多彩(多才)な先輩方
西暦二一九二年四月三日
入学二日目――さっそく遅刻である。
二限目始業だからと油断して、目覚ましをかけずに寝てしまったのが原因だ。オカブの呼びかけにも気づかず、完全に寝過ごした。言い訳のしようもない。
当然、望月さんとは別々の登校になってしまった。それでもなんとか授業開始の五分前には基礎棟に滑り込み、入口で待ってくれていた望月さんのもとへ駆け寄る。まずは、素直に頭を下げた。
「おはようございます。今朝はすみません。ちょっと寝坊してしまって……」
「おはよ。やっぱり、トレーナーが誰か気になって寝付けなかった?」
からかうような声に、僕は慌てて首を振る。
「いえいえ、そんなことは——」
言いかけたところで、望月さんがくすっと笑った。
「うふふ、私はちょっと気になったわよ。寝付けないほどじゃなかったけどね。今日は小教室で顔合わせみたいだから、早めに自分の教室を確認した方がいいわ」
***
望月さんとは別の教室だったため、端末を頼りに教室へ入る。中は中学校の教室ほどの広さで、三人掛けの机が整然と並んでいた。すでに七、八人ほどが着席している。ざっと見渡したが、見覚えのある顔はない。
新入生は向かって右側に座るよう指示されているらしい。僕は指定された席に腰を下ろした。
やがて、定刻の十時半を迎える。教室中央の大型モニターと各席のホログラムに担当講師の映像が映し出される。
『これよりトレーナーを発表します。皆さんの隣の席に着いてもらいますので、一度起立してください』
その一言で、教室の空気が一気に張り詰めた。ざわめきとともに、全員が立ち上がる。
そして——前方の扉が開いた。
入ってきたのはトレーナー陣。つまり、僕たちより半年早く入学した中等生たちだ。彼らは落ち着いた足取りで教室に入り、それぞれの席の左側へと移動していく。胸元の識別カラーが、ひと目で立場の違いを示していた。右側に立つ僕たち初等生は白、対して隣に座る中等生たちは黒。たったそれだけの違いなのに、不思議と距離のようなものを感じる。
「あれ?晶か?」
知っている先輩などいないと思い込んでいた僕は、その声に思わず顔を上げた。隣に腰を下ろしたその人物を見て、驚きが一気に広がる。
「リアム!」
軌道エレベータで出会い、往路をともにしたあのリアムが、僕のトレーナーだったのだ。
「まさか晶のトレーナーになるとはな」
リアムが軽く笑う。僕が何か言い返そうとした、その瞬間——ホログラム越しの講師が、簡潔に告げる。
『本日は導入説明のみとします。トレーナー制度や学生生活について、不明点があれば遠慮なく質問してください。三十分を目安に、終了したグループから解散して構いません』
それだけ言い残すと、映像は静かにフェードアウトした。教室のあちこちで、さっそく会話が始まる。僕も隣に座ったリアムへと視線を向けた。
「さて——」
リアムは軽く背もたれに寄りかかりながら、肩の力を抜いた口調で言う。
「もう知ってることも多いだろうけど、説明しろって指示だから、簡単に説明しておくか」
そう前置きしてから、指を一本立てた。
「まず、“トレーナー”は俺たちみたいに、半年前に入学した中等生が担当する。で、新入生は“トレーニー”として、その指導を受けることになる」
二本目の指が立つ。
「それから、来週からの三ヶ月間、水曜の一限はここでチームビルディングや相談を行う。……まあ、いわゆる『ホームルーム』みたいなもんだな」
三本目を立てかけて、リアムは少しだけ考え、肩をすくめた。
「……まあ、細かい話はその都度でいいか。こんなところだな」
軽くまとめると、こちらを見てにやりと笑う。
「で、何か聞きたいことあるか?」
促されて、僕は少し考えてから口を開いた。
「実習……というか、実技科目って、大変ですか?」
「ああ、それか」
リアムはあっさりとうなずく。
「たいていのやつは、ここで初めて触れる分野だからな。それなりに苦労はする」
そこで、少しだけ口元を緩めた。
「でも面白いぞ。学科はそこそこでも、実技で一気に伸びるやつもいる。逆もあるけどな」
「リアムさんも、そうなんですか?」
思わずそう聞くと、彼は軽く手を振った。
「“さん”はいらない。リアムでいい」
それから、少しだけ考えて答える。
「俺は……どっちかっていうと実技寄りだな」
「そうなんですね。あと、水曜の二限目に体育ってありますけど……普通の学校と同じ感じですか?」
「いや、もっと自由だな」
リアムは少し楽しそうに言う。
「あの時間は全学年全学部合同になるから、けっこう賑やかだぞ。体を鍛えるもよし、リフレッシュするもよし、って感じだな」
「なるほど……ありがとうございます」
僕が頭を下げると、リアムは軽くうなずいた。
「じゃあ、次は俺から一ついいか?」
「え?」
予想外の切り返しに、思わず間の抜けた声が出る。
「質問ってわけじゃないけどな」
リアムは少しだけ前に身を乗り出した。
「来週の水曜一限から、二人でチームビルディングやるだろ?」
「はい」
「そのとき——」
わずかに間を置いてから、さらりと言う。
「自動翻訳機は禁止な」
「えっ!?」
思わず声が裏返った。
「無理ですよ、それ……」
「最初から諦めるなよ」
リアムは笑いながらも、視線だけは真っ直ぐだった。
「晶はその年で合格してるんだ。学業は優秀なんだろ。それに——」
一瞬だけ言葉を選び、続ける。
「お前の親父さん、優秀な船乗りだったんだろ?だったら実習だって、やれない理由はない。だから、この時間帯はそれなりに苦労してみろ。どうだ?」
軽い口調なのに、不思議と逃げ場がない。僕は一瞬だけ言葉に詰まり、それでもうなずいた。
「……分かりました。やってみます」
そして、改めて姿勢を正す。
「ご指導、よろしくお願いします」
「ああ、こちらこそ、よろしくな」
最後に握手を交わし、リアムは席を後にした。
***
午前中の導入説明が終わり、教室はほどなく解散となった。席を立ちながら、僕は端末を取り出す。
(思ったより早く終わったけど、昼は……いつもの四人でいいかな)
望月さんに昼食を誘うメッセージを送ろうと端末に触れた瞬間、それを待っていたかのように、望月さんからの連絡が届く。
『ごめん、今日はトレーナーと一緒に食べることになったの。また今度ね』
少しだけ意外に思いながらも、すぐに納得する。
(そうなんだ。それにしても、望月さん打ち解けるの早いな)
端末をしまい、振り返ると、ニアとエヴァがすでにこちらを見ていた。
「昼食、どうする?」
僕がそう尋ねると、エヴァが肩をすくめる。
「決まってるでしょ。食堂、行くわよ」
「同意」
ニアが短く頷いた。
食堂は、すでに多くの学生で賑わっていた。適当な席を見つけて腰を下ろすと、僕はさっそく気になっていたことを口にする。
「そういえば、二人のトレーナーって、どんな人なの?」
その問いに、エヴァがすぐに反応した。
「カルミナ?最悪よ」
即答だった。
「すぐ却下するの。彼女の口癖って“根拠は?”よ。ほんと融通きかないんだから」
「合理的」
隣でニアが淡々と補足する。
「高効率。判断が早い。無駄がない」
「そういう問題じゃないのよ!」
エヴァが机を軽く叩く。僕は苦笑しながら視線をニアへ向ける。
「ニアのトレーナーは?」
「クリス」
短く答えたあと、ほんの少しだけ考える。
「理論は理解するが、現場で使えないものは否定する……たぶん、有能」
「厳しそうだね……」
「でも、必要なこと」
ニアは迷いなく言い切った。そのときだった。周囲の視線が、ふと一方向に集まっていることに気づく。僕たち三人もつられて目を向けると——
「……あれ?」
食堂の一角。そこには、見覚えのある後ろ姿があった。
「もしかして、望月さん……?」
そして、その向かいに座っているのは——長身で、よく通る笑い声の女性。
「美味しいわね、これ」
皿の上の料理が次々と消えていくたび、卓上の端末に表示された決済額が跳ね上がっていく。
「ちょっと待って……あれ、何皿目?」
思わず呟くと、エヴァが引き気味に言った。
「……本気なの?」
ニアはすでに端末を取り出している。
「モチは燃費が悪すぎる」
(“もち”って、なんだろう?望月さんのことかな?)
僕が聞き慣れない響きに耳を奪われている間——
「これも美味しいですね!」
「でしょ?」
望月さんと、そのトレーナーらしき女性は、まるで競うように食べ続けていた。周囲の学生たちも、もはや隠すことなくその様子を見守っている。
食堂の一角だけ、明らかに空気が違っていた。
「……すごいね」
僕がぽつりと呟くと、エヴァが少し呆れた表情で頷いた。
「いろんな意味でね」
◎登場人物
◯星野晶(15)(166cm):主人公。国際宇宙学院の新入生
◯リアム・ハートリー(男性)(24)(179cm)(オーストラリア):国際宇宙学院の中等生。主人公とは軌道エレベータの搭乗口で出会った。感情表現は豊かだが、感情に流されない。主人公のトレーナー。
◯ニア・スターリング(10)(136cm)(女性)(イギリス):国際宇宙学院の新入生。両親が高名な学者。人見知り。やや無口。
◯エヴァ・スターリング(10)(138cm)(女性)(イギリス):国際宇宙学院の新入生。ニアの双子の妹。饒舌。勝ち気。
◯望月凛(20)(165cm):国際宇宙学院の新入生。主人公とはアカデミー入試の下見で出会った。語学堪能な健啖家。
◯アナ・ロドリゲス(20)(172cm)(女性)(ブラジル):国際宇宙学院の中等生。明るくて、細かいこと気にしない。健啖家。望月凛のトレーナー
◯カルミナ・シェウチェンコ(16)(168cm)(女性)(ウクライナ):エヴァ=スターリングのトレーナー。ニアのトレーナー(クリス=チャオ)とは親友。エヴァの“感覚暴走”を止める。言葉数は少ないが、成績は優秀。
◯クリス・チャオ(16)(158cm)(女性)(アメリカ):ニア=スターリングのトレーナー。“ぶっきらぼう”かつ結果重視。
◯オカブ:晶の通学補助用ドローン。晶を兄と認識している。感覚はアルテアと同期している。
◎用語
◯国際宇宙学院:宇宙船の乗組員を養成するための専門機関。グリニッジ標準時なので、日本との時差は九時間。
◯新入生:初等生とも呼ばれる。入学してから半年間。学年色は白。最初の三ヶ月は特に“トレーニー期間”で、水曜の一限目にトレーナーから指導を受ける。
◯中等生:入学してから半年後から一年後まで。学年色は黒。最初の三ヶ月は“トレーナー期間”となり、水曜の一限目に新入生を指導する。
◯基礎棟:四階建て。新入生が最初の半年間を過ごす校舎だが、三百人規模の大教室や十人規模の小教室も多数あるので、会議目的で訪れる上級生も多い。




