学び舎に降臨した天使たち
西暦二一九二年四月二日
入学の日。桜寮の窓から差し込む人工の朝日と、オカブの元気な声で目を覚ました。
『晶兄ちゃん、起きろー』
「おはよう、オカブ」
時計は午前七時。眠い目をこすりながら上半身を起こし、大きくひとつ伸びをする。アルテアではない声に起こされるのは、まだ少し不思議な気分だった。それでも、こまめに連絡を取っているおかげか、ホームシックとは無縁でいられる。
ただ——朝食だけは別だ。食堂は賑やかで味も悪くない。けれど、自室のオート・サーバーで焼いたトーストと、栄養素は完璧だが味の薄い野菜ジュースを前にするたび、アルテアの料理が恋しくなる。
そんなことを考えながら、制服に袖を通す。
「今日は荷物もないし、留守番よろしく」
『うん、分かった。いってらっしゃい』
「いってきます」
部屋を出ると、同じく制服姿の望月さんが先に待っていてくれた。
「おはよう、星野くん」
「おはようございます。待たせました?」
「全然。私も今来たところ」
軽く挨拶を交わし、二人で地下道へ向かう。通学用コミューターに乗り込むと、車体は静かに滑り出した。窓の外を流れていく照明の帯を眺めながら、僕は胸の奥が少しずつ高鳴っていくのを感じていた。向かう先は、基礎棟——初等科の新入生が最初の半年を過ごす学び舎だ。
今日から、いよいよ本当の学院生活が始まる。
***
五分ほどで基礎棟に到着し、案内板に従って大きな教室へと入る。時刻は八時を少し回ったところだった。優に三百人は収容できそうな空間で、すでに半分以上の席が埋まっている。皆どこか緊張した面持ちで、静かに始業を待っていた。
さらに五分ほど経った頃、不意に教室の空気がざわつき始める。
「ねえ、あの子……」
「ほんとに新入生?」
「いくつくらい?……可愛い」
ひそひそ声とともに、みんなの視線が一斉に入口へと集まっていく。
「あっち、どうしたのかしら?」
望月さんに促され、僕も少し背伸びをしてその先を覗き込んだ。
——すぐに理由が分かる。
入ってきたのは、明らかに小柄で幼い子供が二人。僕も新入生の中では若い方だが、それでも同年代はそれなりにいる。だが彼女たちは違う。どう見ても“少女”という言葉が似合う年頃だ。ここが日本なら、ランドセルを背負っていてもおかしくない。
加えて、人目を引く理由は他にもあった。金色の髪に碧い瞳、雪のように白い肌。人形のように整った顔立ち——それも確かに目を奪う理由ではある。しかし、本当に視線を集めているのは、そこではない。
“同じ顔の少女が二人いる”。
髪型こそ違うものの、まるで鏡写しのような存在が並び、楽しげに言葉を交わしていた。
「あっ……」
記憶が繋がる。
(ニアとエヴァだ)
重力子研究の第一人者であるスターリング博士と、“強い人工知能”の基盤となる新たな数学分野を切り開いたスターリング教授。その娘である双子。小学生の年齢なのに既に大学へ飛び級している天才。そう、一度だけ映像越しに会話を交わしたことがある——あの二人だ。
その二人も僕に気づいたらしく、真っ直ぐこちらへやってくる。そして僕の前の空席に荷物を置くと、すぐに振り返って話しかけてきた。
「お久しぶりね、晶。“はじめまして”の方がいいかしら。私はエヴァ・スターリング。よろしく」
そう言いながら、エヴァと名乗る少女が右手を差し出してくる。
「僕は星野晶。こちらこそ、よろしく」
小さな手をそっと握り返す。続いて、隣に立つ少女が、わずかに頬を染めながら口を開いた。
「……私はニア。エヴァの姉。よろしく、晶」
「よろしく、ニア」
今度はニアとも握手を交わす。エヴァとは対照的に、どこか控えめで落ち着いた印象だった。
「ちょっと、誰その子たち!可愛い!紹介して!」
後ろから身を乗り出すようにして、望月さんが声を弾ませる。だが双子はちらりと一瞥をくれただけで、あまり関心を示さない。そのまま自然な流れで、僕の前の席にニアが腰を下ろし、その隣にエヴァが座った。
定刻を迎えたので、望月さんには「後で紹介するから」とだけ伝えたが、全員が揃ったにもかかわらず、教壇に誰かが現れることはなかった。
代わりに、正面の巨大スクリーンと各席のホログラム端末に講師の姿が映し出される。
『本校へ入学された新入生の皆さん、ようこそ——』
淡々とした声で説明が始まった。
内容自体は入学案内の再確認が中心だったが、いくつか重要な点が告げられる。四月入学生は六月までの三ヶ月間、トレーニーとして過ごし、学院側が指定したトレーナーの指導を受けること。今日中に選択科目を提出すること。そして週後半には、六つの組に分かれて、実技科目の基礎実習が始まること。
いよいよ始まる。
宇宙へ続く道の、最初の一歩。
僕は高揚感を抑えきれず、ぎゅっと両手を握りしめた。
***
望月さんと僕、そしてニアとエヴァ。四人で基礎棟の学生食堂へ向かった。
「なんか、すごく注目されてるわね」
望月さんが苦笑する。教室を出てからというもの、周囲の視線はずっとこちらに集まっていた。原因は考えるまでもない。食堂で四人掛けの席に腰を下ろし、端末から注文を済ませる。ほどなくして、配膳ロボットが静かに料理を運んできた。
「ねえ、この“アスト”って、結構減るの早くない?」
望月さんがトレーを覗き込みながら言う。
「昼はだいたい三百から五百アストくらいですよね。寮費も三万くらいって聞きましたし」
学院では、衣食住すべてがこの統一通貨“アスト”でやり取りされる。入学時に三十万、その後は毎月二十万が支給されるものの、入学時の三十万は、言わば“新生活の準備金”だ。日用品の買い出しや備品を揃えれば、あっという間に底をつく可能性すらある。
「えっ。教科書は無料だけど、追加ライセンスとか参考書は一冊数千アストはするんでしょ?油断してたら、月末にはサプリ生活になっちゃうじゃない」
「あはは、それは極端ですよ」
頭を抱える望月さんを慰める。
「まあ、やりくりも実習のうち、ってことかもね。それにしても……この座り方、おかしくない?」
望月さんの指摘はもっともだった。普通、四人でテーブルを囲めば自然と向かい合う形になるはずだ。けれど今は、僕の両隣にニアとエヴァ、そして正面に望月さんという、どこか偏った“凸”の字配置になっている。
「このままでいいわ。それで——あなたは誰?」
エヴァが当然のように言った。
「あっ、私?私は望月凛。星野くんと同じ日本出身で、同じ試験会場だったの。ここに来る途中で再会したって感じかな」
望月さんはまったく動じる様子もなく、にこやかに答える。
「そう」
エヴァは短く頷き、「私はエヴァ・スターリング」とだけ名乗った。
その隣で、ニアが静かに口を開く。
「ニア・スターリング。エヴァの姉。……よろしく」
最低限の挨拶を終えると、二人はそれ以上踏み込もうとはしない。まるで、必要な情報だけを交換すれば十分だと言わんばかりに。
「じゃあ、とりあえず注文しようか?」
僕はメニューに和食があるのを見つけて少しほっとし、魚定食を選んだ。
ニアとエヴァはサンドイッチの盛り合わせを二人分。飲み物は、ニアがトマトジュース、エヴァがフルーツジュースを注文する。
そして——望月さんは、大盛りライスとハンバーグ皿に加えて、フライの盛り合わせ、ビーフシチュー、さらにジャーマンサラダまで追加した。
「……本気なの?」
エヴァが思わず聞き返す。けれど望月さんは、その意図をまったく気にした様子もなく、きょとんとした顔でこちらを見返すだけだった。
やがて料理が運ばれてくると、目の前に並んだ皿の数に僕と双子は思わず言葉を失う。
——が、驚くのはまだ早かった。
望月さんはそれらを、迷いなく、そしてあっという間に平らげてしまったのだ。
ニアが「摂取カロリーは一般的な成人女性の三倍以上」と淡々と告げる。
「……ああ、なるほど」
エヴァが頷いた。
「あなたが“アスト”の残高を心配する理由を理解したわ。つまり、胃袋の維持費が掛かりすぎるってわけね」
***
僕は緑茶、望月さんはコーヒー、ニアとエヴァはカフェイン抜きのミルク紅茶。それぞれ飲み物に口をつけながら、自然と話題は学院の授業計画へと移る。
「もし、まだ決まってなかったら、選択科目、合わせない?もちろん個人の意思が最優先なんだけど……正直、僕、あんまり分かってなくてさ」
そう言うと、エヴァの目が一瞬だけ輝いた。
「しょうがないわね……いいわよ。じゃあ一つずつ見ていきましょうか。まずは月曜二限の社会科学から」
エヴァは端末を操作しながら、一覧を読み上げていく。
「政治学、地政学、国際関係論……へぇ、思ったより難しそうなのが並んでるわね」
さらに指を滑らせたところで、ニアが口を開いた。
「ここは惑星地理学」
「早っ!」
エヴァが即座に突っ込む。
「なんでよ。政治学とか地政学の方が面白そうじゃない?“三支配者の陰謀渦巻く企業体間の駆け引き!”とか」
「エヴァは映画に影響されすぎ。惑星地理学なら、地球以外の惑星や衛星、コロニー環境まで扱うはず。居住可能性、気候、地形、資源分布……意外と実用性高い」
ニアは淡々と説明を続ける。
「特に、環境差による都市構造の違いはお父さんの研究にも関係する」
「うっ……」
エヴァが言葉に詰まる。確かに、それを聞くと面白そうだ。
「木星の衛星とかも出てくるのかな?」
「たぶん。火星開発史とか、テラフォーミング計画にも繋がると思う」
「それはちょっと気になるね……」
僕が思わず反応すると、エヴァは不満そうにこちらを見た。
「ちょっと晶、簡単に寝返らないでよ」
「いや、だって面白そうだし……」
すると、それまで黙って聞いていた望月さんが、くすっと笑った。
「私も賛成かな。宇宙の学校で“惑星地理学”って、なんだかロマンあるじゃない」
その一言に、エヴァは「うっ」と小さく呻いた。するとニアが静かに追撃する。
「将来、いろんな星へ行きたいなら、知っておいて損はない」
その一言は、妙に僕の胸へ刺さった。
「……分かったわよ。今回はニアに乗ってあげる」
「合理的判断」
「なんかその言い方、ちょっと腹立つんだけど!」
エヴァが抗議の声を上げる横で、僕と望月さんは顔を見合わせ、小さく笑った。その後も二人は、まるで最初から答えを知っているかのように、次々と選択科目を決めていった。
(どうやら、思っていた以上に賑やかな学院生活になりそう)
僕はその様子を眺めながら、ふと苦笑した。
◎登場人物
◯星野晶(15)(166cm):主人公。国際宇宙学院の新入生
◯望月凛(20)(165cm):国際宇宙学院の新入生。主人公とはアカデミー入試の下見で出会った。語学堪能な健啖家。
◯ニア・スターリング(10)(136cm)(女性)(イギリス):両親が高名な学者。人見知り。やや無口。
◯エヴァ・スターリング(10)(138cm)(女性)(イギリス):ニアの双子の妹。饒舌。勝ち気。
◯オカブ:晶の通学補助用ドローン。晶を兄と認識している。感覚はアルテアと同期している。
◎用語
◯国際宇宙学院:宇宙船の乗組員を養成するための専門機関。グリニッジ標準時なので、日本との時差は九時間。
◯アスト:国際宇宙学院の中で流通している通貨の単位。新入生は月に20万アスト(ただし、入学した月は30万アスト)が支給され、その中で生活することが求められる。
相場として、桜寮の寮費(一ヶ月)が3万アスト、桜寮の朝食ビュッフェや基礎棟《Fホール》のAランチが500アスト。授業料、(地球への)通信費などは無償。
◯新入生:初等生とも呼ばれる。入学してから半年間。学年色は白。最初の三ヶ月は特に“トレーニー期間”で、水曜の一限目にトレーナーから指導を受ける。
◯中等生:入学してから半年後から一年後まで。学年色は黒。最初の三ヶ月は“トレーナー期間”となり、水曜の一限目に新入生を指導する。
◯基礎棟:四階建て。新入生が最初の半年間を過ごす校舎だが、三百人規模の大教室や十人規模の小教室も多数あるので、会議目的で訪れる上級生も多い。
◯三支配者:“太陽系を支配する”と言われている以下の三つの巨大な企業体。
・スターフォージ・ドミニオン:宇宙船産業や資源開発に強い影響力を持つ。
・ステラー・ネクサス:惑星間の交流や取引を支配する企業集団で、物流や通信インフラを握っている。
・ソーラー・ダイナスティ:太陽光や太陽熱、核融合等のエネルギー開発のトップランナー。




