈黙のあと、ニアが小さく息をついた。
「……合理性は低いが、許容範囲」
「決まりね」
エヴァが満足そうに言う。
こうして、最後の一枠はバドミントンに決定し、十週分の計画を提出したところ、AIによる適正診断をパスし、問題なく承認された。そして、水曜二限目、僕たち四人の体育プログラムは来週の体力測定からスタートを切ることになったのだった。
***
本格的な授業は来週からということもあって、まだ時間に余裕があった。
このまま寮に戻るには少し早い。そんなわけで、僕たちは四人で基礎棟の談話室へ向かった。
ソファに腰を下ろした途端、思わずため息が漏れる。
「はぁ……今日は講義らしい講義もなかったのに、なんだか疲れたな」
「情けないわね。おじさんみたいよ」
エヴァが即座に切り返してくる。
「いや、だってさ。今までは一コマ五十分だったんだよ?ここって九十分じゃない?」
「ああ、そっか」
望月さんが納得したように頷いた。
「ついこの前まで中学生だったんだもんね」
「そうなんですよ。それに——」
少し言いよどんでから、続ける。
「うちのトレーナー、チームビルディングを英語でやるって言ってて……」
「あら、いいじゃない」
望月さんはあっさりと言う。
「宇宙船の中は英語ベースなんでしょ?」
「まあ、そうなんですけどね……」
頭では分かっている。でも、実際にやるとなると話は別だ。そこでふと気になって、話題を変える。
「そういえば、ニアとエヴァは語学実習どうするの?専門用語も含めた実践的な会話?それともロシア語とか?」
そう尋ねた瞬間、ニアが迷いなく答えた。
「日本語」
「えっ?」
思わず聞き返すと、エヴァがわずかに視線を逸らす。
「ちょっと……内緒にしておこうと思ったのに……」
その頬は、ほんのりと赤い。隣で望月さんが、面白そうに口元を緩めている。僕は一瞬だけ驚き、それから素直に言葉がこぼれた。
「そっか……日本語なんだ。嬉しいな」
そう言うと、エヴァは小さくそっぽを向き、ニアは何も言わずに静かに頷いた。談話室には、どこか穏やかな空気が流れていた。
***
二人と別れ、望月さんとともに桜寮へ戻る。
玄関ホールに足を踏み入れると、入寮の際に案内してくれた毛利先輩が、受付で事務作業をしていた。
「「ただいま」」
声を揃えて挨拶すると、先輩は顔を上げて微笑む。
「おかえりなさい」
そして、そのまま少しだけ身を乗り出した。
「実はね、今度の土曜日に新しい寮生の歓迎会をやろうと思ってるの。懇親会も兼ねてね。もちろん自由参加なんだけど……二人はどうかな?」
◎登場人物
◯星野晶(15)(166cm):主人公。国際宇宙学院の新入生
◯望月凛(20)(165cm):国際宇宙学院の新入生。主人公とはアカデミー入試の下見で出会った。語学堪能な健啖家
◯ニア・スターリング(10)(136cm)(女性)(イギリス):国際宇宙学院の新入生。両親が高名な学者。人見知り。やや無口。両親が主人公の両親に救われたことに感謝しており、本人も主人公を大切に感じている
◯エヴァ・スターリング(10)(138cm)(女性)(イギリス):国際宇宙学院の新入生。ニアの双子の妹。饒舌。勝ち気
◯毛利渚(23)(162cm):国際宇宙学院の三年生。桜寮の学生役員の一人。明るくて距離が近いけど、ちゃんと見てるお姉さん
◎用語
◯国際宇宙学院:宇宙船の乗組員を養成するための専門機関。グリニッジ標準時なので、日本との時差は九時間。
◯新入生:初等生とも呼ばれる。入学してから半年間。学年色は白。最初の三ヶ月は特に“トレーニー期間”で、水曜の一限目にトレーナーから指導を受ける
◯基礎棟:四階建て。新入生が最初の半年間を過ごす校舎だが、三百人規模の大教室や十人規模の小教室も多数あるので、会議目的で訪れる上級生も多い。
◯桜寮:主人公が住む寮。住民の多くが日本人で、寮内では日本語が公用語となっている。居住棟三棟、管理棟一棟がロの字で立ち並び、中庭には桜の樹が植えてある。
◯語学実習:英語をベースとした専門用語も交えた実践的な語学を学ぶ。一年間は必須、それ以降は任意。英語母語話者の場合、他言語も学べる。フランス語、イタリア語、ロシア語、ドイツ語、中国語、スペイン語は常設。他の言語は希望者が揃った場合にのみ開設される。




