新しい僕の城
西暦二一九二年三月二九日
セキュリティゲートの前で、二人の男女が笑顔で迎えてくれた。先に口を開いたのは、女性の方だった。
「望月さん、星野くん。ようこそ、桜寮へ。案内を担当する毛利です。よろしくね」
差し出された手を、望月さん、続いて僕が順に握る。次いで、男性が一歩前に出た。
「向井です。第五エレベータから五泊六日の旅、お疲れさまでした。本日の到着はお二人だけですので、これから案内します。ついてきてください」
向井先輩が先導し、僕と望月さん、最後に毛利先輩という順で建物の中へ入る。廊下を進みながら、向井先輩が淡々と説明を始めた。
「ここは管理棟です。内部は共有スペースが中心になっています」
廊下の左側は全面が窓になっていて、明るい光が差し込んでいる。部屋はなく、開けた視界が心地よかった。右側には部屋が並び、そのうちの一室に案内される。中は、十人ほどが座れる小さな集会室だった。
「ここは各棟・各階にある談話室です。どうぞ、好きな席に。まずはリラックスして」
僕と望月さんは向井先輩と向かい合うように座り、毛利先輩はその隣に腰を下ろした。
「では、改めまして。この寮についての説明を、渚さんから」
「はーい!」
毛利先輩は軽く手を挙げてから、いたずらっぽく笑う。
「じゃあ、この建物について説明しますね」
毛利先輩の話によると、桜寮の住人の多くは日本人だという。特に制限があるわけではないが、公用語が事実上日本語であるため、自然とそうなっているらしい。ただ、他国の学生も少数ながら入寮しているとのことだ。
「日本人は最初の一年、この寮に住む人が多いの。でも、進級すると他の寮に移る人も増えてくるかな」
「だから、あなたたちも来年になったら、別の寮に移ってもいいのよ」
毛利先輩がそう言って微笑む。
「毛利先輩は、移られる予定はあるんですか?」
僕が尋ねると、毛利先輩は少し肩をすくめた。
「私は三年生だし、このまま卒業までここかな。結構、気に入ってるし」
そして、ふと思い出したように付け加える。
「あ、そうそう——」
「なぜか教官もいるのよ、この寮。物好きよね」
「……ほとんど見かけないけどな」
向井先輩が、軽く首を振りながら口を挟んだ。続いて、二人の説明はこの施設全体へと移った。
桜寮は、通路の片側に部屋が並ぶ三階建ての建物が三棟。一棟あたり定員四十五名で、管理棟を合わせた四棟が正方形に配置されている。中央には中庭があり、その中心には大きな桜の木が一本。
ちょうど今、満開なのだという。さっき通路から見えた、淡い桃色の花びらを思い出す。地球から三十八万キロ離れたこの場所で、本物の桜に迎えられるとは思ってもみなかった。
説明が一通り終わると、それぞれの部屋へと案内される。僕は向井先輩に、望月さんは毛利先輩に連れられて、別々の棟へと向かった。案内された部屋の前で、向井先輩が立ち止まる。
「ここが君の城だ」
促されるまま、入口のパネルに手のひらを重ねる。短い認証音とともに、登録が完了した。
「これで部屋の手続きは終了だ。荷物も間もなく届くはずだ」
向井先輩は、いつもの落ち着いた口調で続ける。
「何か困ったことがあれば、隣の管理棟へ来るか、端末で僕を呼び出してくれ」
「はい、ありがとうございます」
軽く頭を下げると、向井先輩はそれだけ言って踵を返した。廊下の向こうでは、ちょうど望月さんの案内を終えた毛利先輩と合流している。
僕も二人に向かって手を上げ、続いて同じ廊下にいた望月さんと視線を交わす。
「お疲れさま、星野君。じゃあ、また明日ね。おやすみ」
「はい、おやすみなさい」
——自分の部屋へ。
中は、トイレとシャワー、簡単なキッチンに、寝室兼書斎が一体になった一K。広くはないが、機能的にまとめられた空間は、一人で暮らすには十分すぎるほどだった。
入学までは、今日を除いてあと三日。手続きや通学路の確認、買い出し——やるべきことはいくつもある。
(……望月さんと一緒に回るのも、いいかもしれないな)
そんなことを考えながら、ベッドへと身を預ける。力を抜いた瞬間、体がふっと沈み込んだ。
(移動で疲れもあるけど、相棒を放置もできないな)
倒れ込んだ体を起こすと、ベッド脇に置いてあるケースを開ける。
「オカブ、出ておいで」
『やっと出られた!』
「ごめんごめん。ずっとケースの中じゃ、さすがに窮屈だったよな」
『ありがとう、晶兄ちゃん』
オカブは部屋の中を一周すると、そのままベッドへ飛び乗った。その様子を見て、少しだけ肩の力が抜ける。
「お詫びの印に、少し話し相手になるよ」
そう言った瞬間。
『それは嬉しいけど——』
オカブが、こちらをじっと見た。
『もっと素敵な話し相手、いるでしょ?』
「……あっ」
慌てて部屋の端末を操作する。宛先は、もちろん——。
「……あ、冬華?今、大丈夫?」
『あっ、晶君。おはよう――』
言葉が、重なった。ほんの一瞬遅れて、互いに気づく。
『あ、ごめん』
「ごめん」
また、被る。思わず、二人で顔を見合わせて笑ってしまった。画面越しに、少し遅れて届く笑顔。この遅延が二人の距離を、はっきりと感じさせる。
「……こっちは、もうすぐ十一時」
少し間を置いて、言葉を選ぶ。
「だから、こんばんは、かな」
『そっか……じゃあ、こんばんは、だね』
どこかくすぐったいような空気が流れる。
「えっと……その……無事に着いたよ」
一拍遅れて、冬華が小さく頷いた。
『……うん。ありがとう』
その一言に、胸の奥が少しだけ軽くなる。言葉は少ないのに、不思議と伝わるものがある。
「みんなは、変わりない?」
『うん。うちもそうだし、アルテアも元気に掃除してるよ』
少し遅れて、冬華の声が届く。
『私とお母さんも手伝ってるから、お家のことは心配しないで』
「ありがとう……」
小さく息をつく。
「アルテアにも、あとで連絡入れるよ」
少しずつ、この距離にも慣れてきた。
冬華の部活の話を聞きながら、今度は僕が、道中で出会った人たちのことを話す。
望月さんのこと。
リアムのこと。
日本人が多い寮に入ったこと。
途切れがちな会話の合間に、ゆっくりと言葉を重ねていく。
画面の向こうにいる冬華は遠い。手を伸ばしても、触れることはできない。それが、少しだけ寂しかった。
「……冬華、会いたいよ」
言葉を投げ終えた、その直後だった。遅延を待たず、冬華の唇が動く。
『……私も会いたいよ』
「えっ!」
ぴたりと重なるように返ってきた言葉に、思わず目を見開く。
『ふふ』
驚く僕をよそ目に、冬華が少しだけ楽しそうに笑う。
(僕の声が届くより早く、同じことを思ってくれてたんだ)
『乙女の心は、光速を超えるってこと』
互いに何か言いたいのに、うまく言葉にならない。それでも——この時間が、心地よかった。
「……そろそろ、切るね」
名残惜しさを隠しきれないまま、そう口にする。
『うん……こっちは、もう朝だしね』
冬華が、小さく頷いた。少し遅れて、その動きが画面に伝わる。
「……おやすみ、冬華」
『おやすみ、晶君』
ほんのわずかな遅延のあと、声が重なる。そのまま、どちらからともなく通話を切った。部屋に、静けさが戻る。少しだけ寂しさに胸が締めつけられる。それでも、胸に残る彼女の声が、三十八万キロの孤独を、温かな余韻に変えてくれていた。
(大丈夫)
そう小さく呟いて、ベッドに身を預けた。目を閉じる。新しい場所での、最初の夜が、静かに更けていった。
◎登場人物
◯星野晶(15)(166cm):主人公。国際宇宙学院の新入生
◯望月凛(20)(165cm):国際宇宙学院の新入生。主人公とはアカデミー入試の下見で出会った。語学堪能な健啖家。
◯向井新一(24)(178cm):国際宇宙学院の三年生。真面目すぎるけど面倒見がいい兄貴分。
◯毛利渚(23)(162cm):国際宇宙学院の三年生。明るくて距離が近いけど、ちゃんと見てるお姉さん。
◯オカブ:晶の通学補助用ドローン。晶を兄と認識している。感覚はアルテアと同期している。
◎通信
◯朝比奈冬華(13)(155cm):中学二年生、晶の幼馴染兼彼女。
◎用語
◯国際宇宙学院:宇宙船の乗組員を養成するための専門機関。グリニッジ標準時なので、日本との時差は九時間。




